アッサム州記事まとめ

インド北東部、お茶で有名なアッサム州から発信された衝撃的な映像が波紋を広げています。それについての記事(↓)の抜粋要約です。

https://www.aljazeera.net/news/politics/2021/9/27/%D8%AD%D8%A7%D8%AF%D8%AB%D8%A9-%D8%A7%D9%84%D9%82%D9%81%D8%B2-%D8%B9%D9%84%D9%89-%D8%AC%D8%AB%D8%A9-%D9%85%D8%B3%D9%84%D9%85-%D9%82%D8%AA%D9%84%D9%87-%D8%A7%D9%84%D8%AC%D9%8A%D8%B4



動画では、州政府の住居立ち退きに抗議したムスリム男性が射殺され、さらにその死体の上を兵士や記者が飛び跳ね踏みつけています。

動画です(27秒辺りまで。閲覧注意です)

 動画の事件は、インドの国有地に住んでいるという理由で、州政府がイスラム教徒の800世帯へ立ち退きを命じたことが発端です。彼らは高等裁判所への抗議を行い、立ち退きの用意を見せてもいました。しかし、当局は25日早朝に1500人の兵士・警官と14輌のブルドーザーからなる部隊で突然彼らの住居、モスク、マドラサを破壊。住民らが抗議すると部隊は発砲し、成人男性と子供各2名が殺され20名の負傷者が出ました。家を破壊された人々は現在、雨季の川岸に雨ざらしの状態での生活を余儀なくされています。
 この強制移住作戦は2016年にインド人民党のアッサム州の政権を獲得して以来続いていますが、実は国の法律に違反しています。89年に制定された「土地政策」法では、国有地が3年間継続して使用されていた場合、居住用に1エーカー、農業用に7エーカーの土地所有が認められているのです。彼らは3年どころか1970年からこの土地に住み続けています。

 アッサム州は人口の多く(34%)をムスリム系住民が占めます。かつては英国が茶の栽培や原油採掘のために移民を招き、さらに前世紀にはパキスタン・バングラデシュの独立に至る内戦のせいで、多くのベンガル系移民や難民が流入しました。そのため、先住の人々との間に激しい対立が起こり、83年には大規模な虐殺も起こりました。この際遺族への補償や詳細な調査は行われませんでした。

画像2


 85年にはインド国民会議が、アッサム州での人口調査の実施と、71年3月25日(バングラデシュ独立戦争勃発の前日)以降に移住してきた人々の排除を約束しました。しかしその後、人口調査は実行されませんでした。
 2016年に(ヒンドゥー至上主義を掲げる)インド人民党が州の政権を握り、先住者たちによるベンガル系住民への非難を、ベンガル・ムスリム系住民への非難に向け変え始めました。さらに同党は、行われていなかった人口調査を実施しました。
 同党指導部は、新来者の大部分はイスラム教徒であろうと推測していました。ところがその予測とは裏腹に、19年8月に出た調査結果では、新来者190万人には50万人ものヒンドゥー系の人々も含まれることが明らかになりました。
 そこで同党は、インドの国籍法の改変に踏み切ります。「宗教的な制約のためにアフガニスタン・パキスタン・バングラデシュから入国した非イスラム教徒にはインド国籍が与えられる」という条項を追加したのです。この、イスラム教徒の移民を狙い撃ちにした法改正は、インド全土でのイスラム教徒による大規模なデモを引き起こしており、いまだ施行はされていません。しかしアッサム州でのムスリム系移民への迫害は続いており、またバングラデシュ政府も彼らの帰還を拒絶しています。


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