いいちこ

同性愛者であり、父が母に身体的暴力を振るい(DV)、家庭崩壊、自殺経験者です。 生きた…

いいちこ

同性愛者であり、父が母に身体的暴力を振るい(DV)、家庭崩壊、自殺経験者です。 生きたいので、書いてます。

最近の記事

昔はちゃんとして、頑張ることが守ってくれた。今は、楽しむことで、生きていきたい。

常に良くなり続けなければならない。 そんな気持ちが常にある。 昨日は、大きな仕事があり、 自分の中でも、うまくいき、 お客様の反応も、良いところが沢山あった。 もちろん完璧ではないのだけれど、 ベストを尽くしたな、と思えるし、 できることを、やった、そういう風に思う。 そして、今日はその仕事の二日目で、 同じようにできるか、 それが不安になる。 昨日と同じになんて、できるのだろうか? また頑張ってしまうのではないか? ちゃんとやろうとして、緊張してしまうのではないだ

    • 適応力、正しさ、そして楽しさ。

      周りの目を気にする。 自分の扱いを自分で決めづらくなる。 それは、自分の課題だけど、 本当に、本当に頑張ることなく、 じっくり楽しく取り組んでいけたらと思うのだ。 どうしよう!また苦しい!ってなって頑張ると、 辛くなることが多いから、 急がず、不器用でもいいから、 楽しんでやる、そこを目指したい。 もう、これは心の声だから、 完璧な独り言だけど、 正直、もう今の職場の人間関係が鬱陶しくて仕方がない。 はっきり言って悪口なので、 短くサクッと書くと、 役所のような、

      • 大丈夫

        自分を大事にする、 そう言っても、 昔はなんのことだか、わからなかった。 自分を大事になんかしたら、生きていけませんぜ、 そしたら死んでしまうがな、 くらいな。 だから頑張って、頑張って、 頑張りきったな、ってとこで自殺したわけだけど、 その後、色々考えた結果、 自分を大事にする、と決めて、 それを試していると、色々発見がある。 先日感じたのは、 自分の感じている感情について、 自分が何と正直でないのだろうか、 ということだ。 例えば疲れている時、 自分は対人関

        • 自分の生きたい場所に、行きたい場所に向かって。20代の自分に、今、言ってあげられること。

          この間、 知り合いと話していたら、 ちょっと距離が縮まって、 自分のことを話した。 自分は、泣きたい、 それがデフォルトなんだよね。 そんな、話をポーンとした。 その人は、特に否定するもなく、 ただ話を聞いてくれた。 自分はよく泣く。 普段、人前で正直に泣くなんてできない。 でも、 妹が家族から離脱して、 家族が壊れたり、 自分も自殺して、 パートナーとも別れて、 たっくさん泣いてきたけど、 全然涙は枯れなくて、 テレビドラマとかを見て涙が流れると、 泣けて嬉しい

        昔はちゃんとして、頑張ることが守ってくれた。今は、楽しむことで、生きていきたい。

          家族からの学び。大人として、自分で決める。

          最近、色々あって、 かなり気持ちが暴れた。 ここ数年、暴れることが多めだったので、 以外に冷静に、「あぁ、暴れとる!」くらいな感じなのが、 成長かな、とも思うけど、 和解した母と、結局ダメだった、 それを自分で決めて、 家族がいなくなって、孤独を感じた。 そんなことがあり、 心が暴れる君だった。 前の記事にも度々書いているけど、 父と母の行動で、 自分の妹は30年間苦しみ続け、 うつやパニック障害、自殺未遂もあって、 生きるために、と言って、 5年ほど前に家族と縁を切

          家族からの学び。大人として、自分で決める。

          生きたい場所、行きたい場所。

          まぁ、自分はよく泣く。 特に朝ドラはやばい。 赤紙が届いて戦地に行くことが決まる。 大好きよ、帰ってきてね。 そんなん出てきたら、 もう、涙腺崩壊である。 そして、そんな時には、 自分は妹のことを思っているのかな、と自分に問う。 家族から離脱した妹に、 決して、帰ってきてとお願いしたりはしない。 妹は苦しみ切って、家族と離れる決断をしたのだから。 でも、それとは別に、 自分の心は、帰ってきて欲しい、 そう思っている。 決して、追いかけない。 伝えない。 愛してい

          生きたい場所、行きたい場所。

          リラックス

          リラックス。 これ程、自分が苦手とすることがあっただろうか? そうリアルに思う。 自分は力んでいた。 いまだに、力みやすい。 そして、緊張しやすい。 そうすると、不自然なことをしがちだ。 基本的に自分は、 街を歩いていると、 周りの人の目が気になって、 全く知らない人にも、 いい気持ちになってもらおう、という気になって、 一生懸命頑張るのである。 相手のいいところを見つけようと頑張ってみたり、 好きでない雰囲気の人に対しても、 嫌だな、と思うわけではなく、 相手が

          リラックス

          ありのまま。

          昨日は素敵な時間が沢山あった。 話してみると、すごいサプライズ的な喜びとか、 そういう特別なことではなくて、 でも本当に自分が大事にしたい、 じんわりと幸せな、 そんな時間だった。 美容院でペットトークで盛り上がり、 ちょっと恥ずかしい話だが、 マッチングアプリで会った人とも楽しい時間が過ごせて、 久しぶりにゆっくり寝れたように思う。 そして、昨日が特別だったのは、 自分が、人の顔色をうかがわず、 正直に楽しめた。 それが本当に嬉しい。 カッコよくなきゃいけない、 面

