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……名も知らぬ葉を思い出すたびに、私は無性にアクセサリーを作りたくなる

 子供の頃、草遊びが好きだった。

 おおばこ相撲に笹船、手裏剣作りにジュズダマネックレス、エノコログサの毛虫にぺんぺん草のでんでんだいこ、オナモミミサイルに朝顔のスタンプ、どんぐりのやじろべえにヒメシバのハートステッキ、シロツメクサの冠にカタバミのちょうちょ、へびいちご狩りにオシロイバナのお化粧、シーシービー(カラスノエンドウ)の笛にフウセンカズラの癇癪玉……。

 私は俊敏性にかける子供だったので、鬼ごっこやけいどろ、サッカーなどの遊びにはあまり積極的ではなかった。
 が、家の中にこもって絵を描いたり本を読むようなインドア系の子供でもなかったため、帽子もかぶらずに外に出ては豊かな大自然の中に繰り出しては、色々と試行錯誤をしていたのだ。

 海も川も山も比較的近くにある、程よい田舎に住んでいたこともあって、毎日のように大自然あふれる土地で草と戯れていた。昔は携帯ゲーム機などなくて、そこら辺に生えている草で遊ぶくらいしかできなかったこともある。

 雑草の類を気軽にむしっては、適当に遊んでそこらへんにポイポイ投げ捨てていたような時代だった。投げ捨てた草花は、土の上で程よくこなれて、すぐに大地に馴染んでいった。舗装されていない砂利道は実に険しくて、やわな草花などあっと言う間にその姿を崩してしまったのだ。

 随分無遠慮に大自然を略取していたものの、きれいに咲いている花や大きな葉っぱは、手出しをするのに躊躇する事がぼちぼちあった。なんとなく、せっかく咲いているのに摘んでしまうのは申し訳ないというか…虫が食っていない葉っぱをむしるのは気の毒というか、わりと私は同級生たちの中では遠慮がちな子供だった。もしかしたら、一番仲良しだったひろ子ちゃんが大きな花をちぎって髪飾りにしたら、中から蜂が出てきて刺されてしまった時の大さわぎがトラウマになってしまったのかもしれない。

 よく分からない自分基準で、遊んでいい草花を仕分けしていた。空き地に生えている雑草は好きなだけちぎって良い、川沿いのジュズダマは狩り尽くしたらダメ、土管の広場のへびイチゴは小さい子に譲ること、丸くて綺麗などんぐりは高学年に渡すこと、オシロイバナのタネはお洒落な女子に献上すること、シービービーはぷくぷくのものしか取ってはいけない、笹舟は一日に一艘しか流してはいけない……。いろんな学年の子供達が混じって遊ぶ大自然の中で、いつの間にかできていたルールのようなものもあったように思う。

 わりと制約が多い中、私が毎日気軽にむしっていたのは小学校の生垣になっていた葉っぱだった。

 当時、小学校の敷地の端には、年がら年中緑色の葉っぱが生い茂る生垣が植えられていた。体育館から校門、運動場、裏門、プール横…敷地内をぐるりと囲んでいた、謎の植物。みっちりと緑色の葉っぱが生えていて、校内の様子をばっちりと隠す天然の壁のような生垣。いつも生い茂っていたので、手持ち無沙汰な子供達は実に無遠慮にこの葉っぱをちぎっては時間を潰していたのだ。

 生垣の葉っぱを使った遊びは、主にアクセサリー作りだった。葉っぱを一枚むしって、真ん中の硬めの葉脈(主脈)を残してやわらかい部分をやぶり棒状にした後、葉脈内にある繊維質を残して切らないよう外側の葉の表面部分のみをちぎっていくと、少々お洒落な飾りができる。ブチブチに千切られた葉の茎の部分が風を受けてゆらゆらと揺れる、ヨーヨーキルトのカーテンのような、レトロモダンオーナメントカーテンのような、吊り下げ型のガーランドのような、ミニマムサイズのモビールのような、キラキラと光らないサンキャッチャーのような代物になるのだ。

