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愛と、美味しさと、自分と、人と。

愛、
そう言うと何か大袈裟な、
少し恥ずかしいような気がする。
でも、大袈裟でなく
生きる上で、なくてはならない大事なものだな、
そう、昨日感じた。

昨日、朝食を食べていて、
まずいな、と思った。
何でだかはわからない。
いつもの朝食で、
パンとコーヒーとヨーグルトだ。

いつもと同じなものなのに、何でかな、
とか思いながら、
実際にあまり良い気持ちはしないで、
仕事に向かった。

仕事はいつも通りだけど、
ちょっと心が疲れてるかな、
どっしりと胸に重みがある感じ、
そんなのを感じながら、
いつも通りに仕事をしていた。

そんななか、ふと、
何かきっかけがあるわけでもなく、

今日は何事にも愛情を持って取り組んでみよう、

そんなことが頭に浮かんだ。

直感というやつだろうか。
頭で考えるよりも、
それに従うことにした。

すると、何だか気分が穏やかで、
周りの人も物も、同じように穏やかに見えた。

最初は醜かったり、嫌いだったりしても、
徐々に穏やかな見え方になって、
それが何だか嬉しかった。

そんな過ごし方をして、
家に帰ってきた。
そうすると、ふと、
自分が自分を触る時に、
結構ひどい触り方をしていることに気づいた。

汚いからそれを忌み嫌ってゴシゴシ洗う、とか、
痛いから、必死に揉む、とか、
疲れたから、明日の仕事もあるし、回復するために頑張って食べる、
とか、、、

試しにシャワーを丁寧に浴びてみた。
そして優しく体を拭いてみたら、
いつもより肌が白く綺麗なように思えたし、
鏡に映る顔の表情も、サッパリしていた。

あぁ、確かにこういうことだったのかも。
自分がダメだから、それを補うために何かしなけりゃいけない。
そんな風にやってきたことが大半だったかもな。

いじめられてた自分は、
こんな自分だから、スポーツをしなければ友達ができない、と思ったし、

仕事をしていても、
自分がだめだから、それを埋めるために、
自分を否定しながら頑張り続けた。

そりゃあ、
シャワーの後鏡をみたら、
疲れ切った表情がそこにはあるわけだわ。

自分が自分をダメだと言い続けて、
お尻を叩いて前に進ませる、
そう扱っているのだから。

痛い腰を、
引っ叩くような気持ちで強く揉むのではなくて、
優しく労わるように揉んだら、本当に気持ちよかった。

そして、今日の朝食は同じものなのに、
美味しかった。

あぁ、こういうことなのかな。
同じものでも、それに対する態度で、
美味しいか美味しくないか、大きく違う。

もちろん嫌いなものとか、
ネガティブな感情があって自然だけど、
それによって愛を忘れたくないな。

今日もそんな風に過ごせたら。
この先もそんな風に過ごせたら。

ご飯を美味しい、
人といて嬉しい、
それは何より嬉しい。
そして、悪いことも、良いことも、
全部あって当たり前だし、
そんな中、愛を大事にしてたいな。

そんな風に思った。
そんな風に生きていけたら、嬉しい。

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