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“自立”とは依存先を増やすこと by 偉い人とか夫

こんにちは。
キャッチコピーを「病弱メンタルで会社員ができない自称文筆家の専業主婦」と改めました、鷹野いづみです(改めたも何も、もともとなかったけど)。

病弱メンタル → うつ病のこと
会社員ができない → 働けない
自称 → いろいろ書いてるけど稼げているわけでもない
文筆家 → 書くことが好き
専業主婦 → 働かない生き方をしているよ

などなどの意味を込めてみました。

「こんな私だけどハッピーだよ!」
「社会のレールに乗れなくても、幸せに生きて良いはず!」
ということを発信できればと思います。

さて、そんな私はハッピーなんです。幸せなんです。
でも、なんかこう、自分の人生にモヤモヤするんです。

これはなぜなのか、ちょっと原因に思い至ったのでお話ししようと思います。


「自立」について考える

辞書的にはどんな意味?

「自立する」という言葉があります。

【自立】《名・ス自》
自分以外のものの助けなしで、または支配を受けずに、自分の力で物事をやって行くこと。
「―心が強い」

Oxford Languages

辞書的には上記のような意味で、ざっくりだと「親に頼らなくてもひとりで生きていけるよね」という状態だと思います。

大人は子どもにどんな自立を期待する?

大人も自分の子どもが「自立できるように」育てたいと思います。

この時の「自立する」ってどんなことを具体的には意味するんでしょうね。

昨日読んだ記事(出典とか、タイトルとか忘れてしまったのですが)によると「経済力をつけて一人で生きていけるようにすること」だと考えている親が多いとのこと。

そのため、良い学校を出て、良い会社に入って、と考えると。

「自立=経済力」は私と相性が悪い

「これだ!」
と私は思いました。

私も「自分で稼いだお金で生活できなきゃ一人前じゃない!」と思っていると気づきました。

私はうつ病を患ってからストレスにとても弱く、会社員なんてとてもできません。
自分の生活費も自分で稼げないんです。

愛する夫と子どもがいて、夫が養ってくれて私は家事を担当して、夫も娘も私を大切にしてくれて、十分幸せです。

でも、私の自立の考え方だと私はいつまで経っても一人前になれないんですよね。
何を成しても稼いでない時点でアウトなんですから。

これはモヤモヤするはずです。

「自立」を私用にカスタマイズしてみよう

こんな「自立」はいかがですか?

ここはひとつ「自立する」の意味を私の中で変えなくてはいけません。
そこで、夫が言っていた言葉を借りることにしました。

「自立って依存先を増やすことだと思うんだよね」

そもそも人はひとりでは生きていけないわけです。
だから社会を構成していますし、いろいろ役割を分担してそれを仕事にしています。
「人の間」でしか生きられないのが「人間」なわけです。

「自立とは依存先を増やすこと」なんて検索すると似たようなことを言っている人もいます。
お医者さんとか。

親になって思いますが、娘の私たち夫婦に対する依存はすごいです。
「それもママ?あ、これもママじゃないとダメ?」みたいな。
もうべったりですよ。

もちろんまだ1歳ですのでこれでいいんですけど、20歳とか30歳になってもこんなにべったりだと困るわけです。
両親が死んだら生きていけません。

でも、自分で稼げたらもちろんそれでOKだし、ちょっとしか稼げないならちゃんと行政から支援を受けて納税額を少なくしてもらうとか、もう全然稼げないなら生活保護とかもらいに自分で行動してくれれば生きていけるわけです。

適材適所に頼れれば、それは依存とは違う良い関係なのではと思ったんですよね。
ちゃんと生きてる。

弱くても生きていけるように一応社会はできている。
それを使えば親にべったりしなくても生きていける。
もちろん、豪遊なんてできませんけどね。
でも、最低限ささやかな幸せを感じながら生きていけるはずです。

上手に頼るための知識をつける

「上手に頼ることができる」のも自立のひとつだと思うんですよね。

ただ、何をどこに、あるいは誰に頼れば良いのか判断するには知識が必要です。
行動力もいるかもしれません。

生活保護を受けるにも、まず制度を知っていないといけませんし、受けたいと役所に足を運ぶ行動力も必要です。
けっこうしぶってくるという噂ですから、専門家に頼って同行してもらう必要もあるかもしれません。

などなど、知っていること、動いてみることが重要です。

そのためには「ひとりで生きていくことが自立」ではなく「頼っていんだよ。適材適所だともっと良いね」って考え方の方がいいと思いますし、そう幼い頃から教えた方が大人になった時すんなり頼れると思います。

困ったら頼るという人もいますが、「困らないために頼る」のもありだと思っています。

一時保育なんかも「もうダメだ!」となってから利用するのではなくて、「もうダメだ!」にならないために利用する。

そういう考え方ができると、肩から荷が下りるかもしれません。

ちょっとずつたくさん頼る

ひとりにどしんともたれるのは頼れられた方が困りますが、ちょっとずつをたくさんなら良いんじゃないかなと思います。
頼られるのがお仕事の人もいますし。

子育てなら市役所に子育て支援課があったり、保健師さんがいてくれたりしますし、お金を払えばベビーシッターさんに助けてもらえたりもします。

家事も代行してもらえますよね。

これはこの人、これはここ。
そんなふうに頼れる人や場所が増えていけば、それは立派な大人で自立しているのではないかと思いました。

自分を助けてくれるネットワークを築いてく感覚ですね。
このネットワークを持っているのが大人であり、自立しているということなのではないでしょうか。

まとめ

自立ってひとりで生きていけることじゃなくて、適切に頼っていくことなんじゃないかな?というお話でした。

この考え方が私の身に染み込むには時間がかかるでしょうし、そもそもまだネットワークがちゃんとできていないです。
構築途中と言いますか、やっぱり夫への依存が強すぎるきらいがあります。

なんというか、お友だちが少ないな〜とも思っていますし。
こう、愚痴なんかを気軽に話せる友だちが欲しいんですけど難しい。
生活の中で接する相手が減ってしまうのが専業主婦の痛いところです。

やっぱり習い事かしら?

私もまだまだ勉強したり、行動したりしないといけません。
私が心地よく生きていけるネットワークをこれから築いていくのです。

みなさんは、「自立」はどういうことだと思いますか?
自分が生きやすい「自立」が見つかるといいですね!

では、今日はこれくらいで!
最後までご覧いただきありがとうございました。

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