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2022/2/24 やはり淋しい春の野を

21日。気仙沼から高速バスで帰ってきて、アエルの丸善で本を見ていた。2000円分の商品券をもらったので、何を買おうかな〜、ちょっと高めな本を買おうかな〜、と慎重に選んでいた。ポケットのなかでスマホが振動して、「この動き方はLINEだな」と思う。
LINEは母からだった。じいじが亡くなった、たぶん東京に行くことになるから、と言っている。「わかった。用事を済ませたらすぐ帰るよ」と返す。

僕は小さいときしょっちゅう祖父とカラオケに行って、うたうことが好きになった。祖父とのカラオケで、古いうたをいくつか覚えた。初詣の帰り道、凍った路面を歩いていた僕に「滑りたいだの、転びたいだの、言うんじゃないよ…」と繰り返し言っていた(滑りたいとも、転びたいとも、言ったことがないんですけど…)。祖父が家族写真を撮るとき「撮るよ」とも「はいチーズ」とも言わないのでタイミングが分からず、気付くと撮影が終わっていてみんなで笑った。食事のとき、箸で食器をコンコンと叩く癖があった。

びっくりするくらい実感がない。ちいさな思い出が度々去来するが、あんまり悲しくない。涙も出なかった。自分の家に帰って、本の梱包・発送、洗濯などの家事を終わらせて、最低限の荷物だけ持って実家へ向かった。次の日には普通に仕事をして、友人に「急に明日東京に行くことになったよ。しかも日帰りで」などと笑いながら話していた。なにかを失った感じがしなかった。

24日。チネ・ラヴィータで杉田協士監督『春原さんのうた』を観た。ちゃんと調べてなかったから、仙台で上映がはじまっていることも、今日が最終日だということも全く知らなかった。偶然に情報を見つけて、その場でチケットを買った。

はじまって最初の20分で堰を切ったように涙が出てくる。まだ何もはじまってないのに、何度も、何度もセーターの袖で目元を拭う。すこしはなれた席の老人がチラッと僕の方を見る。

誰かを決定的に失っている女性の生活が映されていて、それが眩しくて、綺麗でしかたがない。大切なひとにもう会えないということは、こんなにも静かなのか。
画面のなかを風が吹き抜けていって、やっと、喪ったのだと気づいた。祖父は僕のことを、生まれたときから23年間、ほんとうにずっと変わらず、可愛がってくれた。

今日、映画館に入るすこしまえに、潤羽るしあの契約解除を知った。彼女がまた他のホロメンといちゃついたり、ど突き合ったり、笑ったりしているのをもう二度と見ることができないということもまた、ひとつの決定的な喪失だと思っている。彼女の存在がヴァーチャルだったとしても、僕の「推し」ではなかったとしても、離別や死別と何ら変わりない、確実な喪失だと思っている。
(入不二基義が「死による離別と(例えば)転校による離別はなにが違うのか」という素朴な疑問から『現実性の問題』を書き始めていたことを、なんとなく思い出す。)

桐生ココも知り得ないほどのきめ細やかさで、リスナーひとりひとりの生活のうちにその「関係性」は生まれている。一人のアイドルに出逢えば、一つのコンテンツを知ってしまえば、もうそこに唯一のつながりが生まれる。個人的・私秘的でとんでもなくミニマルなんだけど、その人にとっては代替不可能な「日常の支柱」みたいな、つながり。手では掴めないけど、それが存在していることは強く感じられる。

(2021/10/1 健康診断で検尿だけ断固拒否するメンタリスト)

個々人の意識のコントロールを超えて、様々な色をあたらしく混ぜ込みながら、「つながり」が今もひとつひとつ生まれ、色濃く残り続けている。その「つながり」は時々、様々なかたちの離別を経て、細く薄くなったり、見えなくなったりする。この現象を「喪失」と呼んでいる。

23日。祖父に会いに行った。当たり前だけど、祖父はもう目を閉じたまま、動かなかった。「綺麗だなー」と思った。

父がどこからかアルバムを取り出してきた。じいじが撮った写真を自分でファイリングしてたんだよ、いつの間にこんなの作ってたんだろうね。妹が生まれたときの写真、僕がまだ岩手に居たときの写真、祖父母が世界旅行に出ていたときの写真、みんなで大阪に行ったときの写真、庭の花々の写真まで、時系列も被写体もぐちゃぐちゃに並んでいる。整理というより、そこにあった写真をとにかくどんどんファイリングしていった感じがする。

みんなで大笑いしながらアルバムをひととおり全部見ていった。父や伯父の小さい頃の写真もある。これ、お父さん?これ、俺。にいに(伯父)、めちゃくちゃドヤ顔してるじゃん。ほんとだ、俺すげードヤ顔してる。タオル巻いてる感じ、完全にビッグダディだ。お母さん、JKみたい。この頃はまだこういうのも着れたんだね。結構ばあばの写真もあるね。私の後ろの風景を撮りたいだけなのよ、じいじは。

