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過去の傷を知識との出会いに昇華させる




皆さん、こんばんは🌙

高岡です🌼





2日前にアドラー心理学に関する名著
嫌われる勇気」を基に

私の実体験を織り交ぜながら
自分の過去を振り返る記事を
書かせてもらい、






今日はその続き(?
というか

なんだか腑に落ちなかった部分を
書き綴ろうと思います。



以前よりも
アドラー心理学についての理解度は
深まったとして

アドラー心理学を基に
提唱されている教育理論についてのお話。


というのも
「嫌われる勇気」を私に紹介してきたのは
私の父であり、

親という立場からの言葉で
ハッキリと

お前に足りないものが
全て書かれているから見てみろ。


という言葉まで添えてきたのだから、

親として子に伝える
いわば教育として託してきた本なのだと
受け取らせていただいて
考察することに。





今現在、前提として私は
父が私への子育ての手段として
「アドラー心理学」の考えを
引っ張り出してきたことは

父がこれまで私に投げかけてきた暴言や
振るって暴力を肯定するための
免罪符」的な意味合いであると
受け取っている。

我が家は両親が離婚し
家族が完全離散するまでの
最後の最後まで

心理学の専門用語で言うところの
機能不全家族」であったことは
誰も否定できないと思っている。

一般的な健全に機能している家族の中で
アドラー心理学を用いて
子供を教育することは
間違っていないと思うし
むしろそう育てられたかったとさえ思う。






アドラー心理学について振り返る。

その理論の中で提唱されていた
禁止事項というものがある。

人に「褒められること」を期待する、
つまり承認欲求の否定

また人を「褒めること」、

これは自分が相手よりも上の立場
逆に
相手が自分より下の立場であることを
暗に決めてしまう構図である
とアドラーは主張している。

人間関係において
「縦の関係」ではなく「横の関係」を意識して
何かにおいて競争すること自体を
禁止しているのだ。

そうすれば
仲間に貢献する喜びを感じることができる
という共同体感覚を得られるというもの。

(これが人間にとって幸福といえる、
という考え。)





しかし私は
子どもにとって「褒められる」
という感覚は
幾分か必要であると思っている。

私自身が
褒められて伸びるタイプ(?
やる気が出るタイプだから。


だけど
自分のすることを褒められないから
と言って
行動することをやめるかと聞かれたら

本当に自分がやり抜きたいことなら
最後まで貫き通すと思える。



例えば
私の経験談から言えば、大学受験の話。

私は北海道札幌市から
東京都内の私大に進学したのだが
正直
心から望んでその大学に進み
そこで学問を極めたいとは
思っていなかった。

名目上
その大学に合格することが必要だった。

実家から出ることができて
父から物理的な距離をとって
離れることができる
という本当の目的を成し得るために。

その時だって
褒められ続けて取り組んだわけじゃない。

死に物狂いで
食事と入浴の時間以外は勉強に時間を割いた。

本気で自分の人生がかかっている
思っていたから。



では
そこまで自分が熱量が裂けないことでも
褒められたら

「え〜そんな言ってくれるなら
やってみるよ」

なんて乗せられちゃって
取り組んでみるなんてこと
子供ならあってもいいんじゃないのかな。

要は褒められる頻度

バランスの問題というか。

褒められたということが
結果として受け止められるんじゃなくて

褒められた、

褒めてくれた人は喜んでくれた、

役に立てた」(他者貢献)

この感覚が一番強く残るように
「褒める」という技を使うのは
悪いことではないんじゃないのかな。



教育心理学用語で
ピグマリオン効果」というものがある。


これは
人から期待されたり褒められることによって
その期待に応えようと
褒められた当人の成果や能力の向上が見られる
現象のことをいうのだが

ビジネス面でも
上司が部下に使用することもあるそう。

もちろんメリットだけではなくて
デメリットも存在するけれど

「褒める」ことをゴールとするのではなく
褒めた先に「感謝の気持ち」があれば
アドラー心理学が提唱する内容にも
重なるところがあるのではないかと
私は思った。

子どもがいきなり他者へ「感謝する」
他者に「感謝される」という
気持ちの動きのようなものを

理論だけで理解できるものなのか
私には疑問に思ったのだ。

アドラー心理学であろうが
他の教育に活かせる心理学的理論であろうが

まずは最低限の子供の心の成長のために

農業でいうなら
苗を植える前に田んぼをよく耕すように

基礎の基礎を作る大切さがあるのでは
(それが親から子への無償の愛のような・・)

という考えがあるからこそ
私は

私との親子関係に基礎もクソもない
父から「苗」だけ受け取ったところで

「は?」


という言葉と
怒りや恨みの感情を抱いてしまうのだと
今なら客観視できる。








アドラー教育法の内容をまとめるサイトは
幾多と存在しているようで

そのいくつかから抜粋してまとめてみた。



アドラー心理学教育の
一番の目的は

子どもの共同体感覚を育てること

(=人間の最終的な幸せ)


共同体感覚の高い子は、

自分の能力を
相手の幸せのために発揮できるようになり
良い人間関係を築くことができて

逆に共同体感覚の低い子は、

相手の幸せよりも
”相手が自分に何をしてくれるか”を
優先してしまう

というのだ。

幸せになるために
自分にとっての幸せを追求しすぎることが
返って不幸になってしまう
ということなのだろうか。


でも確かにね、

人間やっぱり一人では生きていけないのだな
と。

ほんの30年間生きてきた私は
いろんな場面で思うのです。

人と関わることで
私が未熟が故に
まだまだ悩んでしまうこともあるけれど

だけど

関わってくれる人たちに
感謝することの方が
圧倒的に多い
んだよね。


難しい考えや言葉は抜きにして
実生活で感じること。





私の父は
私にそのことを教えたかったのかな。


「免罪符」だなんて言ってしまって
ごめんね、


なんて思わないけどさ!(w





私が我が子にたくさんのことを
教え伝える時には

もっと上手に
アドラー心理学の良さを
伝えていこうと思うよ。



過去のことを悔やんだり
過去のことで心痛める自分から

変わる勇気」を

少しずつ持てたら。


アドラー心理学に出会えた意味、
少しはあるよね。






読んでくださった皆さん、
ありがとうございます。

文章は受け取り方様々、
どんな形でも
私の文章が
誰かの役に立てたら嬉しいです。







では、また明日⭐️









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