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【掌編】誘拐保険

 嵐の夜だった。
 何気なく窓の外を見ると、手すりのところに男がぶら下がっていた。いや、正確に言うとぶら上がっていたのだ。

「何してるんですか」
「何って、君、わからんのか、UFOだよ! 私はいままさに連れ去られようとしている!」
 いかに風が強いとは言え、確かに体が浮き上がるほどのことはあるまい。だが僕は彼が巧妙に逆立ちしていることを看破した。たすき掛けの鞄は重力加速度の下に低く垂れ下がっている。

「助けてくれたまえ、君!」
 とは言え放っておくと近所から変な目で見られかねない。僕は仕方なく男を招き入れた。
「恩に着るよ」

 健康麦茶を飲んで一服した後、男は徐に、茶色の革鞄から何枚かの書類を取り出した。そして僕にも読めるようにくるりと回してよこした。一番上に大きく『コスモス誘拐保険』、とある。

「これも何かの運命、実は私は保険の営業マンでもある」
「はあ」
「特殊な誘拐保険でだね、万が一宇宙人に拐われた際、その後三年間地上に戻らなければ残りの生涯賃金に相当する保険金が支払われるのだ」
「万が一にもなさそうですが」
「たったいまの光景を見ていなかったのかね?」
「まあ、ええ、はい」
「残される家族のことを考えたまえ」
「うーん」

 男が不服そうにして書類をしまい直した直後、ベランダが光り輝き、部屋がぐらぐらと揺れだした。僕たちはじっと見つめ合った。
「いまからでも入れます?」
「駄目だ。これはもう既誘歴にカウントされる」
「なるほど」
 しばしの沈黙。光は強度を上げ、部屋の色彩を白へ白へと変えていく。
「あなたは加入済み?」
 彼は残念そうに首を振った。

 光の粒子が視界を覆い尽くすと、いわく言い難い引力が僕たちを虚空へと引き上げていった。

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