写真は、祖父のまなざしだった。このとき、祖父のまなざしを追いかけるようにして、みんなで写真を見ていた。

『春原さんのうた』では、パートナーを亡くした沙知に向かって色々なひとがカメラを向ける。カフェにやってきた大学生は「大学の課題なんですけど」と念押しして、「食べているところを撮っていいですか?」と言う。前の職場の元同僚も沙知の写真を撮って、「みなさーん、岸さんですよ」となぜかスマホに話しかける。僕は、沙知を元気づけようとしているのかな、と思っていた。写真を撮ることについて、杉田監督は次のように言っている。

脚本を書いてる時は、どうしてこんなに写真をみんな撮るんだろうと、書きながら自分でも思ってました。いろんな映画祭を回ってく中で、そのことについての質問もよくもらって、答えてるうちに私もわかってきたんです。その人が目の前からいなくなってほしくないという願いがあるのかもと。とくに沙知に関しては周りにいる身近な人たちが、「この子は放っておいたら、ふっといなくなってしまうんじゃないか」という恐れや心配を抱えてると思うんです。喪失を予感してると言いますか。でも言葉では「大丈夫? いなくならないでね」とはきっと言えないです。深刻になりすぎてしまいますし。おそらく聞くことさえもデリケートというか、その一言が逆の効果になってしまうこともあります。そうした時に写真を撮ることは「今あなたはここにいる」という証にもなるし、「ここにいてね」っていう願いとしてもあるのかなって思うんです。

『春原さんのうた』杉田協士インタヴュー

写真を撮ると、「ここにいるあなた」と一瞬繋がったような気がする。そこにあるつながりと、「あなた」に注がれる感情を刻印するように、祈るように、シャッターが切られる。…と書きながら、たぶん祖父の撮影行為にそんな大げさなものは無かっただろうな、と少し笑う。でも、祖父も僕達とちゃんと繋がっていくようにして、つながりを確かめるようにして写真を撮っていたような気もする。よく分からない。


沙知のことを気遣って、いろいろな人が彼女の家に訪れる。ある日、叔父が家を訪れると、机のうえに二人分の皿が乗っている。(叔父が来るまえに、叔母と一緒に昼食を食べていたからだ。叔母はなぜか、叔父が来たことを知って押入れに隠れている。)叔父が言う。「あ、誰か来ていたの?」「うん。でも、今(外に)出てる」「あ…そう」。
「そう…」と何度か繰り返して、彼はいきなり声をあげて泣き始める。沙知は戸惑いながら、ティッシュを何枚か取って渡す。

ここで叔父はたぶん「(もう居ない)パートナーの分の食事も用意して、二人で一緒に食べたのかな」「自分の前では元気そうに振る舞っているけど、ほんとうはまだ辛いんだな」と勘違いしている。
ひとたびそう思えば、沙知の悲しみが自分に流れ込んでくる。そして、涙を流さない沙知のかわりに、声をあげて泣くのだ。なんて優しい、勘違いなんだろう。

優しい勘違いに、また優しくツッコミを入れるようにして、押入れのなかから叔母の吹くリコーダーの音が聴こえてくる。この三人がほんとうに嬉しそうに笑っている姿が、僕たち家族がアルバムを見て笑っていた姿に重なる。沙知は叔父が運転するバイクのうしろで、「おじさん、もう大丈夫だよ」と言う。叔父はまた、「そうか」と言う。


騒動が起きて割とはやい段階で、星街すいせいがこんなツイートをしていた。

「日常を取り戻せるように」ということばが慎重に選ばれている。配信に復帰できるように、元気になってほしい、またホロライブのメンバーとして一緒に、等々の「言えそうな」フレーズは避けられ、それでも「何か言う」「言わなきゃ」という思いに押し出されるようにして、「一日でも早く日常を取り戻せるように」とつぶやかれている。24日の契約解除以前、るしあの件について発言したメンバーは彼女以外居なかったと思う。(もちろん、安易な発言は火に油を注ぎかねないので当然と言えば当然だが。)

もちろん復帰できたらそれがいちばん良いと思っているけど、同時にそれがとてもむずかしいことだとも分かっているのだろう。だから、ホロライブに戻ってこれなくても良いから、配信どころかネットから離れていてもそれで良いから、まずはふつうに、ご飯を食べたり、誰かと話したり、外を歩いたりできるようになりますように。るしあの行動を責めるまえに、問題点を改善しようとする動きをとるまえに、彼女はただ「願って」いる。この先にある喪失を予感しているように見える。

このとき、丸裸で、ただ手渡されているものがある。ひとからひとへ、ひととひとのあいだに、ものすごく純粋に立ち上がっているものがあると思う。なにかを喪っている誰か、喪おうとしている誰か、あるいは、自分が喪うかもしれない誰かと。

静かだなぁ。綺麗だなぁ。何度も呟く。


転居先不明の判を見つめつつ春原さんの吹くリコーダー /東直子






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