好きなことに社会性を持たせるには?
こんにちは、高本です。
この記事は↓の記事の続きとして書いたものです。単体でも読めるようにはなってますが、何か引っかかる箇所が出てきた場合はこちらの記事を読んでもらってもいいかもしれません。
前回は好きなこと・やりたいことには無限のエネルギーがあるという話をしました。で、そのエネルギーで定期的に訪れる壁を乗り越えたり、自分の能力を活かして難なく通り抜けられる方向に転換して歩みを続けていると、自分自身学ぶし成長するし、知識も経験もたまってくるわけですね。
ドラクエで言えば、
それを人に伝えていこうってことなんですよね。この道中を右往左往しながら獲得してきたもの、ここでは全部まとめてエネルギーって言うことにしますが、これをガンガン外に出していこうって話なわけです。
だってこれもさっき見ましたが、自分の中で秩序が維持されるためには、エネルギーの流れが常にあって、絶えず循環が起きている必要があるわけです。ただひたすら一人の人間の中にたまり続けるのは、不健康極まりなくて熱的に死んでしまいますよって話ですw
で、それをスムーズに効果的にしていくために、インターネット上で情報発信することを常々猛烈に推してるというわけです。自分のメディアがあることで、このエネルギー循環が加速度的にどんどん大きくなっていくということです。
これについては、好きでやりたくて関心があること、という発信するテーマについてと、どう発信していくかという伝え方の部分に分けるのが考えやすいです。
この前くりぃむしちゅー有田氏の「有田脳」というラジオを聞いてたら、たまたまゲストで来ていた伊集院光がこんなことを言ってました。
これはすごく面白いことを言ってると思います。僕たちは人生丸ごと爆裂に面白くしていく装置として、その推進力として情報発信を捉えたいので、「なんとなく受けがよさそう」というテーマをメインには選びません。それにはのめり込めないので、無限のエネルギーをつぎ込めません。つまり最初の壁でゲームオーバーです。
仮にそこで頑張ったとしても、他で反動がでかすぎるので、日常生活という空間的にも、人生のプロセスという時間的にも、視野を広げて全体で見れば余裕でマイナスです。だから誰に言われるでもなく毎日やってしまうぐらいのことがテーマになってくるわけです。
でもじゃあ好きなことを好きなだけ喋ってればいいかというと、そんなわけなくて。そこで社会性の部分が大事になってきます。と言っても僕たちは別に芸能人みたいに、マスメディアを通して不特定多数に向けて発信するわけではないです。
だからこの社会性の部分に関しては、情報発信という文脈で置き換える方が使いやすいということになります。
というわけでこれ以降では、「好きなことにエネルギーを費やす」と「その中で蓄積したものを伝えていく」の2つに分けて、もう少しだけ考えてみたいと思います。
好きなことを探求するには?
歴史的探究・哲学的探究・人物的探究
無限にエネルギーが湧いてくる好きなことに取り組むとき、それを深めていくためには、3つの方向があると思います。それが歴史的探究、哲学的探究、人物的探究です。簡単にまとめるとこういうことになります。
ちょうどこれに関して分かりやすいのをたまたま見つけまして。将棋の棋士で藤井猛という人がいます。将棋界で最高位の竜王というタイトルをとったり、「藤井システム」という自分の名前が付く戦法があったりするぐらいの人なんですが、昔それぞれの駒の役割をすごく考えた時期があったらしいんですよね。例えば攻め駒と守り駒。そうすると将棋の駒って二つに分かれるわけです。
歩を除けば攻め駒は4枚で、守り駒は5枚です。こう考えるとそもそも守り駒のほうが枚数が多いので、上手く攻めていくには攻め駒4枚をフル活用しないとしんどいと気づくわけですね。
歩の役割とは何か、ということも考えたようです。これは攻めの観点から言えば、歩がいなくなることで、その場所に銀が進出できると解釈できます。そうすると攻め手は、盤上の歩を上手に交換して手持ちにしたいわけです。そこに銀が進出して攻めを展開できるので。
こう考えていくと、将棋とはどういうゲームなのかという原理原則の部分がクリアになってくるわけですね。つまり本質を見誤らなくなって、土台ががっしりしてくるということです。
あえて将棋の例のまま進めますけどw、こうなれば定石を覚えるとか流行りの戦法を取り入れるとなっても、なんでその手が選ばれなければならないのか、自分で考えられますよね。
あと、藤井猛氏はこれまた大レジェンド棋士、大山康晴の棋譜をずっと並べてたらしいんですね。つまり”この人に学ぶべき”って思ったその棋士の将棋を、その変遷も含めてひたすら追っていったということです。
