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Adoの「うっせぇわ」は一体何に怒っているのか ~尾崎豊「15の夜」発売40年目の夜に捧げる比較分析~

40年前の今日、1983年12月1日に尾崎豊さんのデビューシングル『15の夜』が発売された。未だ歌い継がれるこの名曲の歌詞で最も広く知られているのはサビのこの一節であろう。

盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま
暗い夜の帳の中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれる気がした  15の夜

https://www.uta-net.com/song/2497/

ちなみに尾崎豊の兄、康さんは直近のNHKからの取材で「当時高校生だった弟が、自分が大切にしていたバイクを勝手に使って壁に衝突し、廃車にしてしまった」というエピソードを披露されている。このインタビューも大変面白いのでご興味があればぜひ御覧いただきたい。
また、尾崎豊の代表曲の一つ、『卒業』には下記のよく知られた一節がある。

行儀よくまじめなんて 出来やしなかった
夜の校舎 窓ガラス 壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった
信じられぬ大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう

https://www.uta-net.com/song/2864/

もちろん、盗んだバイクで走り出したり、校舎の窓を壊して回ったりするのは今も昔も犯罪なのだが、この物騒な歌詞が当時の若者に多大な共感を呼んだであろうことは統計データからも読み取ることができる。

これは法務省が毎年発表している犯罪白書における10代の検挙人員の推移(補導を含む)である。縦棒は実際の検挙人員数(左軸)、折れ線は人口比(10代人口10万人あたり人員数/左軸)を示している。
尾崎豊がデビューした1983年は、赤丸で示している通り戦後で最も10代の検挙人員数が多かった年なのだ。
尾崎豊は戦後、10代が最もワルかったまさにその年に、盗んだバイクで走り出した。彼が若者の圧倒的な共感を集めたのは必然だったのだ。

ちなみに1983年は尾崎のデビュー年であるだけでなく、『ビー・バップ・ハイスクール』が連載を開始した年でもある。この年を皮切りに、80年代は不良をテーマ、モチーフにした様々な文化が花開いている。
実際のところ、当時15歳前後だった世代には、そういうワルっぽい感じをちょっとカッコいいと思っているフシが未だにある。尾崎豊はこの世代の若者が共有する空気を音楽の力で生み出したという点で、まさに時代の寵児と呼ぶに相応しいアーティストであろう。
(ちなみに筆者は、再度、犯罪率が上昇した1997年に15歳だった。程度の差こそあれ、世代の空気で言えば似たようなもんであることを念のため、申し添えておきたい。)

そんな尾崎世代にも、あの頃から40年の歳月が流れた。当時の15歳は早いもので今年55歳になった。そしてその子ども達はだいたい10代後半~20代前半。当時の尾崎豊くらいの年齢である。当時、自分たちが反抗し、争っていた「大人」の立場が回ってきたのだ。

それでは、尾崎世代は”現代の尾崎豊”たちから
どのような突き上げを食らっているのだろうか?

ここで取り上げたいのは、
2019年にリリースされたadoの『うっせぇわ』
である。
歌い手はadoだが、作詞はsyudouという男性のシンガーソングライターで、2019年当時24歳だった。
『うっせぇわ』の歌詞中では、バイクを盗んだりガラスを壊したりといった暴力的な活動は語られない。代わりに、「大人」世代が押し付けてくる「ルールやマナー」を具体的に例示した上で、 ” うっせぇわ! ” と計24回絶叫する構造となっている。(ちなみに小学校低学年の息子は、私とカラオケに行くとこの歌をノリノリで歌う。)
『うっせぇわ』の歌詞中で大人世代が押し付けてくるルールやマナーには下記のようなものがある。

最新の流行は当然の把握 経済の動向も通勤時チェック
純情な精神で入社しワーク 社会人じゃ当然のルールです
(中略)
酒が空いたグラスあれば直ぐに注ぎなさい
皆がつまみ易いように串外しなさい
会計や注文は先陣を切る 不文律最低限のマナーです

https://www.uta-net.com/song/292534/

私は40代前半だが、
このくらいは心がけたほうが良いんじゃないかと普通に思う。
やはり私も大人の立場になったということか。
(まぁ、純情な精神で働いてるかどうかは分からないが…。)

