【掌編】モーニング・メモリ2020
午前五時十五分。
ごんごん、と頭を壁に何度かぶつけた後、ミス・ベイビーマロンヘッド(0歳6ヶ月)は大きな頭をぐい、と横へ向けた。
無精髭の男がこちらを見ている。
「うー、ううう(もうすぐまゆげがくっつくわね、むごたらしいことだわ)」
彼女は密かに男を哀れんだ。
「あふ、あふう(それでもこのおとこがあたちのだでぃーなのよね、まあしょうがないわね、おやはえらべないわけだし)」
そんなことを考えているうちに、また頭が壁にぶつかる。ごん、ごん。
彼女は悔しそうに涙を浮かべる。
「ううう、うやああう(ちょっとあんた、なんとかしなさいよ、あたちはまだおもうようにうごけないんだからね)」
恨めしそうにして髭の男を睨み付ける。
無精髭の男は口角を上げて微笑むと巨大な体をぐわんと伸ばし、ミス・ベイビーマロンヘッドの元へ近づいてくる。高反発マットレスがたわみ、彼女の体がゆるやかに上下する。巨人の腕に捕まえられて、ミス・ベイビーマロンヘッドは無事、障害物のない安全圏へと脱出した。
彼女はしかし過去には囚われない女だ。いましがた壁際から救出されたことなど既に忘れてしまっている。
「あああお、うううう(たのしくないのよ、なにかおもしろいことあんたやんなさいよ)」
苦笑する巨人の向こうに、新たな癖毛の一体が姿を現した。
「あ、うふー、うふふー(あら、ままじゃないの、ちょうどのどがかわいていたのよね)」
ミス・ベイビーマロンヘッドの顔がくしゃりとしわを寄せ、ビリケン様の表情に至った。癖毛の女に引き寄せられるやいなや、その豊満な胸をぐわりと掴んでかぶりつく。即時母乳吸引作業にとりかかると、彼女は幸せそうにしてそっと目を閉じた。
食事を終えたミス・ベイビーマロンヘッドは満足げにちゃぷちゃぷと上下の唇を遊ばせていたが、じきに落ち着きを失うと右へ左へと勢いよく体をねじり出した。消化途中の胃の内容物達はドラム式洗濯機に放り込まれた衣類よろしく高速回転し、食道への逆流を試み始める。癖毛の女がなんとかしてそれを押さえつけていたとき、ミスター・ベイビーバイオレンス(2歳)が目をこすりながら音もなく立ち上がり、へんてこなイントネーションで言った。
「おはよー(やろうども、じゅんびはいいな?)」
午前五時三十分。巨人たちの長い一日が始まろうとしていた。
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