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【掌編】届けて

 発車メロディが鳴り響き、ドアが閉まる。
 ほとんど転げるようにして、ホームの階段を駆け下りてくるサラリーマン風の男。注意喚起の駅内ポスターをそのままなぞるようにして、右手の革鞄を扉の隙間に挟み込む。
「すいませんすいません!」
 いかにも申し訳無さそうに必死の形相で弁解の言葉を連呼する。両手を使い、扉が閉まろうとするのを頑なに妨害する。舌打ちが聴こえる。普通なら車掌の方が諦めてそろそろ扉が開き出すところだ。だがその日は違った。
「なああんた、恥ずかしくないのか」
 見上げると漢がいた。ガタイのいい中年の男で、身長は二メートル近い。男は車両の内側から、扉が開こうとするのをその逞しい両腕で防いでいるようだった。
「お願いします! 開けて下さい!」
「いい歳こいて迷惑なやつだ」
 重たい、毅然とした声で男は応えた。同時にホームのアナウンスが流れる――危険な乗車はお止め下さい。車内の誰かがスマートフォンで写真をとる音。
「父が危篤なんです!」
 大男はわずかに眉を吊り上げると、何も言わずに引き下がった。

「どこの病院だ」
 自分が話しかけられているのだと気づくのに少しく時間が必要だった。
「〇〇病院……です」
 消え入るような声。薄暗い表情。力のない息。背の高い男はその無骨な指には不釣り合いな、素早く繊細な操作でスマートフォンをタップし、地図アプリで道順を調べた。病院までは最寄り駅からでもかなりの距離がある。
「次の駅で降りるぞ」
 何を言われたのかわからず、サラリーマン風の男は彼を見上げた。巨漢の小さな目が、きらりと光った。

 山間にある総合病院のロータリーに、タンデムのハーレーが爆音を鳴らしながらドリフト気味に乗り込んでくる。構内を歩いていた看護師や上階の医師、患者たちが窓から、怪訝な顔で二人の男を見やった。ひょろ長い方のスーツ姿の男が、ロビーに向かって全速力で駆けて行く。そのまま去ろうとするもうひとりの男に向かって、院内から叫ぶような声。
「ありがとうございましたぁ!」

「なに、やくざ?」
「さあ」
 シールドを上げた男の眼光に、野次馬たちは一斉に目を逸らす。空は曇っていて、今にも雨が振り出そうとしていた。サラリーマン風の男は廊下を走る。「俺は間に合わなかったから」彼の言葉が頭の中で繰り返す。「廊下を走らないで下さい!」ぺこぺこと謝りつつ角を曲がる。若干のスリップ。病室のスライド・ドアを開くと、高鳴っていた心臓がわずかに鼓動を弱めた。

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