【エッセイ】 レプリカントの夢〜ブレードランナーとロイ・バッティに寄せて

1980年代初頭、リドリー・スコット監督が、フィリップ・K・ディックというSF作家の文章『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を元に、「ブレードランナー」という映画を製作した。
まあ正直原作とは言うが、小説と映画は似ても似つかない。
それがどちらもが傑作でない理由にもならない。
映画は素晴らしかった。理解できさえすれば。
酸性雨の降り続ける陰鬱な未来都市、高層ビル、雨天、映像は当時としては非常に先鋭的で、最初に試写を見た出資者が「ハッピーエンドにしろ!」と言い放ち、ハリソン・フォードによる冗長なナレーション(フォード氏の責任ではない)と蛇足としか言いようのないエンディングシーンが追加されたのはあまりにも有名な話だ。

日本での最初の公開は、当然、首都で情報の集積する東京では行われたが、地方都市までは回って来なかった。
初動の、映画公開は興行的に完全なる失敗と思われた。
だが、時代と、技術の進歩が、その映画をそれだけでは終わらせなかった。
家庭用ビデオ機器の普及とも連動し、野火が、熾火が静かに燃え広がるように、ブレードランナーはその評価を高め、死にたえると思われた映画は、徐々に一般のレンタルビデオ店や販売用ソフトとして広がっていっていた。


評判は聞いていた。
何しろ、今ではすっかり遠ざかっているとはいえ、当時私が主として読んでいた小説のジャンルには、ハヤカワや創元のSF文庫が含まれており、ブレードランナーは無視できるタイトルではなかったからだ。
そして当時はレンタルビデオショップが今よりも多くあちこちにあった。
私はレンタルはさほど好きではなかったが、気まぐれに、ブレードランナーのディレクターズカットを購入した。
当時、ディレクターズカットは、出たばかりだった。

私は、特になんの期待もなく、第一回目を再生した。
そして実は小学生時代から海外SFの翻訳を読んでいたような読書傾向だった私は、さほどの難解さも感じず、普通に「ながら再生」し、特になんの感慨もなく、第一回目の視聴を終了した。
ふうん、というのが一番近い感想だったと思う。
だが、レプリカントのリーダーであったロイ・バッティ──、つまりルトガー・ハウアーが
「All those moments will be lost in time, like tears in rain.
Time to die.」
と言ったシーンは、とても印象に残った。

それから。
レンタルではなく、買って手元にあったビデオを、何故か一週間の間、毎日のように自室で再生していた。
ずっと真面目に張り付いて見ていたわけではなかった。
全体の物語に、それほど感動したわけでもないのに、断片を拾い上げるように、なんども再生した。

なぜ再生し続けたのかと今問われても、なにかが気に入ったのだとしか言いようがないし、暗い酸性雨の降る未来の光景に、ロイ・バッティがあれほど焦がれた生より、デッカードを助けて「雨の中の涙のように」命を消していくのが、結局は心に焼きついた光景になったためだったのだろう。


私は、それから、「ディレクターズカット」の他に「通常盤」と「ファイナルカット」と、アメリカ直輸入版(これはディレクターズカット)のビデオテープを買い漁った。
さらに、通常盤、ディレクターズカット、ファイナルカットがセットにされたデッカード・ブラスターが特典としてついたボックスも購入した。
まあ、正気で考えれば、単なる阿呆である。


2017年、続編として「ブレードランナー2049」が制作された際には、映画館へ足を運んだ。
(2049は、私個人の好き嫌いはともかく、よくできた続編ではあったと思う。)

そして、2019年7月25日、私はニュースでルトガー・ハウアー氏の訃報を聞いた。
我にもなく動揺した。

7月19日に、彼は自宅のあるオランダで亡くなっていた。

ルトガー・ハウアー氏は、1944年1月23日にオランダで生まれ、1969年、イギリスで俳優デビューを果たし、同じオランダ出身であるポール・バーホーベン監督の作品にいくつか出演した後、1981年シルベスター・スターローン主演の「ナイトホークス」の脇役としてハリウッド・デビューを果たした。
おそらく映画史の中で、多くの人の記憶に長く留まる「ブレード・ランナー」は日本では1982年の発表だった。
私は、日本で手に入る範囲で、彼の出演作をいくつか集め、その中にも「聖なる酔っ払いの伝説」や「ヒッチャー」など、いくつもの素晴らしい作品があるが、「ブレードランナー」以外では、1977年ポール・バーホーベン監督の「Soldaat van Oranje」(邦題:女王陛下の戦士)が特に気に入っている。

だが、やはり、私の中で強烈に焼き付いて消えない彼の記憶は、「ブレードランナー」の暗い夜の雨の中で、敵(デッカード)を助けて死んでいく彼の姿だ。

ブレードランナーは、1982年発表されたときには間違いなく近未来SFだったし、映画設定上の2019年は確かに未来だった。
つまり、強靱な生命力を持つ代わりに、四年の命しかない短命なレプリカント、ロイ・バッティが劇中で亡くなったのは2019年の出来事だったのだ。

2017年、「ブレードランナー」には続編が製作された。
デッカード役のハリソン・フォードは続編にも出演し(彼が最初のブレードランナーを出演作として嫌っていたのは有名な話だが、仕事として続編にも出演するのは本当にプロだと思う。)、ロイ・バッティ役のルトガー・ハウアーは、正確に出所を確認できてはいないのだが、インタビューで続編について尋ねられて「美しいものはそっとしておくべきだ。」とコメントしたという記事をどこかで見た。
真偽は分からないとしても、後述引用の、印象的なセリフを自分自身のアドリブで綴って見せたルトガー・ハウアーなればこそ、確かにそう言いそうかもしれない、と思う。
かもしれない、と思わせるのが、伝説の所以なのかもしれない。

2019年、日本でも、前作の時代であることを記念して、劇場においてファイナルカットの公開が行われた。

2019年。
ロイ・バッティが劇中で命を落とした、現実のその年に、ロイ・バッティを演じたルトガー・ハウアーもまた没した。
ルトガー・ハウアーは75歳だった。
今の時代には長寿とは言えない気もするが、高齢であることは間違いない。
運命などは全く信じていないけれども、時代が彼に追いついたのだと思うことにする。

時が彼を連れ去る。


雨の中の涙のように。


彼への追悼の記憶として、この記事を置いておく。


(映画より引用)
「お前たち人間には信じられないようなものを俺は見てきた。
オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。
タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム。
そんな思い出も時間と共にやがて消える。

──雨の中の涙のように。

去る時が来た。」

(原文:I’ve seen things you people wouldn’t believe.
Attack ships on fire off the shoulder of Orion.
I watched C-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate.
All those moments will be lost in time, like tears in rain.
Time to die.)


(2020年執筆)

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