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001:業績が上がっても、歯車がかみ合わない|クレイジーで行こう!第2章

「Less is more」

「神は細部に宿る」という言葉で有名な建築家ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエはかつて、「少ないことはより豊かである」という考え方を提唱した。Less is more...  もともとは建築家の信念を表したと言われるが、シリコンバレーのベンチャー界隈では別の意味を持つ。

お金が潤沢にある会社には、当然ながら「給料の高い」「安定した」仕事を求める人が集まってくる。つまり、お金がない創業期に集まる人は、お金ではなくそれ以外のものを求めているのだ。

シリコンバレーでの「Less is more」とは、資金調達をしすぎてはいけないという戒めの言葉だ。会社内に安心感が醸成されれば、安心を求める人がやってくる。僕たちがやりたいことは、そんなことじゃなかったはずだ。

多くのベンチャー企業は、創業時にもがき苦しみながら事業を大きくしていく。ところが、M&Aによる事業売却後やIPO(証券市場への株式上場)後には、創業時の熱量が保持できなくなると言われている。でも、設立して5年が経とうとする今も僕は、「創業時の熱量を維持できるか?」という命題を問い続けたいと思っている。

このnoteでは、僕の新たなチャレンジをリアルタイムで綴っていく。創業当初から3年間を綴った『クレイジーで行こう』(日経BP社刊)の第2章として、シリコンバレーのベンチャー企業が歩む道を、ここに記していきたい。

第1回目は、残念ながらあまりポジティブな内容ではない。でも傷みがあるからこそ、変わることができる。まずは昨年の苦しい経験から、読んでいただきたいと思う。

『クレイジーで行こう』につづったフラクタの軌跡

僕がCEOを務めているフラクタという会社は、アメリカはカリフォルニア州のサンフランシスコ・ベイエリアに拠点を構え、人工知能ソフトウェアを開発・販売している。

このフラクタ、僕にとっては2度目の起業になる。思い起こせば、1度目はヒト型ロボットベンチャーだった。もうずいぶん昔の話になるが、これは2013年にアメリカのグーグル本社に会社を売却する形で幕を閉じた。

フラクタは、ふたたびロボットベンチャーとして、別の業界に賭けてみたいと思い取り組んだ会社だったが、紆余曲折あり、最終的に新たな人工知能ベンチャーの創造につながった。その経緯をリアルタイムで日経ビジネス電子版に連載し、3年近くの生々しいストーリーをまとめたのが『クレイジーで行こう』(日経BP社刊)だ。

フラクタが扱うソフトウェアは、機械学習を使ったデータ解析により水道管の劣化を予測するもの。これにより、水道会社は高い精度で水道管の破損状況を推定でき、低コストでの管理ができるようになるのだ。

『クレイジーで行こう』では、僕たちの事業が軌道に乗り、水処理の世界大手企業である栗田工業に株式の過半を売却する2018年までを描いている。この事業提携は双方にとって友好的な企業買収取引で、僕は今も変わらずフラクタのCEOを務めている。

買収されるとカルチャーが変わるのは仕方がない?

「買収されて1年くらいで社員は半分くらい入れ替わるもの。驚くことはないよ」

僕が昨年の10月頃にヨーキー松岡さんに相談した際に言われた言葉だ。彼女は、Googleの研究機関であるGoogle Xの共同創業者で、シリコンバレーにおいては日本人で最も有名な人のひとりだ。

なぜ、彼女に相談をしたか。

フラクタを栗田工業に売却してから1年半、売り上げは少しずつ積み上がっていた。アメリカの50州のうち27州、60社と契約を結んだ。日本でも3社との実証実験がスタートしており、いい結果が出ている。さらに、水道事業が完全に民営化されたイギリスでも、18社のうち2社と実証事件を進めている。

さらには、フラクタのソフトウェアは水道だけにとどまらず、東急電鉄とともに取り組んでいる鉄道系の電気設備や、東邦ガスのガス配管の故障予測としても実証実験を始めた。たった35人の会社で、手当たり次第に事業を進めてきたのだ。

