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「課題」の先にあるもの

目の前の課題に向き合っていると、その手間にあるつまずきが見えなくなることがある。
成長意欲、向上心の強い人ほど、その傾向は強いのではないだろうか。

まず課題を具体的にすることを意識しています。

なぜなら、課題を具体的にすることによって、より効果的な、精度の高い打ち手を打つことができ、そうすることで、できないことを克服できる可能性が高まると思っています。

中村さんのnoteより

中村彬裕さんのnote「その課題、本当に課題ですか?-認知カウンセリングで課題を克服した話-」を読んで非常に興味深かったので、今日は「課題との向き合い方」について。

実際にやってみた

中村さんのnoteを読みながら、「わたしもやってみようかな」と感じたので、ちょっと試してみることにした。

やったことは、

1.自分の苦手・課題を認識する
2.いつから、どんな状況で感じるのかを深堀りする

の2つ。単純だったけどいろいろと学びがあったので、以下はその記録。

なんで試そうと思ったのか

試そうと思ったのは、中村さんのnoteにこう書いてあったから。

うまくいく時もうまくいかない時もありましたが、活動していく中で、ぼくが苦手なのはグループワークではなく、共感的なコミュニケーションを取ることだと気づきました。

具体的には、人の意見を聞く(あるいは引き出す)こと、それに対して共感を表現することが苦手でした。

中村さんのnoteより

読んだ時、「え、新鮮」と思った。
中村さんのnoteやTweetを見ててそういう部分を感じることはなかったし、むしろ「人と仲良くなるの上手だなぁ」「素直で人の話よく聞いてて、すてきだなぁ」と感じていたほど。

だから中村さんの中に起きた変化に興味が湧いたし、わたし自身課題を感じることは多いので、その変化の一欠けら分でも感じてみたかった。

1.自分の苦手・課題を認識する

苦手を克服するには、その根本となる「課題」が必要だ。
正直わたし自身の課題は数えきれないほどあるのだけど、すべてを書いていたらどれだけやっても終わらない。
そのため今回は、わたしがもっとも苦手意識を持っていて、かつなるべく早く解決したい(しなければならない)と感じているものに絞ってみる。

それは「自分の意見を相手に伝えられないこと」だ。
特に相手の意図に添わないものや、相手にとって不利益となり得るものはなかなか言えない。例えば、遅刻や欠席に対する注意とか、相手の行動が理念に添えていないことを伝えるとか。言えないうちに事態が悪化することもあるし、なによりチームのリーダー的役割を担っている今、どうにかして伝えられるようにならなければならない。

わたしが伝えられないと、その「伝える役」は、他の誰かが担うことになるのだから。そんなしんどくて大変な役割、自分がやらなくてどうする。

課題:自分の意見を相手に伝えられないこと

2.いつから、どんな状況で感じるのかを深堀り

いつから……というとハッキリしたことは言えないけれど、小学生の時にはもっとハキハキ言っていた気がする。失敗することや恥ずかしい思いをすることを極端に恐れていたので、そういう理由で意見を言えない場面は多々あったけれど、その意見が相手にとって有益か不利益かはあまり考えていなかった。

たぶん、高校生の時に友人を傷つけて以来だ。その時からずっと、自分の発言が誰かを傷つけること、誰かの居場所を奪うことに臆病になった。(あの頃から引きずってるのか……)

「人に意見を言うのが苦手」とは言ったけれど、感謝を伝えたり、相手が困っている時に解決策を提案したりすることに対しては、恐れは感じない。緊張はするけれど、むしろ伝えすぎてウザがられるんじゃないかとビクビクするくらいだ。

つまり、わたしが人に意見を言えなくなるのは、相手にとってネガティブな意見の時のようだ。相手の居場所を取ってしまわないか、落ち込んじゃわないか、やる気を削がないか。

それから、書いていてふと思ったのだけど、自分の中に「偏り」がないか不安な時にも、相手に意見を伝えられなくなる気がした。二人の仲裁に入る時にどっちかに肩入れしているように感じた時とか。

直近で相手に意見を伝えられなかった時も、相手の意見と自分の意見との間で「どうしても譲れないな」と感じていた。譲歩できないから妥協案を出すことも難しかったし、「相手の意見を聞き入れられない状況で話し合いの場を持つのは失礼だ」とも考えていた。
そういう「偏り」があった時、わたしは相手に伝えることを諦め、自分の意見を押し込んでしまうきらいがある。

