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takaren advent note

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「cotree advent note」に寄せられたnoteの感想をひたすら書いていきます。「私のお気に入り #cotree_advent_note 」企画にて「選べないよう……」… もっと読む
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2019年6月の記事一覧

言葉に向き合い続ける意義

書くこと、を仕事にしている。 プライベートでも、日々noteを書いたり、手紙をしたためたりして、言葉に向き合い続けている。 でも、たまに迷う時がある。 * このnoteは、櫻本真理さんのnote『「まともな言葉」は世界に届かない | 誠実さと届けたいもののあいだで』の感想note。 言葉を届かせることのリスク「まともなこと」は拡散されづらい。それは「まともなこと」は人を傷つけないし怒らせない、そして普段傷ついている人の思いを本人以上に代弁することもないからなのでしょう

食を大切にすることは、自分を大切にすること

さのさんのnote「食べることにこだわる理由」の感想note。 * わたしたちの生活の基礎は「衣食住」だ。 2日分の着るものと、 今日の活力になるごはん、 雨風を凌げる場所。 生きていくには、最低限これらが必要だと思う。 「食」を大切にする機会「衣」は、周りから見えるものだし、気にする人が多いように思う。特別なこだわりはなくとも、最低限身だしなみはチェックするはずだ。 そして「住」は、例えば引っ越しする時など、自分に必要になればトコトン情報を仕入れるはずだ。安い買い

一人ひとりの人生に想いを馳せる。丁寧に、大切にする。

「一人ひとり、丁寧に、丁寧に」 この言葉に、ドキッとした。 * このnoteは、ひらやまさんのnote「一人ひとり、丁寧に、丁寧に」の感想note。 人への想像力が及ばなくなる時。人が増えれば増えるほど、一人ひとりへの関わりは薄くなりやすい。使ってくれるユーザーさんが増えれば増えるほど、一人ひとりへの想像力がなくなってゆく。 事業やサービスを作っていくと、どうしても「一人ひとりへ目を向ける」ことが難しくなる。 より多くの方に届けようとするあまり、顔を忘れてしまう。ユ

依存先をなくさずに増やす秘訣

中村彬裕さんのnote「依存って本当によくないこと?」を読んで、あらためて依存と自立について考えてみた。 依存は悪いこと?依存を減らすのは良いこと?一人の人に頼りすぎたり、マウントを取ったり、束縛したり。 「依存」は、悪いことのように語られる。依存するのは良くないことで、自立しないといけない、と多くの人は考えている。 でも、依存は特別なことではない。 中村さんも、わたしも、そしてあなた自身も含めて。誰でも、依存する瞬間はあるはずだ。 心細くなった時。 うまく人に相談でき

表現者を表現者たらしめるもの

話す。書く。歌う。描く。弾く。 そういうことを日常的におこなっている人は、(ちょっと大げさな表現かもしれないが)「表現者」であると思う。 表現者には、ものを生み出す喜びと、ものを生み出す苦しみが同時に押し寄せる。 いたのさんのnote「そのままでいい、自信を持って!」を読みながら、表現者を表現者たらしめるのは何なのか、考えてみた。 表現者が表現者でいられない時いたのさんは、初めてオリジナル曲を作ろうとした際、曲作りにすごく苦労したそうだ。 しかし、いざ曲を作ろうと思う

続けることの難しさ、楽しさ

何かを始めること、何かを続けることは難しい。 「やったほうがいい」「続けたほうがいい」 そんなことは分かっているけれど、実際には、取り組まずに忘れてしまうことのほうが多いだろう。 だから、カジュアルに始められる人、コンスタントに続けられる人は、本当にすごいなぁと思う。 じゃあ、どうすればもっとカジュアルに始めて、コンスタントに続けられるのだろう? その答えは、ひらやまさんにあるのだそうだ。 * このnoteはまじめさんの寄稿記事「【寄稿】答えは、ひらやまさんにありま

人に向き合う、ということ

人に向き合うということは、簡単なようで難しい。 些細な言葉をきっかけにすれ違ったり、想い合っているのに通じ合えなかったり。 難しいけれど、やることは至ってシンプルで。 今日はひらやまさんのnote「人に向き合う7つのスタンス」を読みながら、「人に向き合うとはどういうことか」を考えていきたい。 人に向き合うことの難しさとシンプルさ人に向き合うことは、困難の連続だ。小さな誤解があっという間に大きな問題になってしまう。だからこそ辟易とする時もあるし、「もうやめてしまいたい」「一

