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つみき


私の目の前には、積み木の入った箱がある。

2.5センチ角の、立方体の積み木が、50個入っている。
…息子がずいぶん遊んでいた代物である。

50個のキューブが入ったこの積み木セットは、ある意味息子の人生を変えたアイテムだ。

三歳を過ぎても二語文がほとんどでなかった息子は、いわゆる健診で引っかかってしまい…いろんなところでそれはそれはたくさん検査を受け、それはそれはダメ出しをされ、それはそれは指導を受け続け…相当に参っていた時代があった。

息子は、やけにフレンドリーで、誰にでもニコニコとして近づくくせに、何一つしゃべらない…大人しいんだか積極的なんだか良く分からない子供であった。

ずいぶんのんきで、かなり穏やかなこどもであったため、あまり怒っているところを見たことがない。順番を抜かされても怒らなかったし、むしろ後ろにたくさん並んだ子に順番を譲るようなこどもであった。言葉が出ないことは気になったものの、いい人なのであまり気にはしていなかった。

だが、引っかかってしまったからには、行政からの指導が入るようになるのである。ここに行って検査を受けてください、ここに行って指導を受けてください、ここに行って相談するといいでしょう・・・。

「なんていうか、子供がずいぶん好きみたいですね、うーん、人が好き?優しいいい子ですけどねえ・・・。ちょっと知能テストも見てみましょうか。」
「はあ。」

あれは何度目の保健所訪問だっただろうか。
聞き取り調査の後、一時間ほどかけて詳しい検査を受けることになった。

まったくしゃべらない息子は、指差しで知能テストを次々にクリアしてゆく。…しゃべりはしないが、息子は毎日図鑑を見ていて…やけにいろんなことを知っているのだ。読み聞かせは嫌いらしく、絵本より写真集や間違い探し、迷路ばかり好んでいた。それを一緒になって遊びながら、いつの間にか自分の方が熱中していたなんてことも珍しくなかった。

「分かってるみたいですけど、うまく声に、言葉に出せない?…普段、何しゃべってます?」
「はいとか、やだとか、あとは欲しいとか、いらないとか…名詞は聞かないですね。」

…返事は、するのだ。これは何?という問いかけをすると、ニコニコ笑っているだけというか。

「じゃあね、次はちょっと難しいよ、今から先生が積み木作るから、同じ形に作ってみて?」

2.5センチ角の、立方体の積み木セットが出てきた。
先生が、息子の前にカラフルな積み木を、三つ、縦に積む。

保健指導の先生と、言語聴覚士の先生が見守る中、息子は積み木を同じ形に積んだ。積み木を八つ積んでも、おかしな形に積んでも、息子は同じ形に積み上げた。

…同じ形は、簡単に創ることができたのだ。

「じゃあね、この積み木、いくつ使ってるか、分かる?」

先生が積み木を四つ積んで、息子に数を聞いた。

「よん。」
「そうだね、じゃあ…これは?」

先生が、積み木を足して息子に数を聞く。

「はち。」

息子は、数字を話すことは、できたのだった。
毎日、お風呂で割り箸を使いながら100まで数えるのを、日課としていたのだ。

「数字は話すんですね。」
「100までなら、多分…。」

先生は、複雑な形に、積み木を積み上げていく。

「じゅうに。」
「にじゅうご。」
「ごじゅう。」

…ものすごく入り組んだ積み木の数を、数えもせずにピタリと答えていくではありませんか。思わず、指導員の先生と、顔を見合わせた。
これは一体・・・。

「たぶん、この子は数字が好きなんですね。そっち方面で能力を伸ばしたらいいんじゃないでしょうか。」

要経過観察のハンコをもらい、ようやく落ち着いた日々がやってきた。

保育園でもほとんど話さなかったが、それなりに穏やかに過ごすことができた。

キューブの積み木がずいぶん気にいったようだったので、息子に、テストで使ったものと同じものをプレゼントした。

…積み木でいろんな形を造るようになり、それをきっかけにして言葉も増えていった。積み木が言葉を増やしたといっても過言ではない。

さらに、積み木のおかげでなんとなく、息子の頭の中が分かってきた。

彼の頭の中は、少しばかり普通の人と感覚が違うらしいのだ。

文字があって、それを組み合わせて言葉にして発生する、そのシステムが…いまいち違うようだった。彼の中には、言葉そのものがあり、それを言葉に変換するという作業が難しい、らしい。