          ありのまま。

          愛するものに向かって。今までの、そしてこれからの選択について。

          いけている、いけてない、 多数、少数、 場と個、 他者と自分、 仕事と自分。 それらは、自分の中で、 大きな大きな、そして大事な大事なことで、 自分がどう生きていきたいのか、 それを少しハッキリしたいな、 最近、そう思った。 というのも、 場の空気に流されたり、 こうあるべきだ、という空気に流されて、 自分としては、間違った選択をしてきた、 そういう認識があるからだ。 例えば、自分はゲイだけど、 女性と関係をもって、結婚までする、とか、 いじめられっ子だったけど、 い

          愛するものに向かって。今までの、そしてこれからの選択について。

          愛と、美味しさと、自分と、人と。

          愛、 そう言うと何か大袈裟な、 少し恥ずかしいような気がする。 でも、大袈裟でなく 生きる上で、なくてはならない大事なものだな、 そう、昨日感じた。 昨日、朝食を食べていて、 まずいな、と思った。 何でだかはわからない。 いつもの朝食で、 パンとコーヒーとヨーグルトだ。 いつもと同じなものなのに、何でかな、 とか思いながら、 実際にあまり良い気持ちはしないで、 仕事に向かった。 仕事はいつも通りだけど、 ちょっと心が疲れてるかな、 どっしりと胸に重みがある感じ、 そんな

          愛と、美味しさと、自分と、人と。

          社会と、ゲイであることと、友達と。

          僕は同性愛者だけど、 カミングアウトがなにしろ遅くて、 34歳の時だった。 初恋もその時で、 それが前のパートナーだった。 もちろん、思い返してみれば、 気になる人はそれまでもいたけど、 小学校の頃の先生とか、 クラスメイトとか。 でも、そんな好きになっちゃいけない、 やっぱり、自分なんてな、 みたいに思っていたし、 今も思ってるんだと思う。 たまたま、昨日友達と飲んでいて そんな話になったのだ。 ノンケの人に恋する、とかってないの? みたいな話になって、 はっきり

          社会と、ゲイであることと、友達と。

          自分を労う

          自分は見た目にコンプレックスがある。 決して美しい見た目ではなくて、 人前に出る仕事なので、 すごく困る。 どうしても美容整形とか、美容医療には、 ずっとやり続けなければいけない、というのが嫌で、 手を出したくなくて、 保湿をしっかりしたり、 顔ヨガしてみたり、 良いと呼ばれることは一通りやってみて、 ちょっとシュッとするな、とかはあるけど、 別に顔が変わるわけではない。 そして、 ここのところ家族が壊れるとか、 自殺とか、 色々な別れや辛さがあり、 数年にわたって毎日

          自分を労う

          愛する人のために、愛してくれる人のために。

          自分は度々絵を描く。 デッサンだったり、 パステルだったり、 アクリルだったり。 少し前までアトリエに通ったりもしていた。 何で絵を描くのか、 そんな事を考えたりするけど、 自分は、 今まで、ある意味間違った選択をしてきたように思う。 すごく後悔をしているか、 と言われたら、そうでもないけど、 でも、 ゲイなのに結婚したり、 友達作るために好きでもないスポーツを死ぬ気でやったり、 そうでないと生きられませんよ、みたいなことを、子供ながらに自分で判断して生きてきたのだ

          愛する人のために、愛してくれる人のために。

          愛されたい気持ち、愛する気持ち。

          昨日、『すずめの戸締まり』という映画を見て、 号泣した。 こんなに泣いたのはどれくらいぶりだろうか。 実際、家族が壊れたり、 自殺をしたりと、 わちゃわちゃしていた頃は、 毎日のように泣いていたけど、 こんなに心から泣いたのは、 本当に久しぶりで、 今も結構引きずっているくらいだ。 本や映画、音楽や絵画、 その他何気ない日常の光景や、 言ってしまったら自分の身の回りもあるものを見た時、 自分の心の中に気づくスイッチを押されたような、 そんな気持ちになることがある。 『

          愛されたい気持ち、愛する気持ち。

          今を生きる。

          ここ最近の話なのだけれど、 過去でなく、 今の自分をイメージするようになってきた。 今までは、 小さい頃の自分に、 大人になった自分が声をかけてあげる、 そんな気持ちだった。 小さくて、好きなことをやるといじめられて、 カッコよく、強くないと、生きていけないと思っていた自分。 あるべき姿や、 世の中こういうものだよね、 というものに、引っ張られてしまって、 でもそれに抵抗できなくて、強がったり泣いたりしてしまっていた自分。 そんな自分に、 君は好きなことをやっているだ

          今を生きる。

          心の声

          自分は、自分でも意外な程に論理的な部分があるので、心の部分の本音、 本当に言いたい事を表現するのが、 苦手だと思う。 家族が壊れた話を友達にした時も、 結構なことを飄々と話すよね、 と言われたり、 これは母親にも自分が感じたもので、 バッチリ受け継がれていると思った。 自分のことを弱いと思っているから、 そんな事思ってはいなかったけど、 強くなきゃいけない、と、 そんな風にも思っているのかもしれない。 弱い時だって、 強くあれないときだって、 あるのだと思うし、 いじめ