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愛されたい気持ち、愛する気持ち。

昨日、『すずめの戸締まり』という映画を見て、
号泣した。

こんなに泣いたのはどれくらいぶりだろうか。

実際、家族が壊れたり、
自殺をしたりと、
わちゃわちゃしていた頃は、
毎日のように泣いていたけど、
こんなに心から泣いたのは、
本当に久しぶりで、
今も結構引きずっているくらいだ。

本や映画、音楽や絵画、
その他何気ない日常の光景や、
言ってしまったら自分の身の回りもあるものを見た時、
自分の心の中に気づくスイッチを押されたような、
そんな気持ちになることがある。

『すずめの戸締まり』では、
出会った人と別れる時に、
必ずハグをして別れる。

自分はそのあたりで、
もう泣き始めた。

そして、
好きな人を、
何もかもを差し置いて、
追いかけていく様を見て、
号泣である。

他にも号泣ポイントがいくつもあって、
もう大変なことになったw

あぁ、寂しいな。

そして正直、
自分といてくれる人は、
映画のように、嬉しく思ってくれているかな。

そんな風に思った。

自分は愛されたいのだ。

だから人目を気にしてしまう。

そして、
もう一つは、
周りに似たような人がいると、
イラっとしてしまう。

なんという悪循環。
そんな風に思う。

こう書いてみると、
ズバッと答えは簡単だ。

自分が愛するものは何なのか、ということ。

家族が壊れたり、
自殺をしたり、
嵐のように色々なものが吹っ飛んだような気持ちになったので、
自分の生き方も変わってきたのは、
確かなことだ。

そしてその時、
今までのようには生きたくない、そう思った。
愛されようと頑張りきった。
そんな風にはもう生きたくない。

そうすると、人間関係も変化を見せて、
今までの価値観で繋がっていた人たちとは、
自然と距離ができた。

自分で決めたのだけど、
最近そんなことの連続で、
父や、妹や、
パートナーや、
そして仕事関係でも人間関係に変化が生じたりしている。

映画のようにハグをして、
新たな出会いや、お互いに距離が近いことを喜ぶのではなくて、
別れたり、
自分で決めたことによって、
人が離れていくことを多く感じているから、

愛されたい、
そんな自分の子供のような気持ちが暴れた。

誰かに抱き締めてほしい。

母と和解して、
再会した時ですら、
母は自分を抱きしめてくれなかったじゃないか、

みたいな気持ちになるのだ。

40代おじさんの子供心だw

愛されたい、そう思って、
自分が好きでもないことをして、
そうして無理して頑張った結果、自殺したのだ。

だからこそ、
そうしてできた人間関係も今になって変化を見せている。

だったら、
愛するもの、人、を大事にしよう。

愛するもの、あると思う。
これを考えるのに、まだ慣れていないw

そして、誰にいてほしい、とかではなくて、
誰といたいのか。

仕事とか、損得とか、
そういうのはまた別の話だ。

自分は誰が好きで、
何が好きなのか。

そんな考えが少しずつ生まれているのは確かだ。

そして、最後に、

変化は怖い。

でも、
愛するもの、愛する人、
それを求める人生でありたい。

愛してないものを、頑張って求めていたのだ、かつては。

愛したい。
今、確かにそう思う。


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