これを経て藤井猛氏は、竜王のタイトルを取り、新手や新戦法を編み出した人に与えられる升田幸三賞を2度も受賞することになるわけです。2度受賞した棋士はこれまで5人しかいないみたいです。
ちなみに僕は大学院で物理の研究をしてたんですけど、でも結局自分の専門分野1%もわからず終わったなって言う感覚があってw、それは大学院に進学するまでこの3つのことをあんまりやってなかったからなんですよね。授業で量子力学やら相対性理論やら学ぶわけですが、
こういうところを全部すっ飛ばして、授業で教えてもらう話をただただ教科書的に勉強してたからで、テストを乗り越えられたらいいという学び方しかしてなかったからなんですよね。
もしくはアインシュタインが物理をどういうものと捉えているのか、相対性理論をどういうものと捉えているのか、どんなプロセスを経てこの理論の構築に至ったのか。そういう歴史も哲学も人の思いもすっ飛ばしてやってきたから、骨組みのところがぐちゃぐちゃだったわけですw
でもこれらを丁寧に追いかけていけば、かなり深いところまで行けると思うんですよね。そんな風にして、今取り組んでることをもっともっと深めていきましょうという話でございました。そして 深めれば深めるほど、その過程で爆裂なエネルギーをゲット出来て社会に放出していけるわけですねw
熱力学的に考える上手なエネルギーの使い方
次は、好きなことを探求していく際の、上手なエネルギーの使い方を考えてみます。そもそもエネルギーというのは、「仕事をする能力を持っている」ことを言います。
で、この「仕事」というのは物理としての仕事で、一般的な働くという意味での仕事と厳密には違うんですが、今回はほぼ同じものと考えてもらっていいと思います。
つまり、
としておきます。でもこの定義だと仕事する能力があるかどうかが問題で、”どの程度”仕事できるのかということが含まれてません。
実際はエネルギーには”質”が存在します。エントロピーが低いほど、つまり秩序的であるほどエネルギーの質がよく、より多くの仕事をできます。
ピストンを考えれば、深く押し込むほど反発する力が強いわけですが、これはピストンの中の空気が圧縮されてるからですよね。逆に浅いと空気中の気体分子が散らばって無秩序だから、エネルギー(=押し返してくる度合)が低いということです。
こう考えれば、上手なエネルギーの使い方が分かりますね。無秩序でばらけさせると大した仕事をしないということです。お金で考えてもそうです。1クラス30人がそれぞれ300円ずつ使っても、担任の先生にやってあげられることには限りがあります。
でも9000円あれば財布をプレゼントできますwそういう話です。時間もそうですね。一か所にギュッとまとめたほうが同じ時間でも仕事量は増えます。大きなパフォーマンスと交換できます。
社会性を持たせるには?
次は社会性を持たせる、ということについて考えていきます。好きことを好きなだけやれれば、十分満足できるかもしれません。でも人生全体で見れば、そこにずっと留まっているのはもったいないということですよね。
精神的な引きこもりというわけです。だからあなたのこれまでのプロセスで蓄積されてきたものと社会を、いかにつなぎ合わせるか。ここを考えていきたいということですね。
いかに世界との接地面を滑らかにするか
分かりやすいのは2つあると思っていて、「入口の意外性」と「どんな文脈に置くか」。さっきのラジオで言うと、有田氏は「若い頃に合コンとかで女の子にプロレスの話を聞いてもらうにはどうするか、どこに焦点当てて話すかいろいろ考えた」って喋ってましたが、こういう話ですね。
ちゃんと興味を持ってもらうためにどの切り口で語るかを工夫していけば、どんな話でもおもしろくできるし、それがまさに芸人のトーク力ですけど、それはそのまま文章とか動画にも応用できるはずです。
これは情報発信においては、こちらが熱量あるものを読者にとっての価値に変換して発信するということで、コンテンツ力と言われる部分です。だから自己実現とか自己成長と他者貢献が一致した形で動いていけるわけですね。
あと最近、パンサーの尾形氏がNHKで数学の番組をやってるのを知りまして。見てみると、フラクタルとか結び目理論とかのなかなか濃ゆい話をしてたんですが、これも面白い組み合わせですよね。
こういうがっつり学問的な難しい話は、興味ある人多いと思うんですが、でも自分でやるには敷居が高すぎるわけですよね。
そこで尾形氏が出てきて喋ってくれると、自分もわかるかもって思ったり、しばらく聞いてみようってなるわけですね。
専門ではない人に、その分野のエッセンスとか面白みの凝縮液を、いかにそのインパクトを損なわずに伝えるかなので、これも社会性を持たせるということです。
僕で言えば、やりたいことや人生の方向性が分からないという部分で苦労したんですが、その時期にいろいろ学んだり試したりしたことがあるので、主にそのあたりの話をしてるわけです。
