今回は最近おきた出会いから、その影響について。書こうと思ったきっかけはまさに私のパラダイムがシフトしたためである。 時期的に建築学科の友人たちは就活やインターンの話で盛り上がる。「私はこの事務所行く」「インターンでポートフォリオ提出した?」もう胸がいっぱいだ。飲み会では就活の話が息を詰まらせるとされるようだが、院試やその他の類ももっぱら同種である。 私は構造主義と「存在と時間」、これらを学んでからパラダイムという言葉を思考する際に用いるようになった。 構造主義との
概要 建築のリアリティとは、物理的な触感とエネルギーに包まれること。現代の建築は外部化され、手から離れたが、再び手に戻るプロセスが進んでいる。これにより建築家の役割が再定義されつつある。 「結論の不在」 私は、「もの」を扱うことにリアリティを覚える。これはつまり手に触れ、重さを感じながら、その「もの」の持つエネルギーに包まれることを意味する。したがって、私自身は建築を客観的な物理的なオブジェクトだと定義する。 ここで思い出されるのは、ハンス・ホラインの「すべて建築であ
ついに最終日。 振り返ると、建築は最後まで提案する仕事であると気づく。 ”考えの表明”とは全く違う。 ”提案”という言葉は、考えを練り、チームで共有しながら、相手への伝え方を考え、最後にプレゼンするという、双方向のベクトルを尊重しながらもそのズレを良いものとし、合力を取りながらその向きを表現者として納得する方向へ仕掛けることである。 つまり、謙虚の構えをとり、外れていい瞬間を見出す。そのゲームだと思ったり。
アトリエといえど、組織である。 組織然としてない組織の方が、ある意味その縛りは大きいのかなと。 一つのプロジェクトへの関与は明らかに濃い
認めたくないと思った世界があるとすれば、そこにすでに惹かれている。 目指す世界とその世界はどこかで繋がっている、あるいはそのものである。
建築を勉強するとは? この疑問は簡単に解けない。 建築の物理的な構成を覚える、思想の理解を深める、自分からでるセンスを見つけ磨くこと。 1+1=2になることの原理を学びながら、なぜ1と1を足すのか、そして自分だったら足すのではなく割るにしたいのか、最後に1とはなにか、この式が成り立つ構造システムを概観し、構築性を強めるのかあるいは脱構築していくのか、そういった流れとそれを構成する粒子に目を向ける横断性が大切なんだなと学ぶ。 1とはなにかを学ぶことはつまり過去の
機嫌は自分でとるに限る。
誰かに必要とされる時、それが自分がやってみたいこととは限らない。 これは言い換えると、自分に求められていることとやりたいことが一致しない、ということと同じである。 その仕事を好きだと思いこめ。そういうような言葉も耳にしたことがある。まったくその通りだろう。 これには雇う側の都合が働いている。これをこの人に振って、あれをあの人に。この場合、この人だからこれを与えようという至極当然の考えが時間と共に出来上がる。 この認識と働く側の認識のずれが先のギャップを生む。
ちまちま仕事、これをおろそかにしない。
「メンタル」という言葉を持ち出した時点でメンタルは弱いと自覚する方が「楽」、というつぶやきに出会う。 ワイヤレスイヤホンをつけて洗濯物を干す奥さん。 ちょっぴり話かけずらい雰囲気を持つ仲間は、意外とイケボなことが多い。 勝手な印象と偏見、これは良くない”疑似体験”だ。良くも悪くも、お互いに何を考えているのかよくわからない。だから世の中は回る。 担当してくださっている所員のかたのひげが剃られていない。。。 察することも多いが、没頭している少し上の世代を見ると勇
二度手間になるって、メンタルにくる。でもそう思うのって、心当たりがあるから。 なぜか。作業を早めようとするあまり、作業の目的が終わらすことになってしまうから。木の添景ひとつとっても、それはどのように使われるのかを想像、踏まえたうえで作成しなければならない。まずは言われたとおりにやる、これが今日の収穫。 今日も所員の方々はテキパキ動いていた。それぞれが未来への歩みをゆっくりと進めているのだろう。 事務所には訪問者がやってくる。ボスは学生や先生といつもの語り口で対話す
目が覚めた、と思うと眠気が襲ってくる。緊張で眠れないのはよくあることだ。寝た気がしない、と思いながら支度をする。 バッグの中でお弁当のドレッシングが漏れていることに気づく帰り道。だがしかし、いつものようにイラつく元気は残っていない。 緊張、歩き、そして体にしみる汗、すべてが電車の冷房と化学反応を起こし、体に寒気をもたらす。「あー、よく眠れていれば」 事務所に着く、仲間が二人いたようだ。広島と福岡からだそう。東京、それはまことに不思議なまちで、住んでいるとつまらな
ラインに一度でもたっておくこと これは私が20年のそこそこを費やし、いや、やっとここ2年ぐらいで意識的になってきたことです。決して「留学へいっておけ!」などという余計なお世話的な話ではないことをここに誓います。 端的に言うと以下のダイヤグラムのように、伏線の生成と回収に関することです。 思い描いたことへの道のりが非合理的なほど人生は楽しいのは言うまでもないです。この道のりをもっと楽しく過ごすための方法があります。それは非合理的な道を歩む前に一度ラインを超えておくことで
2023/10/06 Fri. ギャラリー Sign 今日、2023/10/06午後は六本木の展覧会巡りへ。 1か所目は、Gellery・Signへ。ここでは清家清(建築家)の「私の家」で設計された動く畳の展示と清家清本人についての資料がみられる。延べ面積に制限がある中で、家族四人が不自由なく暮らせるように設計され”扉”のない住宅である。トイレにも寝室にも扉がない。おまけに50平米以下である。その中で動く畳は、地続きで庭に接続され、天気の良い日には庭へ運び出し空間を拡
2023/09/30 Sat. 建築をやっていて思う難しさ。 建築の特徴の一つとして、一点ものの商品(作品)であることは言うまでもない。しかしこれは建築そのものの性質を決め、さらには建築を学ぶ私たちにまで影響を与えている。 当たり前だが、建築を検討するうえでその都度実物大で建てるわけにはいかない。それを乗り越えるため模型や原寸に近いモックアップを作成し、リアルに近いスケールでの検討や人間の知性を生かした俯瞰からの検討を重ねる。さらに、3Dモデリングはオフスケールでは
2023/09/22 Fri ※800字程度 うれしくないA判定 一週間毎投稿を目標にしていた矢先、インフルエンザにかかってしまいました(笑)。広島・島根旅から帰ってきた当日の夜からのどに違和感があり、翌日病院に行ったところ、A判定を受けました。 コロナが蔓延してからの数年は罹患していませんでしたが、毎年のようにインフルエンザをもらっていたので、懐かしい辛さを久しぶりに体験しました。その辛さを文章にしたいと思いながら、なぜかああいった類の病気は、そのときの気持ち