被害者

(2023年、夏ごろの手紙)

 おばあちゃんも被害者だよね。と、仲間が言ってくれた。カウンセラーさんも言ってくれた。
 ありがとうありがとう。私は、そうだね、と思う。
 それから、で? だから? と思う。

 かわいそうに思わない。
 だから何なの? 被害者だから? で? はァ? と、ガラの悪い音程の声が出る。
 全然かわいそうじゃない。

 だって私は、どちらかというと、おばあちゃんのほうが嫌い。
 
 おばあちゃんは、なんか臭いし。口から腐った魚みたいな匂いがするし。
 おばあちゃんは、惨めだし。「おばあちゃん悪くない! おばあちゃん悪くないもん!」って叫ぶし。

 おばあちゃんは、「お前のせいでおばあちゃんは首吊るからな。
 お前が明日小学校から帰ってきたら、そこの柱からぶら下がっているからな。
 おまえのせいだぞ。この人殺し。人殺し。」って言うし。

 おばあちゃんは、ニコってしてくれないし。

 おばあちゃんは、口をひらけば、
 「おまえは戦争の時に生まれずに済んで、いいよなあ。甘やかされて、わがままいっぱいでなあ。」って言うし。
 おばあちゃんは、頭が悪いように見える。

 人間は、閉じ込められると、あまりものを考えられなくなるということを、私は知っている。
 それでもなお、私は、おばあちゃんに対して、バカなのかな、と何度も思った。

 おばあちゃんは、よくこれに、「汚い」とか「いやらしい」って言うけれど、おまえだってまんこぐちゃぐちゃじゃん。
 おじいちゃんもそう言ってるよ。その通りじゃん。

 おばあちゃんは、
 「おばあちゃんは、小学校に行ったって、兵隊さんのどんぐり拾いで、教育なんか受けられなかった。
 おまえみたいなもんが、小学校なんか行ったって。何が学校だ。何が勉強だ。おまえみたいな。おまえ。」
 って言いながら、おばあちゃんが疲れるまで蹴るし。
 
 べつにいいけれど。おばあちゃんは、おじいちゃんみたいに、脚の力がないし。
 
 おじいちゃんだと、死みたいな何かを見るが、べつにそれもそれでいい。
 どうせ、これが死ぬか、おじいちゃんが終わりにするかまで、終わらないのだから。関係ない。
 おばあちゃんなら、わたしたちは、ただ終わるのを待つだけ。小学生**は、おばあちゃんに蹴られてあげる時間。

* 

 仲間には絶対思わないことだが、おばあちゃんは、おじいちゃんに比べたら、大した目に遭っていないじゃん。
 と私は、思っている。
 
 おばあちゃんは、狭いところに閉じ込められていた「だけ」でしょ? 
 おばあちゃんは、人を殴るのが楽しくなっちゃった上官に、竹刀や木刀で殴られて、背中の皮がべろべろに剥けなかったんでしょ? 
 おばあちゃんは、目の前で人が、肉みたいに死ななかったでしょ? 

 なのに、おばあちゃんは、「その程度で」そんなに病んじゃって。バカみたい。惨めったらしい。
 私は、おばあちゃんみたいにはなりたくない。おじいちゃんは、抱っこしてくれるもん。

 あんなドブくせえのが被害者なら、私は絶対、被害者なんかなりたくない。
 おばあちゃんみたいに、「あんなことされた、こんなことされた、おまえのせいだ、おまえのせいだ」って。
 私は、そんなふうになるために生まれてきたんじゃない。 

 あんな、ゴミみたいな人生。と思う。
 ねえ、あんなゴミクズみたいな人生なら、おばあちゃんは、生まれてこないほうがよかったね。おじいちゃんも。
 そうしたら、私たちも、生まれてこずに済んだのに。

 おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、おじさん、**歳の時にいなくなったけれどお母さん、を見ていて、なんでおまえら生まれてきちゃったの? 
 私は、ああいうのが人生であるなら、ないほうがいい。

 私は、首を吊って正解だった。成功したらもっと花丸だった。残念。
 でも、カウンセラーさんが、「おばあちゃんは被害者の代表ではない」のだと言った。

 「おばあちゃんは、被害者のごく一部で、もしわたしたちが、わたしたちを被害者だと思っても、おばあちゃんにはならない」
 のだと。そうかな。ほんとに? 
 私が私を被害者だと思ったら、自動的にああなっちゃうんじゃないの?

 私には、おばあちゃんも、お母さんも、
 「われこそが被害者であり、世界で1番かわいそうである」
 みたいな、押し出しが強いように見える。

 私は、どちらも侮蔑している。おまえらドブくせえから。
 ああいうふうにはなりたくない。
 ならないんだって。本当に? わからない。どうしたい?

 仲間には、世界で1番大切な人みたいに扱われていてほしい
 毎日いちばん優しくされてほしい。楽しいことをしてほしい。
 それを自分にも思いなよ。と、最近思う。

 それから、突然なんだかわからないけれど怖いので死にたい、みたいな、あれは、引き続き、今もそう。