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【読書メモ】デューイの「適応」に関する解説からマニアックに妄想してみたキャリア・アダプタビリティに関する仮説的解釈!?:『信仰と想像力の哲学 ジョン・デューイとアメリカ哲学の系譜』(谷川嘉浩著)

先日のnoteで取り上げた谷川嘉浩さんの好著『信仰と想像力の哲学 ジョン・デューイとアメリカ哲学の系譜』のごく細部について今回は深掘りします。本書を読んでココを深掘りして書く人はまずいないのではないでしょうか、というマニアックな妄想です。最初に結論から書くと、デューイの適応(adjust)とサビカスの適合(adapt)には違いがあり、サビカスはデューイのadjustとの違いを意識した上で自身のcareerを環境にadaptするというcareer adaptabilityという概念を生み出したのではないか、というのが私の妄想的仮説です。つまり、本日のnoteはデューイを書いているようでいながらサビカスを主題に書いていますので、谷川嘉浩さんのファンの方はここでそっと閉じて先は読まないことを推奨します。

デューイは適応を3つのレベルに分類

まず、デューイは広義の「適応」という概念を3つに分類していると、著者は以下のように解説されています。

 自己の欲求と環境の諸条件が衝突するとき、広義の「適応」が問題になる。デューイはそれを三つのレベルーー「順応(accommodation)」「適合(adaption)」「適応(adjustment)」ーーで区別する。

p.64

日本語だと語感が近いのでそれぞれの相違がわかりづらいものですが、元々の英語が異なるのですから意味合いも当然異なります。

順応(accommodation)は自身の「欲求を断念することで、自己と環境の不調和を安定させ」(p.64)ること、適合(adaption)は「欲求や目的に見合った仕方で環境の側を改変するようなより積極的な対応」(p.64)、適応(adjustment)は「一般的かつ持続的な変化であり、情勢の移り変わりにかかわらず、環境も自己も変えていく」(p.65)こと、というように三者の違いを解説してくれています。

意訳してしまえば、順応は自分を弱めて環境に合わせる、適合は自身の欲求に基づいて環境を変える、適応は環境と相互作用しながら自身も環境も持続的に変わる、という意味合いでしょう。

サビカスにおける「適応」

adaptという単語を見たら脊髄反射的にサビカスのキャリア・アダプタビリティ(career adaptatility)が想起されるようになってしまいました。職業病(研究病?)ですね。

以前のnoteでも書きましたが、サビカスはキャリア・アダプタビリティを世に出した最初の論文内でデューイを引用しています。

そのためサビカスは、デューイの三つの言葉の相違を踏まえて、自身の概念を名付ける際にadaptを選択したと考えるのが自然でしょう。

Career "Adjustability"にならなかった理由

サビカスがキャリア構築理論を提示したオリジナルの論文ではガーゲンが引用されており、社会構成主義を基底理論に据えていることが考えられます。キャリア・アダプタビリティはキャリア構築理論に含まれる概念ですので、どのように位置付けられるのか難しいなと思っていました。

ただ、キャリア・アダプタビリティを測定する尺度の内容を一文ずつ見てみるとadjustではなくadaptであることが読み取れるのではないでしょうか。和文翻訳した私たちの論文の質問項目を提示できれば良いのですが、まだ公開されていないので秋頃までは以下の原文(英文)をお読みください。

尺度を具に読んでみるとキャリア・アダプタビリティは自身の欲求やニーズに基づいて環境(社会)に対して働きかける能力であり、自身→社会への矢印に関する意味合いが強く読み取れます。だからこそ、サビカスは心理社会的資源としての概念の名称を、career adjustabilityとせずにcareer adaptabilityとしたのではないでしょうか。

もう少し頭を整理してみたいところですが、一旦は妄想的な仮説としてこの辺りで終了します。ここまでの妄想にお付き合いいただいた方、ありがとうございました!

おまけ

本書の全体像を理解できる導入部分について、先日noteにまとめましたのでよろしければご笑覧ください。

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