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2021年1月1日元日のエントリーということで、昨年の振り返りと今年の抱負を、今考えている事をベースに書きたい思います。

「生きる」と「働く」

いろんな人が書かれている通り、昨年は地球規模で色々なことが起こった。3月には日本でもコロナウイルスが流行し始めて世界中でもロックダウンが起こり働き方や生き方が大きく変わった。テレビでは医療体制のひっ迫が連日報じられ医療従事者への感謝も差別も伝えられた。世の中が混沌とし、同世代の芸能人の方の自殺もあった。昨日までの当たり前が決して当たり前ではない世界。仕事もリモートワークとなり、人と会って話し笑いあえることがとても愛おしいものだとこれほど感じた年は自分含め多くの方にとってなかったんじゃないかと思う。

ものすごくばくっとしているけど、今でも遠くにいる家族とは気軽に会うこともできず、海外の美しい風景を見にいくことはできない。働く中でもいろんな試行錯誤が求められ、また自分の弱さ含めて自分という人間の一面をいつもとは違う側面から突きつけられ、知れた一年。

先日、学生さんとの社員面談の機会にこう問われた。
「半澤さんが人生で大切にされている価値観はなんですか?」いつもは僕が聞く側の質問。運よく大学の就職活動の時に「自分の人生をどう生きていくか」軸を決めることができていたし、その後何度も自問することがあったからいつでも答えられる自信があった質問。けれど、なぜかその時はパッと答えることができなかった。大事なことを大事にできてない感覚というと自分の中では語弊があるけれどそれでも少し忘れかけていた感覚を取り戻すことができた瞬間。

仕事柄、就職活動中の学生さんや転職活動や(社会)起業・事業立ち上げに一歩踏み出そうとされている社会人の方と話す機会が多く、「仕事」という側面から色んな方の人生に触れる機会は多い。

ただ、改めて「生きる」ということや「人生」とはなんだろう。「働く」ということはどういうことなんだろうか?と考えるきっかけをもらえた面談でした。
皆さんにとって、生きるとか働くとはどういう意味を持っていますか?そして「生きる」上で大切にしている価値観はなんですか?
今回募集中の「#はたらくってなんだろう」は、そんな「生きる」ことと「働く」ことの距離(人生における「働く」ことの役割)を問われている気がしました。

偶然にもtwitterで投稿した内容。マズローの欲求階層をベースとすれば生理的欲求や安全の欲求が満たされつつある現代(高度経済成長時はこの獲得をずっと追いかけていたんじゃないかと感じています)は、より高次の承認欲求とか自己実現欲求という自分の在り方や存在証明が「働く」ことに求められている気がしています。

皮肉にも今の時代は、環境問題に関しても次の世代から多くのものを前借りしている状態。投資周りから見ても企業は売り上げ・利益の追求だけではやっていけない時代にもなってきました。商品はコモディティ化し機能での差別化はどんどん難しくなり、商品の背景や商品を作っている人の思想が購買を左右する時代になってきました。そういう意味では今は、働く場所や分野・仲間は「何を作っているか」ではなく「なぜ作っているか」で選ぶ/選べるような時代になってきたじゃないかと思います。

「生きる」と「働く」の距離感が近づいている時代。これまでの当たり前が当たり前ではあり続けられない時代。昨日までの正しさが今日この瞬間変わっていく時代。そういう何が正しいか分からない時代だからこそ、その人生の手綱を「他人がこう言っていたから」ではなく「自分で握れている感覚」が人生を目一杯生きるために必要なことなんじゃないかと改めて感じています。

僕にとって人生の大切にしている価値観は横文字ですがメメント・モリ(死を思え)カルぺ・ディエム(その日を摘め)。昔の武士は、今日で終わるかもしれない人生に悔いを残さないために、その日その日を身なりを綺麗に整えることから始めていたといいます。極端に言えば自分の人生もどこでどう終わるか分からない中、終わりを思うからこそ、今日この瞬間を一生懸命生きていたいという思いでこの二つの言葉を大切にしています。仕事をしている時間も、人生の大切な時間。だからこそ「働く」ことも、いつ終わるかもしれない人生を目一杯生きたと言えるような自分のやりたいこと・充足感が感じられる仕事をしていたいと思っています、そして他の方にとってもそういうものであって欲しいなと勝手ながら思いいつも話させていただいています。