 ~図解のようなもの~

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 □:葉っぱの葉脈部分
 -:葉っぱの葉脈の中の繊維


 軸の部分を乱暴に扱うと繊維も一緒にちぎれてしまい、長くてきれいなアクセサリーにならない。集中力と根気が問われる、テクニックを必要とする草遊びであった。

 私は熱中するとキッチリ最後まで仕上げるタイプで、細かい作業を苦としない職人肌だったので、けっこうこのアクセサリ作りには自信があった。まだ上手に細工ができない低学年の子にプレゼントをしては喜ばれたものだ。

 古い葉っぱは手触りが硬くて虫が食っていることも多く、私はいつもやわらかくて色の薄い若いものをむしっていた。きれいな葉っぱを見つけては、遠慮せずに千切ってアクセサリー作りに励んでいた。だいたい校門横の葉っぱをむしって、家に帰る道すがら作業に励んで、家の前で完成して満足し、どぶにポイと投げ捨てて玄関のドアを開けていたのだ。

 自分が小さい子供の親になった時、昔を思い出して草遊びをしようと思った。絶対に喜ぶだろうな、一緒になって遊びたいな…、期待を胸に近所を散策したのだが。

 現代というのはずいぶん遊べる草花を手に入れる事が難しくなっていて、かなり愕然とした。わりと都会に越してきたため、未開の土地が身近にないという事もあった。周りには基本的にアスファルトに覆われた地面しかないし、整備された公園はあるものの、むしりたい放題できる生け垣はどこにもなかったのである。

 だだっ広い荒れ果てた出入り自由な草原など、どこにもみあたらない。ジュズダマもへびいちごも、探したけれど見つからなかった。ドングリやカタバミ、シービービーなど、今も遊べるものもあるけれど、一番身近だった葉っぱが見つからない。

 あの葉っぱは、かわいいコックさんの絵描き歌の唇のような形状をしていて、緑色が濃くて、若干厚めだった。マサキの葉っぱに似ているような気もするが、どうも微妙に違う気がする。桜の葉っぱのようにぺらぺらではなくて、サカキよりは大きかった、ヒイラギのような攻撃性はなくて、カナメモチのように色が変わったりしない。

 謎の葉っぱの正体を知ろうと実家に行った際に小学校へと出向いてみたのだけれど、時代の流れなのか、生け垣はきれいさっぱりなくなっていて結局何もわからなかった。図鑑を見てみたけれど、どれもイマイチぴんと来なくて、わからないなら別の草花で遊べばいいかという妥協もあって追及するに至らなかった。

 そうこうしているうちに娘も息子も大きくなってしまって、結局私の一番得意な草遊びを伝授することはなくなってしまったのだった。

 毎日公園にウォーキングに行くたびに、きれいに植えられている草花を見ながら脳裏に浮かぶのは、幼い頃にむしった葉っぱの事だ。色は…緑色は、草の匂いは、砂利を蹴る音は、小石が入り込んだ靴の中の感触は、子供の頃をばっちりと思い出させてくれる。

 公園内には、あの頃むしった葉っぱらしきものは植えられていない。似たような葉っぱだと思って一枚拝借してみても、アクセサリーにはならないのだ。おそらく、種類が違うのだろう。

 あの葉っぱはなんという植物だったのか?もう一度ブチブチとちぎりたい、その欲望が…どうやら私を駆り立てるらしい。

 私はハンドメイドを嗜んでいるのだけれども…どうも、吊り下げタイプの、ゆらゆらと揺れるモビール系のものを作りたがる傾向にある。アクリルパーツをチェーンでつないだデザインばかり選んでしまうのだ。昭和を感じさせるとか、古臭いとか、少々耳触りのよろしくない声が聞こえてくるたびに、己の中に染み込んでいる歴史をひしひしと感じてしまう。

 私の手に馴染んでいるのは、毎日のようにむしったあの日の葉っぱの手触りであり、達成感であり……、思い出に彩られた日常と、都合の悪い事を排除した修正済みの記憶なのだ。

 ……これはもう、変わることはできないものなのだろうなあ。

 流行りのデザインを生み出すとか、そういうのは…若い人におまかせしましょうかね。
 そうだ、今回のモチーフは葉っぱにしようかな、風に揺れる葉っぱと、雨粒のイメージで…うん、これはいい作品ができるに違いないぞ。

 私はデザイン帳にボールペンを滑らせて、緑色のビーズに手を伸ばしたのだった。

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