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意思決定レイヤー・会社の威を借る狐達

原価厨(げんかちゅう)という言葉を聞いたことがあると思います。

あるサイトから拾ってきた説明では
『その商品を作るのに原価としていくら掛かっているのか、といったことばかり気にしている人たち』に対して使う言葉で、
『原価が分かると、次は決まって販売価格が高過ぎるなどと文句を言い始めるのが特徴』だそうです。
例えば、ラーメン屋さんで一杯のラーメンが1000円だとした時、そのサービス提供にかかっている人件費や場所代などを考えずに、「原価が300円くらいだから、1000円という価格設定はぼったくり!」みたいな思考をする人たちだという事ですね。

特に飲食店では、こういう物的触感を伴わない『サービス』であったり、『場所』を確保している事にもコストが発生しているという事に思い至らないケースが多いのでは無いでしょうか。
居酒屋で「お湯割り一杯400円は高いな」みたいな事を思った経験はどなたにもあると思います。

材料費だけではない、サービスや場所代、さらには経営者への利益もお支払いする。当然です。
全てに価値があるのですから。


ドバイ駐在時、投資ファンドの経営をしていた友人とこんな話をした事があります。
曰く、資金を預かり運用した利益については、その5割を顧客から報酬としてもらい受ける。当然元金保証などは無い。その条件でも良い人からしか資金は預からない。

当時は相当に驚きました。
何の原価もかかっていないビジネスに、そんなに報酬をとるものかと。

彼は続けます。
どのように金融商品を分析し運用するか、その基本は教えてあげる。
それでも、俺が自分で分析調査した結果、具体的にどの銘柄をいつ、どれくらいの規模で買っていくのか、まっちゃんでもそこは絶対に教える事は出来ない。その情報にこそ価値があるからね。


『その情報で何千万と稼ぐ事が出来る。』
その時初めて、「物質を伴わないモノ」への価値をまざまざと痛感しました。(情報商材を売ろうとかそういう話では無いので安心して読み進めて下さい。)

『価値があるとは、市場における値段が高いもの』が私のもつ概念でした。
つまり、値札がついて、そこに書かれてある金額が大きい物にこそ価値がある。

高級車であったり、宝石であったり、もちろん札束でもいいでしょう。
そういう物質としての価値というモノサシしか持っていなかった。
原価厨と同じですね。


ここからが本題です。
職場におけるあなたの価値とは何か、考えた事はあるでしょうか。

少し抽象的に言うと、
営業であれば、市場調査を精度よく実施し、多くの顧客を獲得する。
設計であれば、限られたリソースの中で最適化されたデザインを生み出し図面に起こす。
サービスであれば、顧客の問題を解決し感謝して頂く。
このように、職種に対する業務的価値は何となく想像できますよね。

一方で、私がここで展開したい論旨はもっと細分化された価値です。
どういう事でしょうか。
例えば、分かり易い価値を生み出す行為として例を挙げると
「職場を綺麗に保つ。」
「切れたコピー用紙を補充する。」
「パソコンのシステムエラーを解決できる。」

どれも価値のある役割である事に疑問は無いと思います。
本社に知り合いが多く、人事の情報がいち早く入って来るような人脈なども、もしかしたら価値があるかも知れません。

さて、ここで見落としがちな、もしくは「それって価値があるの?」という疑問すら持たれるかも知れないモノがあります。

「複数の選択肢から一つに決める」という行為。
間違えた選択肢でも構わない。
決める事ができる、という事が重要で、これは大いに価値がある行為だと考えています。


「決める」という行為は非常にエネルギーを使います。

選択肢を相応に分析し、絞り込んで絞り込んでようやく正解と思しき選択肢に辿り着く。しかし、せっかく辿り着いた選択肢が間違っているかも知れない。選択を誤った場合は負い目を感じるでしょうし、責任問題に発展する可能性すらある。
また、正解があるならまだマシな方で、方向を決めたところで正解かどうか分からない、そもそも正解なんて無い、という事も非常に多い。

ちょっと決めらんない。誰か代わりに決めてくれ。

「今日何が食べたい?」って聞かれて、「何でもいいよ」って言う人。
典型的な『決める事から逃げる人』です。
「何して遊ぼうか?」「何でもいいよ」
「旅行の計画、一緒に考えよう」「行きたいとこ選んでいいよ。ホテル?どこでもいいよ。」

どうでしょうか。できれば「決める」という行為から逃げたい。
分析めんどくさいし、正直どっちでもいい事だってあるし、自分の意見を主張すると相手が不快になるかもしれないし。
いろんな決めたくない理由が湧いて出てきます。

だからこそ、「決める」事ができる人には価値があると考えます。

もしかすると、会社員にとってはヒラより管理職に付きまとう問題かも知れません。管理職には最終的な意思決定を求められる機会が多い。

ここから、少し話は横道にそれます。


会社の役職についている人で、自分は偉いと勘違いしている人は多いのでは無いでしょうか。
部下に対して横柄な態度で接する事は、勘違いしている方の典型的行動パターンだと思います。
人を呼び捨てにする、丁寧語を使わない等、社会人として相手に敬意を払えない上司は一定数いる事でしょう。

