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エッセイのような散文:死にゆく蝉


「死に逝く蝉。」


 最近、よく通路に蝉が落ちているようになった。コンクリートよりもせめて土、と脇に避けてやろうとすれば最後の力を振り絞り喧しく鳴いて僅かに飛んだ、その距離も近くて切ない。
 蝉の寿命は短い。
 ほぼひと夏、それを過ぎれば桜が散る如くに屍を晒す。
 だが実のところ、それに特別の感慨があるわけではない。なんとなれば所詮定命、せみのひと夏、ひとのももとせ、いかばかりの違いならん。
 むしろ、哀しいのはその死したるところで、なんの因果以てアスファルトだのコンクリートだのの上で何の餌食にもなれず渇き死にゆかねばならぬのか。
 それとほぼ同じ理由で道の上で乾き死にゆくミミズが嫌いだ。
 通りすがりざまにまだ息のある弱りかけたミミズを一匹二匹と薮に投げたところで焼石に水、あまりにも多くの数がそれこそ数え切れぬほど死ぬ。
 アスファルトを越えて死体を引いて行くのは蟻くらいしかあるまい。
 残りはプラスチックのごみ箱へか、およそ命ある物と生まれて連鎖の輪に収まり切れぬその虚しさか。
 たが私にそれを糾弾する資格もない、私自身がアスファルトとコンクリートを必要とする人間であるからには。






※2003年8月執筆(当時のままのメモ、「思ったこと」の詳細はもう覚えていない)
 夏の終わりに思う徒然。昨日、携帯でちまちま打ってたので、どうも文章散逸気味ではあるが、まあ日記の一部と言えなくもない。後で機会があれば、もうちょっと思ったことを分かりやすく打ち直してもいい、と思ったことを覚えている。

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