しかし、どうにもこうにも
「経済の動向をチェクしてなくても大目に見て欲しい」あるいは
「焼き鳥を串から外したければ自分でやって欲しい」というのは
不満として細やか過ぎて、
果たして”うっせぇわ!”と24回も絶叫することなのか
という印象が拭えない。
逆に言うと、そのくらいしか不満がないということなのだろうか。

「今の若者にはそのくらいしか不満がないのだ」
という可能性は実際のところ、ある。
博報堂生活総合研究所が今年1月に発表した「消齢化」という現象がある。日本の各年代の価値観や行動の差が以前に比べてなくなってきているという現象で、その主要な要因として、戦前世代が人口に占める比率が減って大半が戦後生まれとなることで、大きな世代間の価値観対立がなくなったことが挙げられている。
尾崎世代の親のほとんどが戦前、戦中生まれだったのに対し、尾崎世代はもちろん戦後生まれである。
40年前の親子の世代間対立は、戦前生まれvs戦後生まれ、という構造をはらんでいたが、今となっては親子共に戦後生まれだ。「大人」と「子ども」の間にそこまで根本的な価値観の相違は少なくなっていることは確かだろう。

しかし、あらためて『うっせぇわ』の歌詞を読み返すと、
不満の本質は焼鳥の串ではないのではないか?
という気がしてくる。
例えば下記の一節である。

ちっちゃな頃から優等生 気づいたら大人になっていた
ナイフのような思考回路 持ち合わせる訳もなく
でも遊び足りない 何か足りない
困っちまうこれは誰かのせい あてもなくただ混乱するエイデイ
(中略)
つっても私模範人間 殴ったりするのはノーセンキュー
だったら言葉の銃口を
(中略)
不平不満垂れて成れの果て サディスティックに変貌する精神

https://www.uta-net.com/song/292534/

そもそも、彼らは尾崎世代と違って
ナイフのような思考回路を持ち合わせない、模範人間。
殴ったりするのはノーセンキューなのだ。
この一節こそ、尾崎世代に対する強烈なアンチテーゼ
であるような気がしてならない。
先程のグラフをご覧になってお気づきになった方も多いだろうが、10代の検挙人員は近年では減少を続けており、毎年過去最低を更新中。人口比で見ても、尾崎世代が盗んだバイクで(実際に盗まれていたのはほぼ自転車だったが)走り出していた頃に比べて約8分の1になっているのだ。
現在の若者が少なくとも尾崎世代に比べて優等生で模範人間的であることはマクロデータが証明している。

一方で、彼らはただの模範人間ではなく、「何か足りない」という葛藤を抱えている。戦前と戦後という明確な価値観対立があった時代と違って、
同じ戦後の文脈の中で整備された不文律のルールやマナーに敢えて対抗する強いカードも持ち合わせていない。
そのような苛立ちが、”うっせぇわ!”という絶叫には込められているのではないだろうか。

前述の博報堂生活総合研究所が実施している「生活定点」という時系列調査に、今の生活に欲しいものを3つ選択する設問がある。その中で、「自由」を選択した人の年代別の推移を示したのがこちらのグラフだ。

https://seikatsusoken.jp/teiten/answer/93.html

92年からの調査だが、20代の「自由」を欲する率は昔と大きく変わっていない。(むしろ20代男性ではやや高まっていたりする。)
尾崎豊の『15の夜』や『卒業』では、「自由」への渇望が歌われている。その渇望の度合いは、昔も今もさほど変わらないのかもしれない。
しかし、尾崎世代の方が敵は明確であっただろう。今の若者のほうがよりファジーで、真綿で首を絞めてくるような”何か”と戦っているような気がしてならない。
現代において若者の「自由」を蝕む敵の本質とは何なのか、この辺りはより考察を深めていきたいところだ。

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