土を入れただけの鉢
古今の英詩に適当なメロディーをつけて口ずさむのが好きだ。そのいくつかを動画サイトにアップしたら、先月ミコラという若い男性からコメントが届いた。
Good song!
「サンキュー、ミコラさん」と返信して、二人の会話が始まった。
「あなたの歌に触発されて、詩をウクライナ語に翻訳してみました」
ミコラはキーウ在住のウクライナ人だった。彼が翻訳したのはロバート・フロストの『そろそろ窓をしめようか (Now Close the Windows)』という短い詩。
「静かな日々が早く戻るといいですね」私はしみじみ伝えた。
「ありがとう。静けさこそ今一番必要なものです。あなたの歌はヴァレンティン・シルヴェストロフの作品を思い出させます。癒やされます」
鼻歌をほめられて汗が出た。
シルヴェストロフはウクライナの有名な作曲家で、今はおそらくキーウから疎開中の御年84歳。穏やかなピアノ曲集は私の愛聴リストに加わった。
数日後、オクサナさんという女性から別の鼻歌へコメントが届いた。シェイクスピアの『夏の夜の夢』の子守歌を、彼女は繰り返し聴いてくれたらしい。
「キーウはまもなく夜です。一日の終わりに歌が聴けてうれしい」
ロシアのウクライナ侵攻はいつまで続くのだろう。
ほんのひと月前まで私にとってウクライナ人は4千万人を一括りにした総称にすぎなかった。彼らの境遇に同情し、ぼんやり平和を祈っていたが今はニュース映像を目にするたびミコラとオクサナとヴァレンティンを思う。みんな静かな夜を過ごせているだろうか。
インターネットのおかげで世界は近くなったように感じられるが、相手を総称で呼ぶうちは、じつはそれほど近くない。総称は土を入れただけの鉢だ。そのままでは何も芽生えない。小さな種を植えて初めて世界は息づくのだろう。
私たちは日々多くの鉢に囲まれて暮らしている。たとえばLGBT。あるいはシングルマザー。それら総称の中にひとつでも友情が芽生えれば、心ない発言や軽はずみな行動は減ってゆくのではないか。
種を育てよう。偏見の雑草を除きながら。
そろそろ窓をしめようか
・ ・ ・
窓をしめれば 野原は静まり
木々も静かに ゆさゆさ揺れる
・ ・ ・
窓をしめれば 風も聞こえず
ざわざわ吹かれる あらゆるものが
ただ見えるだけ
ミコラがフロストの詩に惹かれた気持ち、わかる気がする。
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