脚本家 × 作詞家 × 漫画家 × アナウンサー 対談⑥ 憧れから夢を叶えるまで〈前編〉

エンターテインメントの仕事したい拘りと簡単には上手く行かない現実について〈前編〉


パソコンに繋げる液晶タブレットとさえ買っちゃえば、ひたすら漫画が描ける、練習が出来る。漫画家:村田椰融

村田:小学生の頃はずっと漫画家になりたくて、中学生のときもそのまま気持ちは変わらなかったです。高校生になってGペンという漫画を描くためのペンが上手く使えなくて挫折しました。その頃からギターにも手を出して音楽って楽しいなと思っていました。小説を読むのにハマって物語を作るのが楽しかったので小説家になりたいと思って、日芸に文芸学科があったので日芸を受けました。だから日芸に入ったのは小説家になるためでした。

 

高瀬:高校何年生のときに日芸に行こうと思ったのですか?

 

村田:高校3年生のときです。文芸学科がある大学で調べて、日芸ともう1つの大学にあると知って日芸に決めました。在学中に賞を取って小説家になってさっさと辞めようくらいに思っていたのですが、勧誘されてラジオ番組を制作するサークル(高瀬、平井と同じサークル)に入りました。そこで音楽をやっている先輩がいて一緒にライブに参加するようになって音楽が凄く楽しくなって来ちゃって、文芸学科だけど小説を読んだり書かなくなってしまって大学生のときは音楽をひたすらしていました。その頃はらくがきをする程度で、漫画は全然描いてなかったですね。

 

小山:部室の近くでギターを弾いていたイメージがあったので漫画家というより表現者になりたいのかなと思っていました。

 

高瀬:音楽学科の項目にあるギターのレッスンを受けていましたよね。あと、私と一緒に漫画実習を受けていましたが、そのときは漫画よりは音楽だったけど漫画実習を受けていたということですか?

 

村田:漫画家になる気はなかったですね。ミュージシャンになりたいという気持ちの方が強かったです。まわりにめちゃくちゃ絵が上手い人が多くて、これはやっていけないと漫画の方は諦めていました。

 

高瀬:漫画が好きだから実習を受けてみようというような気持ちだったということですね。

 

平井:その漫画実習は、今も役に立っていますか?

 

村田:役に立って…………………………………………どうかな?

 

一同:(笑)

 

高瀬:まぁでも、私は凄く楽しかったです。漫画を描くっていいなと思いました。プロの漫画家の先生2人が教えてくれるのも新鮮で。

 

村田:楽しかったですよね。確かに漫画家の先生が話していた言葉とかはちょくちょく覚えていますね。

 

平井:普通なら経験できないことですからね。

 

村田:それで大学4年のときに就活を1社だけ映画やCMの制作会社をなぜかわからないけど受けました。試験に行ったら自分だけ私服で、これで会社は無理だから音楽に専念しようと思いました。サークルの先輩へ曲を作ってそれをレコーディングして、先輩から一緒に活動して行こうと誘われて、しばらくその活動を続けていました。でも、音楽はレコーディングやら楽器代やらライブ代やらとにかくお金が掛かって、本当は毎日スタジオでギターの練習をしなくちゃいけないんじゃないかという想いを抱えつつ、そのためにバイトをしてバイトをする時間ですべてがなくなってしまって。音楽はもうここで辞めようというときがあって、そんなときに昔やっていた漫画の方に転向しようと思いました。パソコンに繋げる液晶タブレットというものがあって、それさえ買っちゃえばひたすら漫画が描ける、練習が出来ると思って。なので、お金がほぼ掛からないということで方向修正をしました。最初の方は賞に出しても全然引っ掛からず、漫画も何回かもう諦めようかなと思っていたときに、もうちょっと頑張ってみようと思って小さい賞を取って自信がついて、現在に繋がります。


夢に挑戦することそのものを否定していることに凄く違和感を覚えました。 作詞家:高瀬愛虹

高瀬:小学生のときは、作詞家と作曲家と漫画家になりたくて、でも1番作詞に興味がありました。中学生のときにパソコンで調べて自分で電話して音楽の専門学校の資料請求をして、それを三者面談に持って行きました。高校も音楽の学校に行きたかったのですが、親に途中で興味がなくなったらどうするの?と心配されて、日大の付属の高校への推薦の話を先生からいただいて両親が日大は日本で1番学部が多いから音楽以外で興味を持ってもそれを学べる学部があるかもしれないし、芸術学部に音楽学科があるので気持ちが変わらなければそこを受験するのはどうだろうとアドバイスをもらって結果的には気が変わることがなく日芸の音楽学科に進学しました。日芸のいいと思ったところは、映画、放送、演劇など、他のエンターテインメントの仕事を志している人がいて、音楽を仕事にするにはそう行った人たちと親しくなる必要があると思って知り合いを増やすために進路として選びました。大学1年生のときに作詞家になるために1社だけ作家事務所を受けたものの返事はなくて、作詞家はサラリーマンじゃないので私は安定志向なのもあり、サラリーマンでエンターテイメントの仕事を目指した方がいいのではないかと思うようになりました。ドラマかCMを作る仕事をしたいと思って就活を始めて、就活をしているときに趣味の欄に、作詞、作曲と書いていて面接官に「そっちの道へは進まないのですか?」と質問されて「そんななれないですよ」と応えたときに凄く嘘を吐いているなと思ってしまって。それは、自分に対してもだけど、私じゃない人は作詞家になれるかもしれないし、夢に挑戦することそのものを否定していることに凄く違和感を覚えました。エンターテイメントの仕事をすることは絶対条件と明確にあったけど、そこから本当に私は就職したいのか?と考えてしまって、原点に戻って作詞家にちゃんと挑戦してみようと思いました。大学の先生に卒業生で活躍している作詞家さんや作曲家さんの連絡先を教えてもらって、作詞家になるためのアドバイスをもらったり自分なりにも色々考えて行動しました。

 

村田:身近に応援してくれる人は、いなかったのですか?

 

高瀬:両親は、昔から音楽の道に進みたいことを知っていて、ずっと気持ちが変わらないのを知っていたのでいつも応援し続けてくれました。

 

村田:応援してくれる人が周りにいても、結局は自分自身がいかに努力するかなので、挑戦してるときは孤独ですよね……

 

高瀬:夢を目指すって孤独の中を走っている感じですよね。作詞に興味を持ち始めたときに、海援隊さんの「スタートライン」っていう歌詞を見て、「何かを目指す人は一人ぼっちで走り出しなさい」ということを歌っていると小学生ながら解釈したので、その歌のおかげで孤独の中でひとりで頑張ることの大切さを知って、支えられていた部分があると思っています。


対談⑦へ続く


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