でも抽象的にしすぎるとただの一般論になるし、学問的な話に偏り過ぎると論文みたいになってしまうので、そこのチューニングを丁寧にするという感じですよね。
ということで、「意外性」と「文脈」に関してもうちょっと見てみます。
意外性のないものはその時点でつまらない
まずは導入部分の切り口。ここの意外性が大事になってきます。世阿弥は風姿花伝という能に関する口伝書の中で、能に一番大事なのは「花」と言ってます。これは珍しさの事なんですが、まさに意外性です。
自分が好きで熱量があっても、人に面白さを伝えられないと興味持ってもらえないし、すごさを伝えられないと感動してもらえない。
これはブログにも書いたことあると思うんですが、今までその人が素通りしてたものが宝物になったときに、それを教えてくれた人やコンテンツに価値を感じます。でもその入り口で当たり前の話をしだすと、誰にも興味を持ってもらえないわけです。
そういえば僕が一番最初にブログやったときは、「継続するコツは○○」とか「思い立ったらすぐ行動しよう」みたいなクソおもんないこと書いてたような気がしますw
でもこんなことは全員知ってるので、誰も興味持たないわけです。「はいはい、知ってます」で終わりです。
意外性については、「ざっくりハイタッチ」っていう千原ジュニアと小藪千豊とフットボールアワーがやってた番組の、「どうしたんですか?待ち」という企画がおすすめですw
この5人が、収録始まる前に前室で談笑してるところにゲストがやってきて、「どうしたんですか?」って聞かれるようなフックを3つまで投げる、というものなんですが、これがまさに一言目で興味を引くっていうことなんですよね。
僕もこの前イオン歩いてたら「機種何使ってますか?」って携帯のショップ店員に声かけられて、セールスを受けてみたんですがその時もちょっと思ったことがありました。
ってところから南米の話になったり(三か月ほどコロンビアとペルーを回ってました)、
みたいになったりしたんですが、こういう「ん?」ってなるような言い方するといちばん最初の一旦の興味は引けますよね。文章を書くときもこういう感覚は大事です。それこそコピーライティングの3つの壁で言えば1つ目のnot read の壁を超えるということですね。
流れのある場を設計して文脈を作る
自分の情熱と社会を接続するには、文脈を設定することも大事です。どんな人がどんな人に伝えているのか、なぜ今の状況でその話をしているのか。
そこが相手に伝わっていないと、昔のいわゆるオタク的な、誰も興味ない話を早口でまくし立ててる感じになりかねません。というかもう完全にそれですw
例えば芸人でも、野生爆弾のくっきーが言うから面白いものとして成立することもあるわけです。それが人間味であってその人の世界観ですよね。
僕たちとしては、これが自分のメディアの上で表現されている状態でありたいということです。プロ野球選手の野球の話は聞きたいけど、芸人の草野球経験からくる技術論には興味ないわけです。
「お前は誰やねん」
ていうのが当然関係してきます。そこで、これまでどんな道を歩いてきたのか、これが自己紹介になるわけです。
趣味・特技・学歴とかの履歴書トークを展開しても、受け手には何の関係もないので。コピーライティングで言えば not believe の壁になってきます。
じゃあこの情報発信の文脈における世界観というのがどういうものであって、それによって何が変わるのか、というもっと抽象的な話を考えてみます。
そもそもインターネット上にある情報とか、人の頭の中にあるものでも、本に書いている内容でもいいんですが、これらはすべて情報空間にあるわけです。
僕たちが現実に生きてる世界を物理空間とすれば、もっと抽象度の高いものは全部情報空間に集まっています。でもそこでは情報は無秩序に散乱してるわけです。ネットで何か調べてみると、いろんな人がいろんな文脈でいろんなことを言ってますよね。それぞれの向かう方向がバラバラです。
だから自分が知りたい文脈に置き換えて整理して理解するわけです。これはベクトルの向きをそろえるということで、エントロピーを下げるということです。
だから「あーそういうことか」って納得感を得られる。で、自分のメディアを作って発信していく時もこれをやるわけですね。
イメージ的には偏光板ですかね。光はいろんな方向に振動した波でできてますが、例えば縦方向の振動しか通さないシートを一枚かますと、そこを通る光は全部縦の振動になるわけです。
場とコンテンツとエントロピーの関係
違う言い方をすると、情報空間内のある領域に自分のメディアという形式で場を張り巡らせる感じですね。
