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信頼できる人は自信を持っているという話

Webコンテンツを作る際に重視される指標としてE-A-Tがあります。ご存知の方も多いと思いますが「専門性・信頼性・権威性」のことです。E-A-Tが高いコンテンツは検索結果の上位に表示されやすくなります。検索ユーザーにとって有益な情報となるからですね。

この指標で大切なのが「誰がいったか」です。例えば、病気のことを知りたいなら「厚生労働省」、「病院」、「製薬会社」などの情報が出てきて「個人ブログ」の情報はほぼ出てきません。

医療系は例として分かりやすいですが、他のジャンルは難しいですね。例えば「働き方」や「採用方法」はどうでしょう。一概に○○の情報が正しいとはいいにくいところです。

そんな、一概に正しいといえない情報において、どうすれば「信頼できる情報」と認められるのか。Webであれ、リアルであれ、誰もが最初は無名から始まります。ゼロから信頼されるには、有益な情報を発信し地道に他者からのお墨付きを増やしていくしかありません。

Webコンテンツなら、引用、SNSシェア、被リンク、それらがどのような場所・人からのものか、またその数など、蓄積されていくことで、この情報元は信頼できると認められていきます。(もちろん、実際にはもっと複雑だし、そもそもコンテンツの内容がもっとも大事という前提になる)

Webだと実績ベースで信頼が積み上がっていきますが、リアルだと実績だけでなく「人柄」とか「振る舞い」、もっと抽象的な「雰囲気」なんかが、その人の信頼度に関係してくるなと感じています。

全く知らない初対面の人でも、なんとなくこの人は信頼できる人だと感じることってありませんか?そう感じさせる理由は、その人の「自信」なのかもしれません。伝えていること、話していることに対して自信を持っている人の言葉は、こちらを安心させてくれます。

最近の自分のエピソードだと、動物病院で愛猫の検査を受けた時です。その時は、院長先生ではない若手の先生に観ていただきました。先生ですから、きっとものすごく勉強して知識も持っておられるはずです。だから診察してくださった内容に間違いはないと思います。だけど、仮にそれがクリティカルな診察だったとしても、その時はものすごく不安になりました。

別に若手だからと始めから敬遠してはいません。話し方、質問に対する回答、表情、それらで作られるその先生の「雰囲気」から不安を感じずにはいられなかった。「なぜだろう?」と考えた時に、「自信なさそうに感じる言葉の歯切れの悪さかもしれないな」と思ったんです。

信頼できる人は「自信」を持っている(もしくは、そう見える)。文章でも「~~と思います」と書かれているよりも「~~です」と言い切られる方が説得力が増します。これも、文章から書き手の自信や間違いないという確信が感じられるからですね。

『自分が発信していることは、どこに出しても恥ずかしくないと自信を持っていえるか?』こうした自問自答は、常に必要なのかもしれません。

※補足
若手の先生はとっても良い先生なんだと思います。病院も、愛猫を助けてくれた素晴らしい病院です。今回の話は、僕自身の猫に対する強すぎる愛情バイアスがかかっているので、そんじょそこらの先生では信頼できないというだけです。(つまり僕のわがままでもある)

ただ、ふと振り返って考えてみた時に、自分は何を持って信頼度を測っているのだろうと考えたら、こんな気づきがあった。これはちゃんと伝えたら誰かにとっても何かの気づきになるかもしれないと思って書きました。だから病院も先生も好きです。

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