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自分の当たり前を疑ってみる!?

現在、マレーシアで暮らしている。
そんなわたしが日本では気づかなかったことに気づく。
今までは、こんなのは当たり前だと思って生きていて、当たり前すぎてなんにも感じていなかったことが、マレーシアに住むことにより、当たり前とはなにか?と考えさせられる。

店や家のトイレもキレイなのが当たり前、
レストランの椅子や皿やフォークがキレイなのが当たり前、
お風呂に浴槽があるのが当たり前、
トイレにウォッシュレッドがあるのは当たり前、
店員の親切なサービスは当たり前、
辛くない食べ物が当たり前、
甘すぎない飲み物やスイーツが当たり前、
歩行者道路や、車の通る道路がキレイなのは当たり前、
家の中に、ヤモリや鳩や鳥や、変な虫がいないのは当たり前、

いろんな自分の当たり前が違うことに文句が出る。

当たり前とはなんだろう…

自分の当たり前はどこから来るんだろう…

しかし、当たり前を求めなくなってからは文句もなくなった。
当たり前は当たり前ではない。
誰かの、文明の、先達の恩恵を受けているんだ。

ここで、適応、共存、感謝という言葉が思い浮かぶ。

そうだ!
自分が当たり前だと思ってきたことが、実は当たり前ではない場合があるんだ。
だから、ひとは環境に適応していく。
そして、虫や鳥たちと共存する。
観察していると、鳥たちにもルーティンがある。
いつも、朝からバルコニーのフェンスにとまり、ご挨拶。
フンは落としていくが、気にしない。

自分の当たり前は当たり前にあることではない。
そう思えると、ありがたいという
感謝に変わる。
わたしは、日本では大変ありがたい環境にいたんだと…


最後に、失敗談をひとつ
artificial vinegarて知っていますか?

わたしは勝手に勘で、華やかな風味の酢だと勘違いし、家に帰って訳してみたら、人工的な酢と訳せた。
なんだろう?これは酢なのか?
醸造された米とかは一切関係なく、科学的な実験で作られる酢酸のようだ。
捨てよう。
怖すぎる。

お読み下さりありがとうございます。

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