見出し画像

私の小さな一歩

希望を持つということは、簡単なことではない。

僕はネガティブ思考がベースで落ち込みやすい。心配性だし臆病だ。だからいつも明日の心配をして生きている。
しかし、それと競い合うくらい頑張る性格でもある。自分でも言うのもなんだけど結構真面目な性格なので一度決めたことを妥協せずやり遂げようとする。もし自分の長所は?と問われたら「真面目なこと」くらいしか出てこない。

だけど現実世界では、いくら真面目に努力をしても良い結果が得られない、希望が持てない、と言う事態は普通に起こる。そんなことの方が多いよな、と思っている。

4年ほど前のある朝目覚めると、顔の右半分が動かないことに気づいた。僕は顔面神経麻痺と言う麻痺状態になって顔の丁度右半分の筋肉が意思に従わず動かなくなってしまった。
会社を休み病院に通いながら自宅での療養となった。丁度その頃、コロナ第1波のニュースが毎日毎日流れていた。ステイホーム、僕はまさに、ステイホームな病人だった。

真因は結局のところ、「疲れとストレスでしょう」ということだった。医師はそのように言った。この症状について人と話すと、「頑張り過ぎたんだね」といって同情されることが多く、ストレスによって引き起こされると言う認識の人が多いようだ。

僕は病院でもらった薬を飲みながらステイホームしていた。毎日が不安で仕方がなかった。初めてのことだったので治るのかどうかが心配だった。反面、仕事を休むことについては何やら大きな荷物を下ろしたように張り詰めていた緊張が緩むのも感じた。
あの頃は、会社で小グループのリーダーとして毎日朝から夜まで働き、移動時間で勉強したまに休日も働きながら当時1歳の子供の世話もしながら、まあよく頑張っていた。毎日闘いながら、消耗しながら。
多分、もうついていけません、と僕の身体が故障してしまったけどおかげでブレーキをかけることができたとも思う。

そして僕は、これが自分の限界なんだなあ、もうこれ以上は頑張れないんだなあ。と言う気持ちになった。悔しさや脱力感やら、ステイホームの運動不足やらで、ぼんやり晴れない気分で毎日を過ごしていた。
なんだか悪い夢をみて夜中起きたりして気持ちがふさぎ込んでいった。

そのうち妻の実家へ一時居候することになった。依然ステイホームの中、義理のお母さんは僕の症状に関していろんな人と話をしたり情報を集めてきた。あの人もなったらしい、こんな治療がある、民間療法なんてどうだ・・。話に耳を傾け、行ける場所にはいきできる症状改善の手段は様々やってみることにした。コロナ禍で病人を預かることはそんなにウェルカムではなかったはずだが、僕の様子を見て周囲のみんなも心配してくれていろんなアドバイスをしてくれた。
しかしあまり症状が改善しなかった。

しばらく経って、ポストに手紙が届いた。それは、仕事のお得意先の方からの手紙だった。そこには、自分も体調不良で会社を休んだことがあること、こんな時はむしろ肩の力を抜いて楽しむくらいの気持ちでいいんだよ、というアドバイスなどが鉛筆で書かれていた。
そこにはこうも書いてあった。大きな流れに乗り、水のようにしなやかに、生きていたいと、自分は考えているよ、と。
僕は、将来に渡り自分にとって尊敬すべき大切な人にであえたことに感謝した。

僕は焦らず考え過ぎず時間の流れに身を任せてみることにした。
時間が薬になるだろうと思いながら過ごすことにした。不安は不安で依然とあるが、でも毎日やることを見つけ、作業したりすることで自ずと心配事を集中して考える時間は減り、気づくと数ヶ月経っていた。
そのうち、少しずつ、僕の右顔面は目を覚ましたように動き出した。

会社を休んで5ヶ月経った時、自分でも不思議なくらい自然な発露として、仕事をしたいと思うようになっていた。もちろん元通りの働き方はできないだろうし、会社側としても病み上がりの人間に対して、それなりに考えてポジションや職場を用意しないといけない。これまた心配の種はしっかり撒かれているが、そこを歩いてみようと思う自分がいた。

落ち込んで、たくさん心配して不安に苛まれた。たくさん弱音を吐いて、人と話をして、頼ったりした。意味や効果があるかわからないこともとりあえず素直にやってみた。
過ごした時間は決して密度の高いものではなかったし無駄なことも多かったと客観的には思われそうだが、それでも、時間の薬はそれなりに効いていたんだと思っている。
そうして今、僕はまた同じ会社で働いている。本当にありがたいことだと感じている。周りの方々との励ましや助言が塞ぎ込む僕を救ってくれたのだと思う。一人きりだったらまた歩き出せたかどうか、分からない。

僕が、また歩き出したいと思えたとき、この気持ちを記録するために作った曲。「MY LITTLE STEP」


希望を持つのは簡単なことではない。

青い鳥はやってこない。
希望が向こう側から手を振ってやってきてくれることはない。
猛ダッシュで希望に向かって走っても、それは遠ざかり消えかけてしまうこともあるしそのうち走り疲れて足が痛くなったりする。マラソン選手なら、遠くまで走るための体と心の使い方を知っているだろう。でも、途中でまさかの落とし穴、なんてこともあり得る。

今でも僕はたくさんの障壁に当たり、いろんな種類の不安の中にある。これから先、もっと予期せぬ大変な事態が起こりうる。だからやっぱり僕は、明日の心配をしている。

それでも生きていく。失いながら、生きていく。希望は見えない。希望は持てない。それでも、毎日の生活と仕事に集中する。いろんなことを考え、人と話して、試してみたりやり方を変えてみたり、時には諦めてみたりしながら、時間を過ごしている。

希望が持てない時は、そうやってとりあえず何かやってみながら時間が過ぎていくのを待ってみるのもいいかもしれない、と思っている。そのうち希望らしきものの兆しみたいなのが見えてくる、かも、しれない。
偶然だがステイホームだった僕の療養生活も今思えば、まあとりあえずじっと時間を過ごす、ということの体験をさせてくれた出来事ではあった。

こうしてここまで書き進めたのだが、結局、歩きだせないときは同じ場所に止まって休んでみたりジタバタしてみたりしながら時の流れに身をまかせてもいいよねという、なんかどこかで聴いたことのある歌詞みたいなことになった。

まあ、そういうことなんだろうね。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?