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チャットモンチーになりたかった
高橋久美子が、ドラムを叩いたらしい。
チャットモンチーが始まった徳島で、
チャットモンチーの終わる夏に。
わたしとチャットモンチーの出会いは、中学一年生の頃だったと思う。
父親に「ラジオ聞いてたら、凄いバンド見つけたんだよ。徳島の三人の女の子たちなんだけど、チャットモンチーっていってな。とりあえず聞いてみたら。」と言われ、シャングリラを初めて聴いたあの日から、今日まで。
良い時も、悪い時も。
13年間。
おさげの中学生のわたしが、
電車通学の高校生になって、
大学生になってバンドを始めて、
東京に出て社会人になるまで。
いつもチャットモンチーは、彼女たちの音楽は、わたしのそばにあった。
チャットモンチーに憧れてバンドを始め、えっちゃんと同じ、夕日色のテレキャスターを買ったこと。
はじめて、ハナノユメをコピーしたときのこと。
バンドにわたしのすべてをつぎ込んだ大学時代と、そこで出会ったかけがえのない友人たちのこと。
生涯を共にしたいと思う大切な人に出会えたこと。
たくさんの音楽を聴くようになり、たくさんの音楽を好きになったこと。
生まれ育ったふるさとを離れて上京する電車の中でも、泣きたくて帰りたくて逃げ出したかった夜も、チャットモンチーを聴いていたこと。
そして、忘れられない、最後の武道館。
チャットモンチーほど、等身大という言葉が似合うバンドは他にないと思う。
彼女たちも、きっとわたしたちと同じように悩み傷つき笑ったり悩んだり、少女と大人の狭間でもがきながら、成長と躍進と変化を見せてくれたから。
チャットモンチーの誕生から完結までのストーリーは、わたしたち一人一人のストーリーとリンクしている。
だからこそ、多くの人がチャットモンチーに惹かれ、今でも彼女たちの音楽を愛し、完結を惜しむのかもしれない。
いつだって、えっちゃんは、チャットモンチーは、わたしの憧れだった。ヒーローだった。
彼女たちがもしもいなかったら、わたしは誰と出会い、誰を好きになって、どんな音楽を聴いて、どんな大人になっていたのだろう。
最後の武道館で、泣いているえっちゃんと一緒に、あっこのピアノで、泣きながら歌ったサラバ青春を、わたしはこれからもずっと忘れない。
真っ暗で先の見えない夜に出会うたびに、わたしは何度でもチャットモンチーの輝きを思い出し、歯を食いしばって前へ進むだろう。
最後まで、チャットモンチーを続けてくれてありがとう。
たくさんの憧れと夢と、きっかけを与えてくれてありがとう。
13年間、本当にお疲れ様でした。
フォーエバーマイチャットモンチー!
"きっといつの日か笑い話になるのかな
あの頃は青臭かった なんてね
水平線に消えてゆく太陽みたいに
僕らの青春もさらばなのだね
サラバ青春"
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