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インドの洞窟壁画と作者のいない未来

東京で会った人に「今、東北で壁画制作をしてるんだ」という話をすると、たいてい「遠いよね、いつか行けたら」という会話の着地になりがちだ。
また、仙台の人に「石巻市で壁画を〜」と話をした時は、「遠い!行ったことない」という反応も多かったり。
またまた、石巻の市街地の人に「雄勝町で壁画をー」と話をした時も、同じような反応が返ってくることも少なくない。

なぜか、宮城県石巻市雄勝町についてたくさんの人が物理的な距離を感じているということをしばしば実感する。

海岸線の美術館のあるここ雄勝町は、行こうと思えば仙台からはおろか東京から陸路で日帰りで行けてしまう場所なのだけれど、こと壁画に関しては遠いからこそ良いのだと僕は思っている。

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雄勝町で2枚の制作を終えてひと段落し、年明けた2023年の3月末から1ヶ月間、僕はインドへ行った。
各地を飛び回りながら歴史と文化に触れて、現地では作品制作もしていた。


チャイのはいっていた素焼きのカップは筆入れに。

その1ヶ月の間で特に強烈な印象と感動を覚えたのが、オーランガバードのアジャンター石窟群(ケイブ)だ。

このオーランガバードという都市は、
インドのデリーから飛行機で約2時間、1630kmのところにある。インド、本当にでかい。

さらに、空港をでたら到着!というわけではなく、ここから遺跡までは車で2時間の旅路。途中はコンクリートで舗装されてない砂利道もあるし、牛は優雅に道路を横切るし。途中の休憩では日本でいうサービスエリア的な場所の代わりにドライバーの友達?の民間の家を一部開放してトイレを借りるシステムになってて、外にはたくさんの物売りが待ち構えていて、彼らの営業の格好の的となる。
そんな飽きさせることのないコンテンツ満載のアクティブドライブで目的地へ向かう。
このようなルートを、たくさんの人が空港から同じように遺跡方面へ一斉に向かっていく。

その光景のなにがすごいかというと、このオーランガバードという都市の観光は、主にこの遺跡郡しか目当てがないという点。
つまり、飛行機に乗って長い時間をかけてこの町に向かってくる人間たちはほぼ皆、遺跡一本に心惹かれてやってきているという事になる。
そんな遠い距離など度外視で人を惹きつける、その動かざる遺跡の引力たるやなんぼのもんなん、、と、それもまた道中に胸を躍らせる要素の一つだった。

そして、アジャンターケイブのエントランスに到着。
とにかく、暑い。4月頭なのに気温は45度。ペットボトルの水もすぐぬるま湯になるし、お腹は常に痛い。そんな鑑賞環境は初めてだった。

ここからはシャトルバスに乗り換え、バスで山を登って遺跡にアクセスするのだが、チケット売り場にておっちゃんに絡まれる。ここインドにおいて、おっちゃんに絡まれずに終える外出などまずもってありえない。絶対にない。
ここまでの旅路で培ってきた自分のスルースキル vs「〇〇ルピー(ぼったくり価格)でガイドする」とプッシュの強いおっちゃんとの対決が炎天下の中続く。
お互い汗ダラダラかきながらの対決の結果は、おっちゃんの綺麗な眼差しとともに発せられた「この道40年」という台詞と、「コロナで客足が減っているんだ」という泣き落としに僕が折れ。。きっちり現地価格にディスカウントはしてもらい、お互い悪くないというところに落ち着いて案内してもらうことになった。しかしこれが想像以上のハイクオリティガイドで、結果としてはガイドをお願いして本当に良かったと、おっちゃんには感謝している。

そんなこんなでようやくバスに乗車。座席は綿が抜けてクッション性皆無のもはやブリキ板のような固いシート。エアコンなどの概念など皆無の車窓から吹き込む熱風にさらされながら15分ほど走る。(窓ガラスすらない)

熱中症ぽくなりつつ、もはや”悟り”を開けるんじゃないか?とブッダと手を繋ぎかけたかけたくらいのそのタイミングで、ようやく目的の遺跡に到着。

バスを降りると、そこには巨大なホールケーキの断面のような、内向きに地層が露わになった岩山が、ドーンと広がる光景が広がっていた。

この全てが一つの大きな1枚岩だなんて信じられない
丘の上から見下ろすとこんな感じ

このアジャンターケイブというのは巨大なドームのような”一枚の岩”からなる山にある。
その一枚岩に約30個の洞窟が掘られていて、それぞれが部屋として区切られている。
その各部屋の中のほとんどは、1番奥の中心にはブッダがいて、両サイドには僧侶の瞑想部屋やベッドルームが彫られている。そして壁面や天井にはその土地の鉱物から作られた顔料を主に用いて描かれた壁画で彩られている。

