『チェンマイにて』 1997.4.26

『チェンマイにて』   1997.4.26

 タイのチェンマイにはトレッキングをする目的で来ました。 旅に出てくる前、大学の友人がかつてチェンマイを訪れ、トレッキングした際の話を聞かせてくれ、単純に僕も行ってみようと思ったのでした。タイに対してはそれほどの思い入れがなかったのでチェンマイに置けるトレッキングが唯一、タイにおけるメインイベントの予定でした。

 ところがチェンマイに到着し、トレッキングツアーの内容を聞いてみて“どうしようか?”と迷ってしまいました。トレッキングに行くのはやめようかと思ったのです。それには二つの理由がありました

 一つは1500バーツ(8000円、1997年当時)と参加料がやたらと高かったこと。 もう一つはツアーの内容がタイの少数民族訪れるということだけでなく、象に乗ったり筏で川を下ったりのイベントが中心となっていることでした。もし僕の今回の旅行が、会社の休みを取って来たものであったのだったら、何の疑問もなくツアーに参加したことでしょう。


 しかし今回の僕は違うのです。僕にとっては“今回の旅は遊びではないんだ”という意識が絶えずありました。単に旅行を楽しみに来たのではない。でも、では“一体何のために旅に出てきたんだろう”と言われると、うまく言葉では表現できず言葉に窮してしまうのですが、ただ 大金を出してゾウや筏に乗るのはものすごく抵抗がありました。散々悩んでも答えが出せなかったので、気分転換にバザール行ってみることにしました。

 ガイドブックによればチェンマイのバザールはかなり大規模なものであると書かれていました。しかし出かける前に同じホテルに泊まっていたイスラエル人の女の子に、チェンマイのバザールについて感想を聞いてみると、「A Bazar like a bazar」という答えが返ってきました。その時の状況を説明すると、彼女はちょっと気だるい感じで、「そうね、どこにでもあるようなバザールね」という言葉を発したのです。“バザール ライク ア バザール”うまいこと言うなと感心しながら家と出て行きました。
 

 バザールへ向かっている時にはすでに夕方になっており、まだ空は赤く染まっていませんでしたが、これからきれいな夕焼け空になりそうな雰囲気でした。

 歩きながら“やっぱりはやめよう”と思いました。やはりトレッキング行くのはやめよう。あのトレッキングが僕が求めているものではない。そう決心することができました。日本の友人に「チェンマイには行ったけどトレッキングしなかった」と言ったら、「おそらくお前はチェンマイまで何しに行ったんだ」と言われるでしょう。
 

 僕も未練もありました。何故ならツアーに参加すれば、楽しい思い出が作れるのはまず間違いないのですから。しかし、この時の僕には、このトレッキングに参加するか否かが今後の旅を左右する重要な決断になるよう思えてならなかったのです。
 

 ようやく迷いが晴れて、街の景色を楽しむ心の余裕が出てきました。 賑やかなチェンマイも一本道を外れると静かな住宅地と住宅街へと入ります。僕はわざとチェンマイの地元の人の生活を見る見るために、静かな通りを歩いていると、通り沿いにある家の庭で空手着を着て、空手の練習に励んでいる姉弟がいました。
 

 女の子の方は中学生ぐらい。男の子の方は小学校の3~4年ぐらいといった年齢でしょうか。きちんと折り目の入った純白の空手着を着て形の練習をしていました。その脇で二人のおばあちゃんでしょうか、孫が一生懸命練習する姿を微笑ましく見つめていました。チェンマイの夏の夕暮れ時の、何か心落ち着く風景でした。

 僕は思わず足を止めて彼女たちの練習に見入っていました。するとしばらくして女の子の方が僕の存在に気づいたらしく、恥ずかしげに微笑んだと思ったら練習を中断してしまいました。僕が見ていると照れて練習ができないようなのです。僕は思わず庭に入り込み、彼女に話しかけていました。「空手を習ってているのですか?」

 おばあちゃんはある程度の英語を理解できるらしくて、「テコンドーなんですよ。日本ではなく韓国より伝わったものなんです」。「えっ、これは空手ではなくてテコンドーなんですか?」。空手とばかり思い込んでいた僕はおばあちゃんの言葉に驚きました。というのはしばらく彼女たちの練習を見ているいたのですが、彼女ながら練習していたいわゆる受け身を中心とした基本の方が、僕が知っている空手のものとそっくりだったからです。僕は高校生と大学生の時に少しだけから空手をかじっていたのですが、その際に練習でやらされた形とほとんど同じだったのです

 空手にもいくつかの流派があり、「型」はやはりそれぞれ違うのですが、彼女らの練習をしていたものはあまりにも僕が知ってるものとそっくりだったため、ひょっとして同じ流派の空手であり、その支部がチェンマイにもあったのかと思ったほどです。しかし彼女の純白の道着の背中には明らかにローマ字で『TECONDO』(テコンドー)と書いてありました。

 僕は彼女に「少しテコンドーを教えてくれませんか?」とお願いしました。すると彼女は少しはにかみながら、「いいですよ」と言ってくれました。そして3人並んで基本の“型”をやったみました。僕は二人の動作を真似しながらやってみたのですが。“受け”にしろ“蹴り”の出し方に方にしろ、また“足の運び方”についても、僕が以前に“空手”として習ったものと全く同じでした。テコンドーと空手はかなり共通の部分を持ったものであるようです。

 男の子の方からは特別に彼の得意技なる“かかと落とし”を伝授してもらいました。この技はアンディ・フグという選手がかつて極真空手の大会で、そして K 1の中で披露している有名な技です。男の子のちっちゃな体から一生懸命繰り出す“かかと落とし”はとても可愛らしく見えました。

 僕としてはテコンドーを教えてもらった代わりに空手の型を披露したかったのですが、何ももう昔のことであり、またそれほど練習にも熱心ではなかったため彼女らに見せることはできませんでした。「テコンドーはどこで習ってるのですか?」と聞くと、女の子の方が学校で習ってるのでしょうかちょっとたどたどしい英語で「チェンマイにある YMCA で習っているんです」と答えてくれました。

 彼女らとは最後に、後から出てきたお父さんにお願いして3人の記念写真を撮ってもらいました。別れ際、僕は二人と握手して「コークン」、タイ語で“ありがとう”と言うと、みんなで手を振って見送ってくれました。

 僕は再び歩き出しながら彼らの笑顔を思い出して、“これだよ!”と口に出して言っていました。僕が求めていたのは、象のりや筏下りなどではない、ましてや観光客慣れし見世物となった少数民族の作られた笑顔などではありません。
 なんとなく胸につかえていたモヤモヤしたものが取れ、僕は独りニコニコしながらバザールへと向かいました。

 僕が今回の旅で求めているもの。それは観光地をめぐることや、アトラクション的なアドベンチャーではありません。いろいろな国の、いろいろな人とのふれ合い、そして彼らと気持ちを通わせることです。タイの片田舎で出逢った姉弟にそれをあらためて気づかせてもらいました。

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