彼の頭の中には、積み木が積み重なった状態で存在しており、一瞬でその数を理解することが可能なようであった。
だが、積み木一つ一つが組み合わさって形を作る…その状態を作っている一個、という考え方が、難しいらしい。
この形を作っているから、数はこれだけだ、・・・形ありきの、数の認識とでもいうのか。

つまり…頭の中にあるものを、外の世界に持ってくることが非常に難しいタイプの人だったのだ。外の世界のものを自分の中に持ってくるためには、自分の中にある好奇心をフル活用して引っ張り込まなければいけないタイプの人だったのだ。

ずいぶん育った今、息子は言葉を使ってコミュニケーションをとることを知っている。言葉少なに、ぽそりぽそりとつぶやくのが、彼の持ち味だ。

勉強はなかなかに難しいものの、持ち前のフレンドリーさを生かして、相当周りの人に助けてもらいつつ何とか、まあ、ついていくことができているような、いないような。

…私は学校の成績なんてのは、ほとんど気にしていない。

同じ年齢の子どもたちの中で、知識量がどのくらい優れているかなんてのは、学問を得意とする人たちだけで競えばいいと思っていたり、する。

多少試験結果の点数に赤い丸が付いてようが、長期休み中に追試に行くことになろうが…目くじら立てることも無いって思ってるっていうか。

息子は料理が好きで、料理自慢ができるんだから、そっちで頑張れば良いと思っている。
・・・うまい料理を作ってくれる息子にはね、うまい料理を作る時間を与えたいわけですよ!!
将来使う事のない知識を無理やり頭の中に詰め込むとかさあ、時間がもったいないっていうか!

だがしかし、やけに真面目な息子は、健気にも勉強を放り出さずに努力を続けていたりする。
……すごいなあ、なんてできた人だ、私に似たに違いない。

「そのブロック。」
「ああ、覚えてる?君これ好きだったでしょう、ニュウちゃんにあげようと思ってさあ。」

乳児期を過ぎたチビッ子にあげようかなあって思って、押し入れから引っ張り出したんだけど。意外と色褪せてたっていうか…お古じゃあ喜んでもらえないかなあってね、迷ってるっていうか。やっぱ、新しいのプレゼントした方がいいよねって思ってるっていうか。

「ふふ、よく遊んだやつだ。」

息子が懐かしそうに、積み木を積み上げる。
・・・小さな指で、一生懸命積み木を積んでいた頃が、思い出される。

「ねえねえ、これ、いくつあるか、分かる?」

私は、積み木を積んで、その数を聞いてみた。

「二十八。」

…やけにおかしな考え方は…今もなお、続いているようだ。数えもせずに、瞬時にぴたりと数を当てに来る…数えてみると、確かに28、恐れ入る。

・・・そうだ。

私は、少しばかり…悪戯心が湧いた。

「じゃあ・・・これは?」

積み木を積み上げて、息子に向かって、聞いてみる。

「四十八個・・・いや、違うな、残ってるのが四個だから、四十六個でしょう。」

・・・めっちゃいい笑顔で、こちらを見る、息子。

積み木に隙間を作って空間を隠して積み上げたら、引っかかると思ってたのに!!!テーブルの上に残る積み木を数えるとか、ずるい!!!

「グぬぬ…恐れ入りました・・・。」

引っ掛け問題すら、引っかかってくれない、息子。

「昔も・・・同じこと、したよ。覚えて、ない?」
「マジで!!全然覚えてねえー!!」

記憶力の衰えた、私…。
地味にショックだ、これはまずい!!!

「これやって、頭、鍛え直したら。」

息子が差し出すのは、積み木に付属している、創造カード。

幼き日の息子は、このカードに描かれているイラストを元に、いくつもいくつも、何度も何度も積み木を重ねて…言葉を、得たのだ。

「・・・やる。」

私は積み木を譲ることをやめて、自分の頭の体操に使う事を・・・決めたのだった。

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