見出し画像

解いた周縁に起ち上がるのは線なのか。

もう随分時間が経ってしまった。鎌倉に三瓶玲奈さんの個展を見にいったのは八月の下旬のことだ。その日は美学者で一般社団法人「哲学のテーブル」代表理事の長谷川祐輔さんと詩人のカニエ・ナハさんを迎えて三瓶さんが語るというトークイベントも用意されていて、一通り画を拝見した後にそこに紛れ込ませていただきもした。

三瓶さんは日頃、まるで修行僧のように線を描くプラクティスをこなしている。手首を固定してスライドした線や、キャスターごと身体を移動させたときの線など、とにかく線を引いている。その姿勢は、アスリートたちが、考えるより前に身体を反応させるために基礎練習を反復する姿のようでもある。

それだけ線にこだわりをみせる三瓶さんだが、実は線を描こうとはしていないのではないか。どうも私には境界に意識が向いているように思える。線の定義としては面積をもたないはずで、となると私たちには捉える術がない。いや、むしろその捉えられない境界に便宜上の線を引いているとも言える。
たとえば、水平線だ。三瓶さんの画にはきれいな風景のような作品がある。しかしながら彼女が描こうとしているのは風景ではな、くおそらく無限に広がる、ときに曖昧な境界だと思う。実際その画を近くで見てもそこに線は描かれてはいない。

今回の個展のモチーフは「水の入ったコップ」である。コップの画だけがギャラリーを埋め尽くしている。

三瓶さんはトークイベントの冒頭、こんなエピソードから話し始めた。「一七歳のときに谷川俊太郎の詩集『定義』の中の<コップへの不可能な接近>を読みました。そのコピーを持ち歩いていて、いつしか制作の折々に立ち戻る詩集となったのですが、言葉で不可能とされたものを絵画でトライしている感覚があります」
谷川俊太郎は、その「コップへの不可能な接近」の中でこう言っている。〝我々の知性、我々の経験、我々の技術がそれを地上に生み出し、我々はそれを名づけ、きわめて当然のようにひとつながりの音声で指示するけれど、それが本当はなんなのか――誰も正確な知識を持っているとは限らないのである〟

三瓶さんはトークショーでこう話を続ける。「周囲の環境を含んだガラスの反射を拾っていくことでしかコップを描けないんじゃないか。 でも、それは周囲を描くということとは全く別のこと。絵画の頭と地という関係と照らし合わせたときに、 周縁を解くというアクションを試みると、 見たり触ったりしているコップに少し近づけるのではないか」三瓶さんはキャンバス全体がコップだという。このあたりの話は画を描かない人間にはわかりづらい。

長谷川祐輔さんがそこを補うように話をされている。「普通、コップを描くときは、コップを中心と捉えて周りを埋めていくことになると思うんですが、そこには描くという行為と見るという行為の両方があると思います。三瓶さんは、コップだけを描くことはできないと仰っていて、どうしてもコップは、たとえばテーブルの上に置いてあったり、見る位置が異なれば、違った要素が関わってくる。そう見ていくと、どこからどこまでがコップなのかわからないということをお話しされていました。コップそのものを見ることとコップを通して何かを見ようとしてることは違うとも」
長谷川さんは、三瓶さんのコップのシリーズを前に、中心にコップを据え周囲を埋めていくというような描き方ではなく、周縁をほぐしまくることでコップをコップとして成立させてると述べている。

カニエさんは、詩人として三瓶さんの言葉の奥行きに触れる。「たとえば〝周縁〟という言葉を導き出す前に三瓶さんが使っていたという〝環境〟という言葉。日々耳にすると思うんですが、環境ということについて絵画を通して深められてきた三瓶さんが発する環境という言葉の深まりにはドキっとします。コップとか環境とか周縁という言葉がすごく深掘りされて解像度が上がっている。環境について絵画で試みられてきた成功体験も失敗体験も、 環境という言葉の中に表裏として束ねられて出てきているんですよね。失敗した絵は出さないのかもしれませんが言葉としては出てきている。その言葉の層の厚さに、 環境とはこんな言葉だったのか。やっぱり、コップというものが私の知っているものとは違うという感覚。作品一点一点でもそうなんですけど、束になったときに慄くような感じになる。あたかも赤ん坊とか、もしかすると、それ以前の虫とか何かの別の生き物か何かの目で、こう見せられているような感覚にさせられます」

こうした思考の試行であるような三瓶さんの画は、それを噯にも出さずに美しさを纏っている。ふと立体物がこうして平面に再現されることの意味はなんなのかなと思いつつ、水の入ったコップを凝視する三瓶さんの眼を覗き込んでみたくなった。

Gallery Pictor
神奈川県鎌倉市由比ガ浜3丁目1-28 鎌倉テーラービル2F

2023年プログラム
三瓶玲奈 ソロ・エキシビション《周縁を解く
会期終了


サポートしていただけたら、小品を購入することで若手作家をサポートしていきたいと思います。よろしくお願いします。