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鍛冶屋の仕事 Vol.6|これからの鍛冶屋が受け継ぐもの

日本最古の刃物産地、兵庫県小野市。そこで鍛冶屋の後継者育成ワークショップに通う日々を綴る。Takashi Kawaguchi@takashi_knives(Instagram)

 「ここ5年ぐらいで、たくさんの中古機械が出回るだろう」

 というのは、仕事を見てもらっている、ぼくの大先輩の話だ。

 つい先日も、廃業する職人の工房からの、集塵機の搬出を手伝ったばかりだ。昨年は高松で廃業した鍛冶屋の材料やら設備やらまるまる一式を譲り受け、これは現在もその運び出し作業が進行中である。そしてすでに、次の設備をゆずっていただく話がワークショップ(ぼくが通う、鍛冶屋の後継者育成工房)に舞い込んでいた。

 伝統産業を受け継ぐ。

 それはイコール、職人の技を受け継ぐことと想像されることだろう。

 確かにその通りなのだが、実は他にも忘れてはならないものがある。

 それは、長きにわたり職人を支えてきた、道具や設備である。


大切に保管されていたベルトハンマー

 集塵機を運び出したときの話だ。

 先輩方には失礼ながら、鍛冶屋の工房というのはまぁ散らかっているものである。

 鍛冶仕事は製造業の中でもハードな部類に入る。鉄の切りくずや破片がそこいら中に散らばっている。「どうせ汚れるから」という理由だろうが、年季の入った工房内には、そのいたるところに”地層”ができていて、何気にそこを発掘してみると、先々代の打った刀が出てきた、というのは決して大げさな話ではない。

 しかし、運び出しの応援にうかがった工房は整理整頓されていた。機械もよく手入れされているようだった。

 「かれこれ60年以上、鍛冶屋をやってきた」
 「材料もなくなったことやし、もうええかなぁ思て」

 御年84歳の握りばさみ職人は語る。

 小柄なその男性は、お年こそ召されているものの背筋もピンと伸びてまだまだお若い。引退なさるのはとても惜しいが、こればかりはご本人が決めることである。先代は、鉋鍛冶だった。

 ひととおりの作業を終えた帰り際、ぼくは気になることがあったので尋ねてみた。

 「このベルトハンマー(鍛造機)、処分されるんですか」
 「いや、処分いうてもなぁ……運び出されへんし」
 「もし運び出しの一切をやってくれるのなら、タダであげる」

 ベルトハンマーは20年ほど前まで現役で使用していたらしい。材料が変わってからは鍛造する機会も減り、工房内で保管されていた。古い代物だがネジや可動部の固着もなく、とても状態のよいものだった。

 後日、改めて引き取りに伺い、現在ワークショップへの設置工事を進めているところだ。

搬出のために分解されたベルトハンマー。赤めた鉄と鋼を、この機械で鍛造してゆく。
ベルトハンマーにもいろいろなメーカーがあるが、これは福田機械製のもの。現在は他の会社が製造を引き継いでいる。

古い道具は使い勝手がよく、失われたら2度と手に入らない

 鍛冶屋の使う道具や設備は、他の職人仕事と同じく特殊なものが多い。そして今ではもう手にはいらない道具も珍しくない。

 ワークショップの設備を見渡してみても、例えばカシメ機は1974年製(ぼくは1984年生まれ)、プレス機はもはやメーカーも年式も不明。ひとつ言えるのは、昔の道具はすこぶる頑丈でパワーもあり、使い勝手がよいということ。手入れさえすれば、まだまだ現役で使える。

 しかし――

 それも設備が現役で必要とする人の手に渡り、手入れを続けてこその話である。

 鍛冶屋の古い道具類はぼくたちにとってこそ宝の山だが、他者からすれば二束三文のスクラップである。もう手に入らない道具が、鉄くずとして処分されることだけは避けなければならないのだ。

 帰り際、84歳の職人がどことなく寂しそうだった。長年連れ添ったベルトハンマーが保管されていた場所には、大きな空間ができていた。それでも「がんばってください」とエールをいただいた。

ぼくたちが「ポンス」と呼ぶ、刻印を打つための手動のプレス機。ついに本体のネジ山が摩耗で擦り切れてしまった。これまで何十万回、何百万回と刻印を打ってきたことだろう。

 これから引退される職人が増える。

 ぼくたちが受け継ぐのものは、決して技だけではない。

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