見出し画像

「知らない権利」を持ちつつも、わたしが「知る権利」を使い続ける理由

最近、悲しいニュースが続いている気がする。

朝のニュース番組を観ていると、しんどくなる。
幸せな情報がひとつとやってきやしない。きっと今も幸せな瞬間を迎えている人はたくさんいるのだろうけれど、重たい話が多すぎる。ひとつも片付いていないのに、また次の課題が出てくる。その繰り返しだ。

わたしたちは、「知らない権利」を持っている

わたしたちは常に、「知らない権利」を持っている。

SNSに疲れたら離れていい。ニュースに凹んだら観なくていい。
あなたの心と身体を守るために、「知らない」「表現しない」「受け入れない」という選択肢は、常に持っていてほしい。

===

「知らない権利」を行使したことがある。

数年前の9月1日。
ある中学生が、自ら命を絶つという選択をした。その選択しか残されない状況まで追い込まれていた。
当初学校は関与を否定していたものの、クラスメイトの証言や、その子の手書きのノートなどから、学校で過酷ないじめに遭っていたことが判明した。

連日、そのニュースが報じられていた。
その子の親御さんやクラスメイトたちが取材に応じていた。顔写真や名前と共に、どれだけやさしく、すてきな子だったかが伝えられた。献花に訪れる方も、湿った声で悲しみのコメントをしていた。

つらい、と思った。

理解はしている。
毎年、300人以上の子どもが、あの子と同じ選択肢を取る。その選択しかないところまで、追い込まれている。
14万人の中高生が、学校に行ってない。40万人の中学生が、学校に居心地の悪さを感じている。

でも、一人の少年のストーリーをずっと追って、彼がどんなに苦しい思いをしていたのかを知ったら、とてもじゃないけど耐えられなかった。

献花をする方の周りでシャッター音が聞こえるのが不愉快だった。悼む時間は誰かが邪魔していいものではないと思った。

親御さんが涙をこらえながらインタビューに答える姿を見たくなった。
いっそ声をあげて泣いてほしかった。家族や友人、親しい人たちと、ただただ痛みを和らげることに注力してほしいと思った。
ニュースを観るのを、やめた。SNSも使わなくなって、ニュースアプリはアンインストールした。ラジオも聞かない。新聞も読まない。

とにかくすべての情報から離れて、自分の心身が回復するのを待った。

それでもわたしは「知る権利」を行使する

今でも、9月1日の朝、テレビをつけるのはたまらなく怖い。
怖いけれど、つける。どうか流れないでくれと願いながら、子どもたちの現状に向き合う。

それは、フリースクールという学校に行かない子どもたちのための場所を運営している人間としての責任感もあるけれど、それだけじゃない。
「見ないふり」をしたくなかったんだ。

たくさんの「隠れた真実」たち

わたしが知らないからといって、問題がないわけではない。

今でも紛争で苦しむ人はたくさんいるし、たくさんの子どもが言葉を交わすことも知らぬまま天へと帰っていく。失業、望まぬ妊娠、性差別、地域格差、貧困の連鎖、戦争、いじめ、事件、事故、自殺、人種差別……。
この世界には、苦しんでいる人がたくさんいる。

それは、どこか遠くの、名前も知らないような国・地域で起きているんじゃない。
わたしたちの暮らすこの国で、あなたが暮らすその地域で、起きているのかもしれない。

電車で乗り合わせた数十人の中にも、明日からの生き方に迷う人や、家族と言い争ったまま出かけた人はいるかもしれない。
泣きたい衝動に駆られながら、平然としたふうを装って電車に揺られる人がいるかもしれない。

その一つひとつの悲しみや孤独、葛藤、隠れた真実たちに目を向けられる人でいたいと思う。
すべてを見ることはできなくても、せめて想像したい。想いを馳せたい。

見ないふりをしても、なくならないから。
蓋をしても、消えないから。

ひとりの人間の人生が、真っ黒に塗りつぶされそうになっているなら、そこに少しでも色を足したい。黒に何を塗ったって黒だと言われるかもしれないが、乾いた黒の上からなら、何色だって重ねられる。
その乾く時間を、隣で寄り添いたい。乾くのを待つのは、しんどいから。つい指の先でつつきそうになった時、「まあまあ、もうちょっと待ちましょうよ」と缶コーヒーを差し入れたい。

疲れた時は、休んでいい。戻ってこれるから

ここまで書いたけれど、わたしだって四六時中ニュースをチェックしているわけじゃない。
むしろ「しんどい」「つらい」「やるせない」と感じたら、早め早めに休息をとるようにしている。

疲れたら、休んでいい。しんどい時は、観なくていい。
世の中の話題は刻一刻と変わるけれど、誰もあなたを置いていかないから。ここに戻ってこれるから。
だから、「ちょっと疲れたなぁ」と思ったら、ぜひ積極的に休んでほしい。

一番大切なのは、あなたの心と身体だから。それを忘れないで。

幸せがあることを、忘れないで

悲惨なニュースが続くと、「世の中にはもう望みなんてない……」というような極端な考えが生まれやすくなる。
でも、それは真実じゃない。

今日、誕生日を迎えた人がいる。
今日、仕事で認められた人がいる。
今日、生まれた赤ちゃんがいる。
今日、好きな人と結ばれた人がいる。
今日、大切な人に抱きしめてもらった人がいる。
今日、大好物のオムライスを食べた人がいる。
今日、「生きててよかった」と感じた人が、必ずいる。

どれだけ惨い出来事があっても、報われなくても、「みんなが不幸な一日」なんて絶対にない。

そのことを、覚えていてほしい。

===

わたしの友人は、3月11日にお母さんになった。
きっと子どもが誕生日を迎える度に「ああ」と言われるのだろう。「ああ、あの日の」と。

でも、だからこそ、「おめでとう」と言いたい。
よく、生まれてきてくれた。その命の輝きに、希望を見出す人は多いはず。どうか、幸せな人生を。少しでも多く、「生きててよかった」と思えますように。

===

悲しいニュースは絶えない。

でも、嬉しいニュースだって絶えない。

凄惨な事件があった後には、義援金が集まったり、支援者が募ったりといったニュースもうまれる。「だから、良い」じゃないし、悲しみは消えないけれど、どうか一筋の光を見出してほしい。
人生は、もっと豊かで、幸せで、楽しいものだと思うから。暗い部分は、やさしく包み込もう。

明日の空は、きっときれいだよ。

感想、コメント、リクエストなどいただけたら嬉しいです。「たかれんのこんな記事読みたい!」があったらDMにどうぞ!