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【海外の街を歩く】ローマを歩く(その9)

2015年9月のローマ旅行の8日目、この日はアッピア街道(Via Appia antica)とアウレリアヌス城壁の周囲を歩くことにした。
アッピア旧街道については、以前、塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読み、歩いてみたいと思っていた街道だったのでイタリアを旅行したこの機会に実行することにした。

アウレリアヌス城壁(Mura aureliane)

南側のアウレリアヌス城壁(Mura aureliane)から歩いてみることにして、地下鉄でピラミデ駅まで移動して、朝8:45分からサン・パオロ門(Porta San Paolo)から歩き始めた。

サン・パオロ門
途中の門
途中の門

アウレリアヌス城壁の外側沿いのポルタ・アルディアーナ通り(viale di Porta Ardeatina)を歩き、アルデアティーナ門(Porta Ardeatina)などを通り、アッピア旧街道の起点となるサン・セバスチアーノ門(Porta San Sebastiano)に到達した。

サン・セバスチアーノ門は、アウレリアヌス城壁にある門の中で最大の規模を誇るそうで、最も良い状態で保存されている門だそうだ。
確かに綺麗な形状を保っていた。

アッピア街道を通過させるために造られた門でだったことから、古代ローマ時代にはアッピア門と呼ばれていたとのこと。
サン・セバスティアーノ門と呼ばれるようになったのは、15世紀に近くにあるサン・セバスティアーノ教会(San Sebastiano fuori le mura)にちなんでのことだったそうだ。

個人的にはアッピア門の方が好みですが、そんなことを言うのは罰当たりか…。

サン・セバスチアーノ門

アッピア旧街道(Via Appia antica)

現存するローマ街道の中でも最も有名なもののひとつで「街道の女王」の異名を持つ道だ。
紀元前312年、当時の財務官だったアッピウス・クラウディウス・カエクスの立案によりローマとアルバーノ丘陵を結んでいた街道を改修、拡大し敷設が始まったそうだ。

アッピア街道は、最初はローマが制覇した南端のカプアまで建設されたそうだ。
その後、ローマが征服したベネヴェントやヴェノーザ、ターラントといった都市まで延長され、終点のアドリア海に面する港町ブリンディジへの開通までにはおよそ70年を要したそうだ。

アッピア街道
石畳の道

サン・セバスチアーノ門から石畳のアッピア旧街道を歩き始めた。
最初のうちは横を走る車も多かったが徐々に減り・・・。
二時間半余り歩いた12時頃、漸くもう一つの目的だった古代ローマの水道橋の跡に遭遇した。
出来れば、もう少し繋がっている遺構を観たかったが、観れただけですごく良かった。

古代ローマの水道橋

サンジョバンニ門(Porta San Giovanni)

地下鉄でサンジョバンニ駅まで戻り、13時40分頃からサンジョバンニ門(Porta San Giovanni)を出発してアウレリアヌス城壁沿いに北上してみた。

サンジョバンニ門

いくつかの門を観て、50分程歩いてローマ・ラ・サピエンツァ大学(Sapienza Università di Roma)に到達した。

ローマを走るトラム

ローマ・ラ・サピエンツァ大学はイタリア最大の国立大学だそうだ。
21学部で学生数は約115,000名だそうだ。
創立も1303年と700年以上の歴史を誇る伝統のある大学だ(知らなかった…)。

ローマ・ラ・サピエンツァ大学


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