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私の選んだ太宰治〜珠玉の【書き出し】編
本を読むとき、その内容よりも冒頭「書き出し」の一文、あるいはひと段落、ひと区切りにぞっこん惚れ込むことがある。
ただ読みやすいというだけでなく、なにかが引っかかる。なにかに惹かれる。なにかが心に残るのである。
そして読み終わったあと「書き出し」を味わうために音読を繰り返し、書写までしてスルメイカのように味わい尽くしてみたり。もちろん暗唱するという密かな愉しみもある。
朝、私は30分ほど海辺ウォーキングをする。このとき頭がスッキリふるふるになるのだけれど、ここでたまに、まあごくたまに、好きな「書き出し」を暗唱して文豪になった気分を密かに装っている。
背筋までなおいっそうピンと伸び、「書き出し」を呟くだけで上等な人物になったような優越感。この勘違いシアワセ時間をキラキラ海原を眺めながら味わうのだ。ニンマリである。
今日は私の好きな「書き出し」の作品を紹介しようと思う。
好きな「書き出し」だけで選ぶと多すぎてキリがない。まずは日本文学。中でも太宰作品に限り、超私選の「書き出し」ベスト3に絞ってみた。
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*小説冒頭に用いられる既存小説の引用等は省略しています
*すべての作品は、巻末で青空文庫、Kindle、印刷本を紹介しています
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●『恥』 太宰治
──書き出し──
菊子さん。恥をかいちゃったわよ。ひどい恥をかきました。顔から火が出る、などの形容はなまぬるい。草原をころげ廻って、わあっと叫びたい、と言っても未だ足りない。
こんな女性の一人称語りで「ねえ、聞いて聞いて」といわんばかりの勢いで始まる短篇『恥』。太宰が安定して明るい作品を多く書いた中期の短篇である。だから最後まであっけらかんと読めるのだが、なかなかどうして。
主人公・和子は自分のお気に入りの小説家に手紙をしたためる。その滑稽なほど傲慢な内容は、まるで太宰が乗り移ったと思わせるほど。思い込みがエスカレートして小説家に会いに行く羽目となり、そこで大恥をかくという顛末だ。
最初から先の読める展開だが、和子の勘違いぶり、それを菊子さんにほとばしるように語る悔しさから目が離せない。
私は『恥』の書き出しも好きだけれど、負け惜しみのラストも大好きである。和子、ガンバレ!
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●『グッド・バイ』 太宰治
──書き出し──
文壇の、或る老大家が亡くなって、その告別式の終わり頃から、雨が降りはじめた。早春の雨である。
その帰り、二人の男が相合い傘で歩いている。いずれも、その逝去した老大家には、お義理いっぺん、話題は、女に就いての、極めて不きんしんな事。紋服の初老の大男は、文士。それよりずっと若いロイド眼鏡、縞ズボンの好男子は、編集者。
太宰作品には「書き出し」に惹かれるものが多い。叙情的表現というよりも、技巧の見事さ。遺作にして未完の『グッド・バイ』の「書き出し」は、状況と人物紹介が映像を見るようにサラリと書かれ、物語の核心へと自然に誘っている。
告別式帰りに二人の男が話す「女に就いての極めて不きんしんな事」とはなんだろう。何度読み返してもこの部分にワクワクするのだ。
物語は主人公の編集者・田島とキヌ子の会話が面白く、近代文学の洒脱さにラノベのようなドライブ感を覚える妙な魅力を放っている。
物語における人物紹介や状況説明は、ともすれば退屈になりがちだ。それを自然にうまく物語に引き込んでいる黒澤明監督の『悪い奴ほどよく眠る』を思い出す。映画のオープニングは結婚式のシーンでの人物紹介、汚職事件の取材に集まった記者たちの噂話で物語の状況、人物が興味深く説明されている。
こういう「出だし」に出会うと作家の力量だなあと感心もひとしお。また太宰は文体のリズムも良く、つい音読、暗唱したくなるのだ。
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●『犯人』 太宰治
──書き出し──
なんという平凡。わかい男女の恋の会話は、いや、案外おとなどうしの恋の会話も、はたで聞いては、その陳腐、きざったらしさに全身鳥肌の立つ思いがする。
けれども、これは、笑ってばかりもすまされぬ。おそろしい事件が起こった。
この「書き出し」は幸せ絶頂の恋人への妬みそのものでクスリとするが、一転して「おそろしい事件」と結んでいる。この先、読まずにおられようか。
これは太宰後期の短篇である。主人公の青年・鶴はどうしようもないおっちょこちょい。恋人と一緒に住む家が欲しくてわずかばかりの金を盗み、姉に手をかけて逃亡、その果てに……。切羽詰まった若者は、愚かさと悲哀、滑稽のカオスから抜け出せない。スピーディーな展開、鶴を襲う不幸がカラリとした書き味で、だからこそ凄みを感じる。
この作品を志賀直哉にこき下ろされて憤慨した太宰は、すぐに『如是我聞』を書いて大反撃を試みた。こわいこわい。SNSでの炎上案件の如し。併せて読むと一層、興奮する。
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〜番外編〜
●『新釈 走れメロス』 森見登美彦
──書き出し──
芽野史郎は激怒した。必ずかの邪知暴虐の長官を凹ませねばならぬと決意した。
芽野は、いわゆる阿呆学生である。汚い下宿で惰眠をむさぼり、落第を重ねて暮らしてきた。しかし厄介なことに、邪悪に関しては人一倍敏感であった。
その日の午後、眠れる獅子が眼を覚ましたのごとく、芽野は一大決心をした。「たまには講義に出てみるか」と考えたのだ。そうして、一乗寺の下宿から大学へ出かけた。
太宰作品ではないが、『走れメロス』のパロディが滅法面白い森見登美彦を番外編で紹介したい。もちろん「書き出し」が秀逸なのは言うに及ばず。
森見登美彦といえば阿呆大学生が登場する四畳半小説に抱腹絶倒だが、本書もそのシリーズなのである。内容について多く語るのはやめよう。図書館警察に追われるとも、ブリーフいっちょうで踊らされる友のために京都を逃走するアホ話だなどとも。
文庫本には【新釈】走れメロス逃走図なる京都地図まで装填されている。
仰々しい文体とマヌケな青春ストーリーのミスマッチが森見作品の真骨頂だが、この「書き出し」はその特徴をギュウギュウに圧縮してスタートラインに立っているようなもの。楽しめないわけがない。
*註:逃走地図付きは祥伝社文庫のみ
![](https://assets.st-note.com/img/1682934341926-UvFLhrfowN.png?width=1200)
語り出すとキリがないので、今日のところはこのへんで。またシリーズを絞って紹介できれば書いてる本人は嬉しくて仕方ない。ただただ愉しい。
おつきあいいただき、ありがとうございました。
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◉「恥」収録の『ろまん燈籠』
◉「グッド・バイ」
◉「犯人」収録の『津軽通信』
◉「新釈 走れメロス」
illust ACより「ひつじまる」さんのイラストを編集使用