主観と俯瞰のバランス

主観的に考える人、俯瞰して物事を見る人、物事の考え方・見方は人それぞれ違うと思う。 わたしは主観的に物事を捉えるクセがあって、意識的に俯瞰するように気を付けているのだけど、やっぱり油断すると主観がズイズイと顔を出してくる。 もちろん主観することには良い部分もたくさんある。 でも、レッテルを貼っちゃったり、事実と違うように認識しちゃったりする部分もあって、なかなかに付き合いにくい思考のクセだ。 そんな折、徳田さんのnote『「主観的判断」とは僕らにとって悪友である』を読ん

「重力」がないとやっていけない。身体も、心も

信じられていると感じる場所は、居場所になる。 なんとなくは分かるし、実施に「自分への信頼」を感じられる場所・繋がりは心地良い。 でも、「信じられているって感じられるのは何故?」「信じられているってどういう状態?」って聞かれると、答えに詰まってしまう。 きっと答えは複数あるけれど、そのうちの一つが、ふじわらさんのnote「心にも重力を感じないと立っていられないよ」にあると思った。 「信じられている」は「心の重力」「信じられている」という感覚とはどんなものなのか。 これは心

こういう姿勢でユーザーと向き合えたら、幸せだと思う

何かサービスや商品を提供する時には、必ず「ユーザー」がいる。企業によっても、個人個人によってもユーザーとの向き合い方、ユーザーへの想いには違いがあると思うが、さのさんのnote「cotree運営の一人である僕はユーザーさんのことをどう思っているのか。」を読んで、「こういう姿勢でユーザーと向き合えたら、幸せだな」と思った。 さのさんの、ユーザーへの想いさのさんがインターンしている会社・cotreeは、オンラインカウンセリングサービスを提供している。 noteには、こう書いて

現実の厳しさとゆるさ

べとりんさんのnote『悪ではないが敵である 〜「Mother2」感想〜』を読んで、非常に興味深い一文があった。 「現実は厳しい」なんて言い方をよく聞くが、誤解を恐れずにいえば、むしろ、私は現実とは「ゆるい」ものだと思っている。 べとりんさんのnoteより 「現実は厳しい」「努力は報われない」「現実とは世知辛いもの」 そういう言葉を何度も聞いたし、「報われないなぁ」と思うこともある。 だからこそ、べとりんさんの“現実とは「ゆるい」ものだと思っている”という意見に興味が

「課題」の先にあるもの

目の前の課題に向き合っていると、その手間にあるつまずきが見えなくなることがある。 成長意欲、向上心の強い人ほど、その傾向は強いのではないだろうか。 まず課題を具体的にすることを意識しています。 なぜなら、課題を具体的にすることによって、より効果的な、精度の高い打ち手を打つことができ、そうすることで、できないことを克服できる可能性が高まると思っています。 中村さんのnoteより 中村彬裕さんのnote「その課題、本当に課題ですか?-認知カウンセリングで課題を克服した話-

自立とは依存であり、依存とは自立である

プライベートでも仕事でも誰かの相談に乗ることが多いのだが、乗る度に「自立」と「依存」のバランスの難しさを痛感する。 moriyamaさんのnote「自立するということ」を読んでたいへん勉強になったので、今日はこの「自立」と「依存」について、改めて考えてみたい。 自立と依存は対極にある?moriyamaさんもnoteで"一般に、自立の反対は依存だと考えられがちである。"と書いている。自立している人は依存していない人であり、依存している人は自立していない人、ということだ。

結果を手放し、本質を愛する。「勇気」をもって

結果、成果、名声、評価。 そういうものは、やる気を底上げしてくれる良薬になってくれるけれど、重荷になることもある。重たい荷物を背負いすぎると、人は身動きが取れなくなる。 ひらやまさんのnote「スキをもらわない勇気」は、そんな重たい荷物を背負っている人に届けたいnote。 noteを書く時の、ちょっとした不安文章を書く時間、noteを書く時間がすきです。ただ、公開するまでは少しの不安がある。 ひらやまさんのnoteより 分かるなぁ、と思った。 公開する時、ふとよぎる