ところが、いろいろなところでほころびが生まれていた。そのことにはっきりと気が付くのに、僕は1年半もかかってしまったのだ。

初期メンバーが続々と会社を去っていく

最初は、ラースさんの退任だった。『クレイジーで行こう』を読んでくださった方なら、特に思い入れが強いと思う。たくさん笑い合い、喧嘩して、ハラハラする冒険を共有しながら、二人三脚で会社を成長させてきた共同創業者だ。

彼は太陽のように陽気で明るく、本当に素晴らしい人だ。ところが栗田工業に売却をしてからのフラクタは、ラースさんにとってアドベンチャー性がなくなってしまった。彼は根っからの起業家で、「生きるか死ぬかがわからない」「歴史を変えられるかもしれない」という生き方が性に合っているのだ。

ラースさんが退任したのは、2019年の2月。このタイミングで彼がフラクタを去ることが、僕らにとって、もっともよい選択であるという判断だった。ものすごく長い時間をかけ、何度も話し合って出した結論だ。

よく芸能人の夫婦が離婚をすると、「離れて暮らすことが2人にとってもっともよい選択だ」「これからもよい友達です」などといったレターをメディア向けに発表することがあるが、僕はそれを茶番だと思っていた。ところが、ラースさんとの別れを経験したあとは、人生にはそんなこともあるのだと、初めて納得をした。

ラースさん退任の後は、寝る間を惜しんでフラクタの初期アルゴリズムを完成させたCTOの吉川君だ。昨年9月末のある日、急に燃え尽きたように、「辞めさせてほしい」と言ってきた。

最後は、セールスの責任者だったダグ。12月20日に「年末で辞めさせてもらいたい」と連絡があった。ガス配管を分析する人工知能の会社に移るという。いわば競合からの引き抜きだった。

初期メンバーに殴られたように、ようやく気が付いた

改めて振り返ると、昨年フラクタを離れた初期のメンバーたちは、なぜあそこまで懸命に力を預けてくれたのだろうか。ラースさんは僕と苦楽を共にし、ダグは鞄ひとつで世界中を飛び回っていた。吉川君は、睡眠不足で風呂に入り、冷たくなった浴槽で目が覚めたこともあったそうだ。

こんなにも優秀な仲間たちが、なぜ狂気にも似た危うさを感じるほどに人生を賭けてくれたのか。そこまでしてくれた彼らに、僕は報いることができたのだろうか。

創業当時のメンバーは、仕事に賭ける想いが桁違いだ。昨年あたりに入社したメンバーは、「世界を動かしたい」「水道事業を改革したい」という想いではなく、良くも悪くもフラクタの事業を、「仕事」として捉えていた。

長時間労働が必ずしもよいことだとは思わないが、彼らは自分の責任範囲だけを片付けると、17時に帰宅してしまうのだ。会社のモメンタム(運動量)が落ちていることに、僕はずっと気が付いていた。でも、しっかりと目を向けることができなかった。

ラースさん、吉川君、そしてダグが辞めたあとの2019年12月31日、僕は全スタッフにメールを送った。

「フラクタはたくさんの事業に手を伸ばしてきたが、来年からは水道事業一本に絞る。目の前に来たさまざまな仕事を手づかみで処理してきたが、やればやるほど人間関係が希薄になり、何もかも散り散りになってしまう」

事業の範囲を絞ることで、創業当時のエキサイティングな気持ちやエネルギーを、もう一度取り戻したい。僕はそう強く思っていた。

・・・・・

今回のnoteから、『クレイジーで行こう』(日経BP社刊)の第2章をスタートするにあたり、改めて、僕の考えや、これまでの実績を紹介したい。下記のリンク先にある動画は、CS放送 TBS NEWSの『Dooo』に出演したときのものを、数分にまとめてもらったものだ。

https://www.facebook.com/watch/?v=837121623443678

見てわかるかもしれないが、僕はガッツと情熱で突っ走るタイプ。その一方で、理屈っぽいところもある。そんな僕のキャラクターを踏まえれば、ここのnoteで記していくリアルなストーリーが一層楽しんでもらえるにちがいない。輝かしい側面だけでなく、うまくいかない部分もできるだけ正直に綴っていく。

(記事終わり)

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前編20分:

後編20分:


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