ケイブ入り口 柱も階段も継ぎ足しではなく、全て一つの繋がっている岩から掘り出されている
自然光が届かない、内部は闇


中央突き当たりに構える像。内部は涼しく、アンモニア臭がする
瞑想部屋やベッドルームがある

ちなみにこれら制作されたのは2000年以上前の、遠い紀元前の話。
面白いのが、当時は宗教が超盛り上がってたらしく、仏教・ヒンドゥー教・ジャイナ教の3つのコンセプトの部屋が混在しているというところ。ここで催しが行われてた当時は、各ステージごとに盛り上がってるロックフェスみたいな感じだったのかなぁ。

ディティールはというと、なんせ2000年前作なので、像は欠損しているし、壁画も剥落してダメージは受けている。
ただ、それらの中に特段光る物質があった。
それは、欠損や剥落してるからこそより強固な存在感を放っていたのかもしれない。
その物質は"ラピスラズリ"だ。
深い青なのだけれど暗闇の中でも鮮やかさが直に伝わるほどのブルー。日本では瑠璃色と呼ばれてるやつ。
2000年も経過してきたとは思えないほどのフレッシュな輝きと、荘厳さを纏って、見る人を釘付けにする。焦点はこの青に導かれて支配され、永遠を想像させる。そして、星の如く輝くこの天井の宇宙に吸い込まれる。
ひたすらに美しい事物の存在する空間を体感することができた。

壁面の彫刻に残るラピスラズリ


天井画に残るラピスラズリ

僕らは、こうやって今でも残る美しいものの色や形から影響を受けている。

アジャンターケイブを作ってきた職人達もたくさんのこだわりや個々の言葉を持ちながら描いたり、作ったりしていただろう。
しかし、芸術というものはこの洞窟内の表面の顔料のように、無情にも作家の体温を感じる言葉や情報から先に剥落させていきながら、作品を過去の記録とし、未来へと運んでいく。

その失っていく情報、当時の記憶や作り手の気持ちについて思う。
アジャンターの職人達はどんな思いで過酷な環境のこの地に通い、暗闇で汗を流しながら何十年間の制作していたのだろう。
2000年前の当時では、ここは何て呼ばれていたのだろう。
今ではアジャンター(地名)ケイブ(洞窟)というふうに、情報が呼称となっているが、何かオリジナルなネーミングとかがなされていたのかな。
こうゆう時空を超える想像の時間が、ロマンだ。

僕たちの作っている雄勝町の壁画も、理想は愛されながらその時代の人々と共に残されていくことだが、向こう2000年の間には幾多の予想できない事が待ち受けているだろう。
現にこのアジャンターケイブでさえも2000年前に作られて、発見されたのはつい200年前だ。発見された時は木々に埋もれ、ただの一つの山になっていた。1800年代前半、虎狩を楽しみに来ていたイギリス士官が虎に襲われ逃げ込んだ先が洞窟になっていた。それによってたまたま発見されたというエピソードがある。それまでの何百年、いや千何年も地中に眠っていたのだ。

望まれてこの世に残されるもの。
雄勝町の壁画が”理想の残され方”の恩恵をうけるために、作者存命の今に自ら愛されにいく努力は、僕らにとって制作と同じくらいとても大事にしていく部分だ。
だからたくさんの人に会って話をして伝えたいし、直接見てもらいたい。知ってもらいにいかなくちゃいけない。
作って終わりなのでなく、毎回壁画の完成後にはお祭りを開いたりして、雄勝という土地と人をつなげて関係人口を増やして、土着させていき、愛されてもらいたい。

今は此処を「海岸線の美術館」と名付けているけれど、これからはその名称すらも変化しながら名乗られていくかもしれない。
アジャンターのように残っていくのだとすれば、2000年後には
「雄勝の壁画群」とか呼ばれているのかな。
作り手である自分なき未来に心躍らせながら、現代の今は目の前の作品を全身全霊で制作していく。

アジャンターを見た夜、ホテルに戻ってベッドでゴロゴロしながらそんなことを考えていた。
そうしていると、日本にいる妻から連絡が入った。
それは、第一子の懐妊についての知らせだった。

きっとこれも何かが繋がっているのだろう。
そう強く感じた。

歴史は間違いなく地続きだ。
そして芸術には間違いなく「遠い未来へと繋いでいく力」がある。だから僕はこの世界に没頭して、芸術に魅了されていたい。

撮影:ガイドのおっちゃん



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