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【教育研究家に聞いてみた!】教育における真の「多様性」とは?

こんにちは!
早稲田大学文化構想学部 高野ゼミ教育班です!


私たちは「子どもたちにとって多様な教育機会を広げる」ことを目標に研究を行っています。
今回の記事では、多様な教育において重要視される概念である「多様性」という語に対して、インタビュー調査を開始する前の私たちの考えと、インタビュー調査内で得た新たな知見、考え方の変化についてお伝えします。

私たちの考えていた「多様性」


インタビュー調査を始める前、文献などを参考に、自分たちなりの「多様性」の定義を設定しました。その定義は以下のものです。

「一つの価値観に縛られず、個人の考えが尊重されていること」

この定義の設定にあたり、参考としたのは国土交通省の以下の文言です。

「2030年の日本の社会におけるキーワードは、多様性(ダイバーシティー)・人種・性別・年齢などに一切関係なく、すべての人々が自分の能力を活かしていきいきと働ける社会が実現している。」
「多様な価値観の人々がお互いに相手の文化や考えを尊重する中で、世界の平和、貧困の撲滅にむかって貢献する日本の能力も醸成されている。」
(国土交通省 国土計画局)

国土交通省の文言も踏まえてのうえですが、シンプルに「個々人の考え・価値観が尊重されること」という内容を「多様性」と捉えました。

さいたまユースサポートネット・青砥さんインタビュー

私たちのインタビュー調査の過程でも、多様な教育を提供していらっしゃる団体の方や教育専門家の方に対して、「多様性とは?」という質問を行っていました。

その中で、今回の記事では、さいたまユースサポートネット・青砥さんへのインタビュー内容を引用いたします。

「多様性は可能性です。多様性があることで互いにを学びあえること、それを通して人間が発展しうる可能性を持っている、という点で、です。」
「本来多様性は肯定されるべきものですが、社会の中でそれほど可視化されておらず、重要視もされていないのが現状」

多様な教育を子どもや若者を対象に提供する活動を行っているなかで、「多様性」といったものに対して高い優先順位を置いていることが伺えます。それと同時に、現代社会において多様性が十分に重要視されていないとも感じているようです。

早稲田大学名誉教授・喜多明人先生インタビュー

次に、早稲田大学名誉教授・喜多明人先生へのインタビュー内容を一部抜粋し、取り上げます。

「かつての高度経済成長期は、多様性や多様化といった言葉自体にネガティブなニュアンスがありました。その時代の教育のテーマは、いかにして産業界が労働力を確保できるか?、といったものだったため、多様性という概念自体がこれに反するものでした。」

そもそも「多様性」という概念自体が好ましく考えられていない、考慮されていない時代もあったようです。このような昭和期においては、義務教育を通して労働力を育成することが至上命題とされていました。

では、現在においては「多様性」はどのように捉えられているのでしょうか。以下、喜多先生の発言の引用です。

「現代では、多様性を前面に出し、人間や社会、文化それぞれが多様でないといけないという考え方に転換が起きています。」

かつてはネガティブなものと捉えられていた「多様性」ですが、現代ではポジティブかつ権利として保証されるべきものとして考えられているようです。

感想

研究を通して「多様性」という言葉を考えるにあたり強く印象に残った点として、2点あります。
1点目は、青砥さんがおっしゃっていた「多様性は可能性」という部分です。インタビュー調査を始める前の定義ではただ語の意味をなぞっていただけで、多様性そのものの深い理解や多様な教育を考える上で「多様性」がもたらす意味を十分に考えることができていなかったように思います。多様な教育について研究を行うのであれば、その背景や深い意味に至るまでを十分理解しておく必要があると感じましたし、青砥さんの言葉には感銘を受けました。
2点目は、喜多先生がおっしゃった「かつては多様性がネガティブに受け取られていた時代があった」という部分です。昭和の時代の考え方の内容自体にも驚きましたが、個人的には、「現代の義務教育においても未だ多様性がネガティブに解釈されてはいないか?」とも感じました。もちろん、表面上は多様性の重要さを説いてはいるのですが、仮に本質的に多様性の重要さが認識されているとしたら、現在の義務教育が抱えている問題点(いじめや不登校など)はそもそも発生しているのだろうか、とふと考えてしまいました。

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