誰がどんな目的で、誰にどうなってもらいたくて発信しているのか、どこに向かっていくのか、みたいなコンセプトの部分がしみわたってる感じ。これによってその上に乗っかる情報としてのコンテンツが方向づけられるわけですね。
例えば↓のような磁場とかで考えてみるといいかもしれません。
ここに「常磁性体」という性質の材料を置くと、面白いことが起きます。すべての物質には電子が含まれるわけですが、通常この電子の回転の向きはバラバラなんですね。
でもこれを磁場の上に置くと、この回転の向きが一方向に揃うわけです。↓の画像のような感じ。
つまり、磁場のように流れのある秩序立った場にコンテンツが置かれることで、それがすべて同じ一つの方向に向いていると認識される。
一応例として僕の話をしてみると、雑に言うと「人生ちゃんと遊ぶ」ということがテーマになってます。
なので、その中で熱力学の話をしても南米の話をしても情報発信の話をしても、そういう抽象的なゴールに向かっていくための要素として受けとってもらえる可能性が高いわけです。
もちろん伝わり方に程度はあるし、それはスキルの話になってきますけど、でも少なくともそんな意識でそんな文脈に乗せて運ぼうとはします。
そうするとコンテンツ同士にもつながりが生まれてきて、いろんなジャンルとか切り口で話していても、エントロピーを低く保てるわけですよね。それがより大きなエネルギーやインパクトを届けられることになるかもしれないという話です。
メディアからコミュニティへ
で、そういう発信によってそこに集まる人の意識や関心が1つの方向に束になってくると、それはコミュニティになります。つまり社会という集団から、一部を切り取ってそこのエントロピーを下げる。
そこにいる人たちは、元々は彼ら自身のプログラムで動いてるわけですけど、そこにメッセージを投げて、進んでいく方向をそろえる。
それぞれが思いのままに行動するのは無秩序なので、同じ頂点を目指そうということを共有する。それが意識のベクトルの向きが揃ってる状態ですよね。
これがあると何が嬉しいのかというと、あらかじめ文脈が共有されているため、メッセージのやり取りのコストが低くなります。初めまして同士であれば、前提からいっぱい話しないといけない。
でもメディアがすでにその部分を担っているので、コミュニティが成立した時点で十分に文脈が共有されて、方向付けされているということですね。
そもそもコミュニティは社会を統制するためにできていったとも考えられるわけです。宗教にしても憲法にしても、社会がカオスにならないように、エントロピーを下げるために生まれてきたと解釈できます。
おとぎ話や昔話を通して”日本の世界観“という文脈を共有出来ているから、日本人同士スムーズにやり取りできるということですよね。
で、そんな場を形作っていくためには、大量の知識が必要になってきます。これはただの物知りとかではなくて、もっと広い意味での知識。
つまり、実際に発信されてることの何倍もの蓄えがないといけないわけですよね。いけないというか、それがないとそれぞれの情報をつなげたり、もっと高い視点から捉えなおしたり出来ないということなので、喋れば喋るほどカオスになってしまいますw
でもこれは、おもろいルートを突き進んでいく中で自然と自分の中に蓄積されていきます。
だから好きでやりたいことに励み、それを深めていくことと相互に関係しているわけです。そこで得たものを1つの世界観で包でなるべくコンパクトにまとめていく。
そうすると、そこから生まれるメッセージは低エントロピーであり高いエネルギー状態なので、より広い範囲に深く刺さるわけです。
つまりより多くの人の意識のベクトルを、より整理された形で方向づけられるわけで、それがコミュニティの規模ということになっていきます。
付録のまとめ
最後に付録の部分の話を整理して終わりたいと思います。あ、これがまさにエントロピーを下げるということですね。いろんな話をして散らばりかけてるから、最後にギュッとしておくと「おーなるほど」って思ってもらえるかもしれないということですw
まず物事を深めていく時の3つの方向とまとめてエネルギーを使う方が仕事量が多くなるという話をしました。そこに社会性を持たせるポイントとして意外性と文脈設定の話をしました。
文脈については流れや方向のある場を作るイメージで解釈しました。それを行うためには大量の情報が必要です。そしてそれは好きでやりたいことを突き詰めていく中で溜まっていきます。
つまり結局のところ核となるのは
これに尽きるのだと思います。
以上です、ここまでお読みいただきありがとうございました。
質問や感想など、何かあれば連絡ください。
高本。
▼ おもろいルートの探し方についてまとめました。
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