大雨京都、ホテルのベッドでピクニック
京都2泊3日のひとり旅。
目的は町歩き、古書店めぐり、バーのひとり三昧。
私はどうも貧乏性でいけない。
いつも京都に行くと決めたら修学旅行生以上の神社仏閣めぐり過密コースを組んでヘトヘトになる。
京都在住の独身時代、名所旧跡に興味なく、神社仏閣には近寄ったこともなかった。
そのせいか今は失われた時間を取り戻すべく、仇のように観光名所を制覇するも疲労8割、感動2割。これでは本末転倒である。
だから今回はノープラン。観光名所ではなく、懐かしい町のそぞろ歩き、懐かしい本屋巡り、そしてひとりでゆっくりお酒を愉しむのだ。
友人にも家族にも連絡せず、気ままに行こう。
そんな旅にしたかった。
動きやすい中心エリアにホテルもとった。
ところがである。
台風の通過にぶつかりそうだ。
天気予報では滞在日を狙ったように豪雨である。
今更キャンセルするのもバカらしく、かと言って旅行するのもバカらしく、直前まで悩み抜いて出発日の6月1日、晴れていたので出発した。
▼京都到着。こだわり書店へレッツゴー
京都に着くと怪しい怪しい曇り空。そりゃそうだろう、予報通り。
雨が降らないうちに重いキャリーケースを引きながら、左京区一乗寺方面を目指した。お目当てはニッチ本とオモシロ本のカルチャー系書店、けいぶん社である。
たとえ清水寺や金閣寺を廻らずとも、けいぶん社参拝だけは怠りたくない。
京都駅からは206番のバスで直行だ。
バスは学生時代に住んでいた元田中辺りを過ぎ、高野で下車。懐かしい景色が広がる。
京都といっても実家の御所周辺にはなんの感慨も湧かないが、浄土寺から一乗寺界隈は私の胸を締め付ける。
この辺りは青春のパラダイス。私の好きなもの、時間を共に過ごしたもので溢れているから。けいぶん社もそのひとつだ。静かな住宅街の中にどしんと鎮座。
ここはまさに出会いの書店と呼ぶに相応しい。
目的なく訪れて、恋に落ちるが如く魅力溢れる本を買う。
あるときは写真集だったり美術本、あるときは地元編集部の文芸本。そしてあるときは澁澤龍彦や三島由紀夫のコーナーに耽溺する。
そんなことの楽しめる書店なのだ。
書店内を回遊し、調子に乗っていたら1万円近く使っていた。
雑誌と文庫本数冊で? うわっ1冊の単価、あれもこれも高いじゃないか。
本、高すぎる。だから本離れが起きるのだ。
この20年間で新刊の平均価格は25%も値上がりしたらしい。以前、神戸新聞のネット記事で読んだことがある。
値上がりの肌感覚はあったけれど、デフレ期を含むこの期に25%とは。
トホホじゃないか。今日買った文庫本、1700円!
読みたいから買うしかないのだけれど。
▼夜の京都、そぞろ歩き
本の値段に怒りを覚えながらも入手した嬉しさホクホクで三条大宮のホテルに到着した。
天気は夜まで曇りらしい。今夜だけでも耐えてくれ。
近場の広東料理店で夕食を済ませ、ご近所の町歩きに出た。
この辺りは昔からの三条商店街を中心にした活気溢れるエリアである。道を1本隔てると、途端に静かな町並みになる。昔ながらの京町家がまだまだ多い。
民家と民家の間にある細い路地も京都ならではだ。
京都弁では「ろじ」ではなく、「ろおじ」と発音する。
ろおじの奥には、何件かの民家エリアが広がっている。
私は昔からろおじ奥に行くのが大好きだった。
ちょっと隔離された、まさに隠れ家のようなエリアにワクワクするのだ。
京都市内の通りは、東西南北を交差する道が碁盤の目のように整然と並んでいる。
大通りと大通りの間には、恐ろしく細い道が走っていることもある。
この写真の道幅もとても狭い。
こんな狭い道に、まさかの小学校。あまりの古さに幽霊でも出そうな気配。いやいや、歳とったせいか怖さよりも郷愁ばかりが込み上がる。幽霊なんぞにキャッキャするのは若者の特権だろうな。
早く町歩きを切り上げてお目当てのバー、木屋町サンボアに行かねば。
でもそぞろ歩きが楽しくて、なかなか足が止まらない。
気ままに歩いていたら、ネオンほんのりの異様な雰囲気のバーまで見つけてしまった。
サンボアはまた今度にして、今晩はここに入ろうか。
他にも気になる飲み屋が数件ある。そう思って歩いていたら、あああ、雨だ。
いよいよ降り出したのか。
びしょ濡れにならないうちに、ホテルへと走って帰った。
ついてないな。だんだん大雨になると言われているこの悪天候時に、わざわざ出かけることもない。今夜はお風呂にゆっくり入り、買ってきた本に目を通そう。
▼暴雨で外出断念
明けて翌日、6月2日。
ニュースを見ると大雨警報。段々雨足が強まると警戒宣言が出されている。
昼過ぎ、京都に住んでいる妹に連絡したら驚かれた。
「こんな日に何してんの! うちの会社、交通機関麻痺するから午前中で帰宅命令出たんやで。明日、東京帰るの? 京都は明日は晴れるけど東京は大雨みたい」
そうなのである。私は雨を追いかけて帰るのだ。ハハハである。
「今、ホテル? 何してんの? 遊びに行くとこもないやろ?」
ハイ。朝からずっとホテルのベッドの上で、柿の種を食べながら買ってきた本読んでダラダラ‥‥ではなく優雅なホテルピクニックと洒落込んでますよ。
雨音をBGMにね。
これはこれで贅沢な時間。ほぼ強制的に読書だけ。
iPhoneには「東海道新幹線、運転一部見合わせ」のニュースが入るけれど、今更そんなことも気にしない。なるようになる。
本読む合間にお風呂に入り、また本を読む。テレビもYouTubeも意識的に見ない。こんな贅沢に過ごせる時間、そうそうないから。
寝て、お風呂入って、本読んで、またお風呂に入り、また本を読む。
気がついたら夜になり、ご近所に鰻を食べに行く。
そして暴雨京都の夜が更ける。
うわーシアワセ。
雨音のリズムに乗って、このnote記事執筆もサクサク進む。
やっぱり書いて言葉にするのは特効薬だ。憂鬱な気分もシアワセと書けばその通りになる。思い込みとはよく言ったもの。言霊である。
いい旅だった。貴重な体験だった。読書旅なんてねぇ。
▼帰京日に晴れる憎らしさ
翌日6月3日は朝から快晴。昨日の雨が嘘のような眩しい日差しではないか。
私を不運と憐んだ妹に誘われて、親戚の料理屋で今年初の鱧懐石を堪能する。
鱧を食べると夏が来たなとしみじみするのが京都人。
そして話題の中心は菩提寺のお墓のこと。
もう死ぬことなんか怖くない。死んだあとも楽しみだ。
そんなことを話しながら大笑いしたお墓の話題は、また別の記事であげようと思う。
帰りの新幹線は遅れに遅れはしたものの、東京も雨は上がっていた。
終わりよければすべて良し。
途中の贅沢時間もすべて良し。