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分かれ道で詠んだ、秋の日の一句

 俳句を始めて間もない頃、クオと名乗っていました。

 当時近所の林をねぐらにしていたカラスが、私がコォと呼びかけるとクォと返してくれてそれはもうかわいかった。鳴き声をそのまま俳号に拝借しました。

 最初の数年間はクオの名であちこちの句会へ出向いて武者修行。俳人の大木あまりさんと吟行で野山へご一緒する機会も何度かあり、私は幸運な駆け出し俳人だった。

 初夏のある日、あまりさんから連絡が。
「クオさん、吾亦紅の句があったら出しなさい」

Wikimedia Commons より

 ワレモコウ。
 秋の野山で見られる細長い野草です。

 三句ほど見つくろって彼女に手渡した数ヵ月後、わが家の郵便受に一冊の雑誌が届きました。

『世界週報』は時事通信社が1945年に創刊した国際政治経済専門誌。大木あまりさんはコラム『俳句私想』を連載していました。

 その中で私が詠んだ吾亦紅の一句を紹介してくれたんです。

 大先輩が拙句に寄せてくれた一文にはっとしました。

 あまりさんのご推察通り、この句は獣道でなく花屋の店先で詠んだ句です。銀座の裏通りで見つけた野草専門の花屋。すらりと伸びた吾亦紅を見ていたら幼い日の情景がよみがえってきたのでした。

 日本中に野原が残っていた時代。生活圏のすぐ近くに狸や野良犬のけものみちがありました。トトロのねぐらに通じていそうな草むらの細い道。二股に分かれていたら一方を選ばないといけない。たとえ誤った選択でも前へ進むしかありません。家に帰るとセーターが牛膝いのこずちだらけでした。

 掲載誌が発売されたのは2001年9月。
 そう、あの9月です。

 米国の同時多発テロ事件が世界を震わせ、そのあおりで私は仕事が減り、健康に翳りが差し、あちこち歯車が軋みはじめていました。

 仕事はどうなる。世界はどこへ向かうのか。
 不安が募るほどにあまりさんの仄暗く美しい一文は暗示的で、身にしみました。

 活字になった吾亦紅の句は、私の小さな宝物です。

・ ・ ・ ・ ・

 尊敬する大木あまりさんの句をいくつかご紹介します。

















「ちょっとだけ踊ってくるね」と
盆踊りの輪に加わった人の、
一周ごとになめらかになる動き。















厚着のすきまから
湯気がたちのぼってきそう。
ほかほかと、生の実感。















ゆるやかなうねりの向こうから
ふわっと浮かぶアイデア。
案外コロッケだったり。

















横並びしか許されない男雛女雛。
向き合わせに置いてあげたくなる
少女の気持ちも垣間見えます。















半夏生はんげしょうは陽暦7月1日頃。
水面を揺らす湿った風のにおい。
何層ものゼリーの透明感。



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