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社会と、ゲイであることと、友達と。

僕は同性愛者だけど、
カミングアウトがなにしろ遅くて、
34歳の時だった。

初恋もその時で、
それが前のパートナーだった。

もちろん、思い返してみれば、
気になる人はそれまでもいたけど、
小学校の頃の先生とか、
クラスメイトとか。

でも、そんな好きになっちゃいけない、
やっぱり、自分なんてな、
みたいに思っていたし、
今も思ってるんだと思う。

たまたま、昨日友達と飲んでいて
そんな話になったのだ。

ノンケの人に恋する、とかってないの?
みたいな話になって、
はっきり答えられなかった自分がいた。

何せ、自分は実際にカミングアウトして
間も無くしてパートナーができたから、
ゲイとしての恋愛歴は、1人と付き合ったことがあるだけで、
去年、初恋を終えたばかりなのだw

その時にどうせダメだから、
気持ち悪いと思われたくない、
みたいな言葉が出てきた。

あぁ、そんなことを自分は思っているのか、
でも自然なことだとも思うな。

言葉が口から出てきたら、客観的にそんなことを感じた。

でもでも、そういうことを外して考えてみると、
素敵な人って沢山いるし、
純粋に好きになるよな。
そういう風に考えると、
ゲイとかストレートとか、
そういう風に考えてるのは、
むしろ自分の方かもしれないな、

そんな風にも感じた。

僕は「社会」というものを考えると、
なんだかすごく難しいし、緊張を覚える。

例えば、ゲイはマイノリティで、
ちょっと肩身が狭いよね、みたいなことがイメージされるし、
まぁ確かなところもあるのだけど、
そっちを軸にすると、
自分の愛するものとか、好きなものを否定しちゃって、
相手のこととか、社会のことも否定するようになる気がする。

こうあるべき、というのではなくて、
自分の嬉しいこと、
好きなことを、ただ愛して大事にすると、
好きになっちゃダメだ、こういうことをしてはいけない、
みたいなことが減って、大丈夫な気持ちになる。
色々なものを、好きになれる。

しょっちゅう挫けそうになることも、
心折れそうな時もあるけど、
愛するもののために、生きていきたいな。
そして、喜んでもらえたら、心から嬉しいな、
そう感じる。

実際の話、ここのところ
社会のことを、仕事のことをもっと考えたいな、と思っていた。

でも、その度に、
どうせ自分なんて、
そう思ってしまう自分がいた。

どうしたものかな、
と思っていたら、
友達と話していて、

自分の大好きなものを大事にすることで、
社会のことも考えられるようになるな。

社会ってこういうものだよね、って決めつけて、
自分の行動を制限してるのは、
自分自身なんだな。

そんな風に思った。

友達って、自分のことを話せる。

ありがたいものです。
感謝。


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