不確かな時代の処方箋

僕は一浪して大学に入学しました。一年間予備校に通わせてもらう中で、尊敬できる講師の方達と出会い記憶に残っている言葉があります。

「何になるかは決められないけど、どうありたいかは決められる」

調べればいろんなことをgoogleが答えてくれる今の時代はすぐに答えを求めてしまうきらいがあるように感じています。しかしこれからの時代は、正解がどんどん変わっていく何が正しいか分かりにくい時代。これまでのように誰かが答えを持ち続けてくれるわけではなく、どこかに答えがあり続けるわけではないので、「答え」をすぐ求めようとする生き方は苦しくなってくる気がしています。

そんな時代を生きる中で、こういう生き方が良いんじゃないかなと思っているのは「今どうあるかを決めて、一生懸命生きる」という生き方です。
今日をどう生きるかは自分が手綱を持って決められることだと思います。この自分の人生に手綱を持てている感覚、自分の生活をコントロールできている感覚は、今の時代を生きる中でとても大切だと感じています。
決して努力すれば必ず夢が叶うとかいうことではないけれど、何かの方向性に向け日々自分がどうあるかを積み重ねていくことでその先には必ず何かが残る気がしています。

今やりたいことがはっきりしていないとしても、これまで積み重ねてきた嗅覚・感覚を元にこっちの方向性(生き方)にいきたいなと思う方向へあり方を積み重ねるという生き方。面白いことに事を成し遂げている人の多くがこの生き方をしている気がします。apple創業者のスティーブ・ジョブズ、元大阪市長の橋下徹さんなどなど。その都度その都度、自分のあり方・方向性を決めて、そこに全力で挑み続ける。その先に何が待っているかは"今は"見れないかもしれないけど、後から見たら繋がっている。そんな感覚。

判断を元に決断を積み重ねる生き方へ

ここからが僕の2021年の在り方について。
先日、今専ら僕が力を入れているボーダレス・アカデミーの特別講座(「気候変動からビジネスの在り方・企業経営を考える」)にてパタゴニア元日本支社長の辻井さんがとても示唆に富むことおっしゃられていました。(アカデミーはこちらの記事で紹介)

それは"判断と決断は異なる"ということ。判断(judgement)は過去から現在に対するもので客観的で事実に基づくもので、決断(decision)は判断を元に未来に対して行う自分の意思決定のこと。そのような事をおっしゃられていました。

このお話が衝撃的だったのは、よく言われる"過去は変えられないけど、未来は変えられる"という言葉と予備校時代の"何になるかは決められないけど、今どうあるかは決められる"という二つの言葉の関係性をはっきりさせてくれたからでした。またこれはこれからの時代を生きるヒントになっているとも思っています。
つまり過去はねじ曲げたりできない一方で、未来は過去を踏まえた上での僕ら一人一人の決断によって創られていくまだ確定していないものであるということ。不確かな時代だからこそ、決断を積み重ねていくことが大切なんだと再認識した瞬間でした。

少し余談になりますが、今年ヒットした「鬼滅の刃」や今上映中のキングコング西野さんの映画「えんとつ町のプペル」はどちらも大好きな作品でした。もはや涙無しではどちらも見れませんでした。それは「未来に向けて一歩踏み出そうする勇気をくれる映画」だったから。

"もう聞こえているんだろう? 
  勇気の産声(うぶごえ)を" -『えんとつ町のプペル』
"胸を張って生きろ 己の弱さや不甲斐なさに どれだけ打ちのめされようと 心を燃やせ 歯を喰いしばって 前を向け 君が足を止めて 踞(うずくま)っても 時間の流れは止まってくれない 共に寄り添って悲しんではくれない"-『鬼滅の刃』

映画の登場人物たちのように、また作品を創られた方たちのように、苦しい状態に関わらず、前を向いてそれでも一歩を繰り出し歩み続ける人たちからたくさんの勇気をもらいました。
色んなことに気づかされた2020年。2021年はその気づきを前に踏み出す実践の年。自分なりの決断とトライを繰り返し、歩みを決して止めることない一年にしていきたいと思います。

今年もどうぞよろしくお願いします!

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