あとは、自分の機嫌が悪いのに気付いている場面でも意見が言えなくなる。機嫌や気分が言動にえげつない勢いで出てしまうので、どうにも気分が落ちている時や、機嫌が不安定になっている時には、意見に棘が含まれてしまう気がする。

普段めちゃくちゃ気を付けて人と接している反動か、どうにも気遣えない日がたまにある。そういう時に相手がちょっと喧嘩腰だったり前提条件を度外視した提案だったりするともうダメだ。加速度的に苛立ちが募ってしまう。

……ここまで書いてきたことを、一旦まとめてみよう。

いつから:高校生の時から
どんな状況で:
①相手にとってネガティブな意見の時(相手がこの場から去る不安、相手を傷つける不安から)
②自分の中に「偏り」を感じる時(相談ではなく報告になる申し訳なさから)
③自分の機嫌が悪い時(やさしい言葉を選べない、刺々しくなりやすいから)

ここまで書いて、思った。
わたし、人に意見を言えないのが課題なわけではないのでは??

例えば、「③自分の機嫌が悪い時(やさしい言葉を選べない、刺々しくなりやすいから)」は、人に意見を言えないのが悩みというよりも、自分の感情をコントロールできないことが悩みなのではないか。
感情の起伏がそのまま言動に表れてしまうこと、自分で自分がコントロールできないこと、理由なく苛立ってしまう時があること。そういう部分に、課題があるのではないか。

そして往往にして、うまくいっていることよりも、うまくいっていないことに目が行きがちです。

だから、人は自分の苦手を発見したときに、早合点してしまうのではないでしょうか。

でも、あなたが思っているその苦手は、本当に苦手なんでしょうか?

中村さんのnoteより

中村さんがnoteに書いていた通り、目の前の課題に焦って、早合点していたのかもしれない。

そう考えると、意見を言えないのは相手の気持ちを想像できることの表れとも思えてくる。
課題を具体的にすることで、課題の根本にある「つまずき」を認識できたし、むしろ自分の得意な部分を見直す機会にもつながった。

めでたし、めでたし。

困ったら、まずは「引きで見てみる」

大学で教職・教育について学んでいた頃、「小学4年生で躓く子は、小学2年生の内容で躓いていることが多い」という話を聞いた。

例えば算数の場合。小4の時には、角の大きさや割り算のひっ算、図形の計算の仕方など、たくさんの新しいものを学ぶ。小数が出てくるのも確かこのくらいだ。
それらの学びの根本には、四則演算がある。足す・引くはもちろん、掛ける・割るもスムーズにできなければ、小4の内容はぐっと難しくなる。

そして、掛け算が出てくるのは小2の時。九九を暗唱した経験のある人も多いのではないだろうか。
他にも、足し算引き算の桁数が増えてより複雑になるし、小1ではイラスト込みだった文章題もイラストが消え、文章の中から必要な情報を読み取らなければならなくなる。

これがなかなか難しいのだが、小2の時点で躓く子は少ない。多くは、指を折ったり絵を描いたりしながらなんとか解けて、先生たちもテストでは解けてるから気づかない。

でも、小4でガクンと来るのだ。
小数の計算がスムーズにできない。2桁の掛け算割り算ができない。計算ミスがやけに多い。図形の解き方が分からないなどなど……。

小3までは算数が得意だったのに、ガクッと落ちる。先生や保護者の方は焦るし、子ども自身も焦る。自信をなくす。余計にできなくなる。
そういう時、いきなり小4の問題を解かせても効果は薄い。それよりも、小2のところまで戻って、計算練習をしたり小数や分数に慣れたりしたほうがよほど早く成長する。

「分からない!」「できない!」
何か壁にぶつかった時、どうにかしてその壁を乗り越えようとするだろう。上まで届かないかと一生懸命跳んでみる。でも、どうやったって届かない。何度もやるうちに疲れてきて、体力も精神力も使い果たしてしまう。

でも、引きで見てみたらどうだろう。
数歩下がって、見てみる。壁の全容が見えてくる。穴が開いているかもしれないし、梯子やロープが見つかる可能性だってある。そもそも、その壁には本当はドアが付いているのかもしれない。

そういうことに気付けると、思っているよりも簡単に壁を越えられるものだ。

TOP画像は、壁を越えた先につながる道をイメージして。
青い空と豊かな緑が、すてきな未来を予感させてくれる。すてきな写真。(フォトギャラリーより、かりんさんの)

「私のお気に入り #cotree_advent_note 」に寄せて。

大好きな cotree advent note はこちらから

全部紹介すると決めた、
takaren advent note 16日目


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