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大雪の渋谷でのイベント / Tin Pan〜細野晴臣イエローマジックショーに参加 / The Beatniks 再び (2001年①)

*2020.5.5. 加筆修正しました。
*このエッセイはデビューから2018年までの30年間を1年毎に振り返る連載です。このページ単体で¥200でも読めますが、¥3000でマガジン「ずっと、音だけを追いかけてきた」をご購入いただくと連載の全ての記事(全42話・¥8400相当)を読むことが出来るので、おすすめです。
*2001年の出来事:ジョージ・W・ブッシュがビル・クリントンの後を継いでアメリカ合衆国大統領に就任 / Mac OS X バージョン10.0が発売される / AppleがiPod発表 / イチローがメジャーデビュー / 国民の圧倒的支持により小泉内閣が誕生 / Google画像検索のサービスが開始 / アメリカ同時多発テロ事件発生 / 愛子内親王誕生 / ローライズジーンズやロングマフラーが流行 / さくら銀行と住友銀行が合併して三井住友銀行誕生 / 三和銀行と東海銀行、東洋信託銀行が経営統合してUFJホールディングスが発足 / 大阪教育大附属池田小児童殺傷事件が発生 / 「千と千尋の神隠し」公開 / 日本国内初の狂牛病 (BSE) 感染牛が発見される /

2001年はとにかく目まぐるしかった。自分自身の環境も、そして時代も。

*2001年に描いた年賀状。巳年なので蛇。

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東京に大雪が降った1月27日(土)、SHIBUYA-AXで、
「HT produce “The joYnt”001」というイベントが開催された。主催は僕。
出演は、高野寛、クラムボン、advantage Lucy、櫛引彩香、そしてオープニングアクトにSMOOTH ACE。バンドメンバーは鈴木正人 (b)、玉田豊夢 (dr)、中島ノブユキ (key)。1996の章に書いたとおり、正人くんとはこの時既に5年前からの付き合い。

今やJ-POPを支えるドラマーの筆頭とも言える豊夢君だが、この頃はまだ新進気鋭の若手だった。ギタリスト・徳武弘文さん周辺でプレイしていた豊夢君をみた幸宏さんが、「若い時の林立夫にそっくりなんだよ」と高く評価していたのが気になって、声をかけたのだ。その後僕が中村一義くんに豊夢君のことを紹介したのがきっかけで、豊夢くんは中村くんのバンド「100s」のメンバーにも抜擢された。

現在はジェーン・バーキンのバンドマスターとしてフランスを拠点として世界を旅する中島君もこの頃は若かった。才能ある若手と知り合う運だけは自慢できる(笑)

櫛引彩香さんはサウンドプロデュースとギター、プログラミングで参加した2000年のシングル「空」の録音で初めて出会った。クラムボンやスーパーバタードッグと同じ専門学校の卒業生だと聞いて、すこし70年代の匂いがする歌の世界と共に、強く印象に残った。


Advantage Lucyも2000年にマキシシングル「めまい」をプロデュースしたところからの縁。ネオアコを基調に、ガレージな雰囲気もあるポップな日本のバンドは、あの時代には多くはなかった。

この日僕はコンピューターも使って、2000年の後半に作ったテクノポップをベースにした曲を中心に、カヴァー多めでやってみた。トーキング・ヘッズの「サイコキラー」、後に「TOKIO COVERS」にも収録されたドノヴァンの「サンシャイン・スーパーマン」とディーヴォの「サティスファクション」を元にしたテクノ、そして新曲と「I.O.N.」。自分の中にあるテクノ・ニューウェーブの要素だけで攻めてみた。振り返ると演奏はうまく行ったが、パフォーマンスとしては未完成だったと思う。結局、2019年のデビュー30周年ツアーまで、コンピューターを自分のライブで使うことはなかった。

*後にアルバム「TOKIO COVERS」でリリースされたヴァージョン


日記によるとライブ当日はかなりの大雪で、「車の屋根に20センチ以上の雪が積もって、東京の街が札幌のようだった」と書いてある。おそらく今の時代なら、ライブは中止になっていたかもしれない。渋谷駅から公園通りの坂を登るのに苦労したと、何人もの人に言われた。viewsicの生中継があったが、中継のパラボラアンテナに雪が積もって時折画像が乱れた。それでも会場には沢山の人が集まってきてくれた。僕にとっての21世紀最初のライブの記憶は、そんなフィクションのような光景と共にある。

*リハーサルスタジオにて

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