ちなみに、ここではパワハラには言及しません。
個人的には、パワハラを働く人は他人の気持ちを考える事ができないという脳に欠陥のある人(病気もしくは不完全人間)であり、ここで論じる相手を見下す行為とは一線を画しているというのが私のスタンスです。

実際に私が副業をして痛烈に感じた事の一つに、
『いかに自分が会社の看板に守られていたか』という事があります。
取引先があなたを敬うのは、あなたが偉いからじゃない。○○という会社の△△という役職であるからに他ならない。
そんな肩書が無くなった瞬間、今までおもねっていた彼ら彼女らは、たちまちあなたを相手にしなくなるでしょう。

あなたがサラリーマンだとして、もし会社という肩書が無くなった時、虎の威を借る狐よろしく、あなたは圧倒的な無力を感じるはずです。


始めて収益アパートを買って半年後、10部屋中4部屋が一気に退去した時がありました。アパートから最寄りの駅の沿線の不動産仲介業者を駆けずり回って営業した時の、あの心細さは今でも忘れられません。

たかだか築30年の小さいアパートを持った業界入りたての弱小大家。
部屋の家賃は3万円に満たない。そんな何者でも無い私を彼らが丁重にもてなす道理など無いのです。
(やや誇張しています。正確には新味に協力してくれる業者さんもたくさんおりました!)

あなたが会社で働く時、あなたは会社の一員という属性を持ちます。
副業をしないサラリーマンであれば、それは四六時中あなたの属性となり、いつしかそれは自分と一心同体であると勘違いしても仕方の無い事なのかも知れません。確かに会社はあなたの人生の一部でしょう。ペルソナと言ってもいい。しかし全てであるはずはない。

みんなが俺の顔色をうかがいご機嫌を取って来る。
俺はなかなかの人物なのでは無いか、どうやら俺は偉い人物のようだ。

会社の中の閉じた座標軸では彼の立場は右肩上がりとなり、それが絶対だと信じます。

ところが、会社の外から見ればそんな座標軸など何の価値も無い。

では、組織における「上司」「管理職」とは何でしょうか。
尊敬はあれど「人として立場が上だ」「偉い人」的なヒエラルキー上位の人格などでは無い。
一体何なのか。

それは、『意思決定のレイヤーが違う立場の人』と言えるのではと思います。

かみ砕いてい言うならば、「最後には決める役割の人」です。
決めるんだから、当然責任のある立場になる。
でも偉いとかじゃない。役割が違うだけだろうと。



上司であれ、人間です。
人間ですから、当然他人から良く思われたいし、嫌われたくありません。
組織に損失をもたらす事は避けたいし、責任も取りたくない。

上司が部下を業務にアサインする時に、「こんな事頼まれたらいやだろうな。」なんて気を使いすぎる上司もいるかもしれません。
AさんとBさん、どちらに仕事を振っても大差ないように思える。
どちらにお願いしようかな、などと、両名の顔色を窺いながら申し訳なさそうに仕事をお願いする。もしくは、言葉を濁しながらお願いし、相手からの「私がやりましょうか」という言葉を引き出す。

リーダーとして、組織の意思決定が求められる事もあるでしょう。
部下が抱えきれなくなったトラブルを前に、組織としての方向を決める。
正解かどうか分からないけれど、最終的には自分が決めるという役割を果たさなければいけない。

言われれば、「なんだそんなこと。管理職なんだから当たり前じゃないか。」と思う人もいるでしょう。
それでも、何かを決めるという事は『しんどい』。

それを意識する事で、『簡単に他人に意思決定をまる投げする』事も無くなるのではないでしょうか。良く分からないけど、自分で決めるぞ、というマインドになる。そしてそれは、大変に価値のある行為であると知って欲しい。


会社において、私は管理職という立場です。
迷いながら、ストレスを感じながらも、「決める」行為からは逃げたことはありません。
それこそが私が組織に提供する価値であると信じているからです。
周りを見てください。以外と、決める事を避けている人は多くありませんか。

同時に、部下や外部の取引先に対して、自分が上位の人物であると思ったことはありません。
会社のマネージャーという役割をこなしているに過ぎない。
むしろ、どんなに小さい取引先であれ、自身で法人を経営されている立場の人には尊敬しかありません。


纏めます。
事実はひとつ。
私は〇〇会社の△△部署のマネージャーである。

ある人はこの事実をして、「俺は天下の○○会社の△△を統括している優れた人物である。あなたよりも偉い。」と解釈するかも知れません。

一方で、私の目線で見るならこうなるでしょうか。
「私は△△における「決める人」という階層にアドレスを割り当てられている。決めるという職務を全うし、組織に価値を提供する。」



目に映る社会の景色は、昨日も今日も変わりません。
昨日と同じオフィスが、今日もあなたの目に映る事でしょう。
それでも、こんな思考のプロセスが、あなたの見る世界を違ったものにするかも知れない。

世界をポジティブに変化させるヒントを見出すかもしれない。

そんな価値を生み出せるとしたら、こんなに幸せな事はありません。

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