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【海外の街を歩く】初めての海外旅行(最終章)

ジョン・F・ケネディ国際空港

帰国の日の朝、ホテルに日本人のドライバーの方が迎えに来た。
聞くと、本業は翻訳家だという。
空港までの道すがら、アメリカでの生活を聞いた。
翻訳業もなかなか大変なのだなと思うとともに、海外で暮らしながら生計を立てる逞しさも感じた。

クイーンズにあるジョン・F・ケネディ国際空港( John F. Kennedy International Airport)に向かう車中、窓から見える湾岸の景色は大都会ニューヨークを改めて感じた瞬間だった。
初めての海外旅行が終わろうてしていることもあって、名残惜しく感じた。

空港に到着し、チェックインに進んだが、順番待ちでなかなか手続きが進まず、途中、他の外国人と順番のことで揉めそうになったりしたが、なんとか荷物の預け入れを完了。

手荷物検査を受け、通過後は免税店でお土産を買ったりして過ごした。
出発30分前頃から搭乗が始まり、帰国の途についた。

そして帰国の途につく

帰国便のフライトでも、機内で映画やテレビドラマを観て過ごした。
機内で見るアメリカのテレビドラマで時々ハマってしまうものが出る。
数年後に帰りの便で観たビッグバンセオリーなどは、帰国してからCS放送で欠かさず観るようになった。

帰りのフライトの機内食は、テイストの違いから、行きとは違ってアメリカで製造されたものだなと分かった。
味の感想についてはもはや忘れてしまったが、機内食が楽しみだったことは変わりない。

フライトも残り少なくなってくると、旅が終わってしまう寂しさを更に感じるようになった。
そして、次にどこに行こうか考え出した。
海外旅行の楽しさは計画を立てるところから始まる。

キャビンアテンダントから「携帯品・別送品申告書」が配られる。記載しながらいよいよ旅が終わるのだなと実感した。
そして成田に到着。
国によっては、飛行機が着陸すると拍手が起こるケースがあるが、日本では当然の如く拍手は発生しなかった。

旅の余韻

ゲートを通り、空港の通路を歩く。
入国者審査を受け、パスポートに入国のスタンプが押された。
その後は、ターンテーブルで荷物を受け取り、検疫、税関を通って到着ロビーに出た。
全てが終わり、明日から仕事なんだなと思い、少し、もとい、かなり寂しくなった。

空港のカフェで一休み。
コーヒーを飲みながら、観光して楽しかったところや次はどこに行こうかなどと話をして、旅の余韻に浸った。

クルマを受け取り自宅に帰る

自家用車を預けていた民間駐車場に電話連絡して、空港まで迎えに来てもらう。
そして車で自宅まで帰る。
途中、スーパーに寄り、日用品の買い出しもした。
こうして日常が戻っていく。

自宅に戻ると、トランクを拭いて泥を取ってから書斎に運んで開き、衣類を取り出して洗濯機に入れて・・・、片付けを一気に行った。

荷解きをあらかた終わったところで、冷麦を茹で昼食を準備。
冷麦冷や奴を食べ、醤油生姜の味わいに、日本に帰ってきたことを実感。
海外から帰って最初の食事はいつもそんな感じ。
ほっと一息。
そして、次の旅先を、また、考え始める…。

(参考)ニューヨークの概要

ニューヨークは、アメリカ合衆国北東部の大西洋に面した都市。1790年以降、アメリカ最大の都市。
市はブロンクス、ブルックリン、マンハッタン、クイーンズ、スタテンアイランドの5つの行政区で構成。
「眠らない街」とも呼ばれ、「ビッグ・アップル」や「ゴッサム」といったニックネームがある。

ロンドンとともに世界の金融センターとして機能している。
国際連合の所在地でもあり、世界の政治、経済、文化・ファッション、エンターテインメントなどに多大な影響を及ぼす街でもある。

1524年、フランス国王の命を受けたイタリアの探検家、ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノがこの地域に到達。ヨーロッパ人としては初めての訪問者とみられる。
当時、ここには約5,000人のレナペ族の先住者が住んでいた。
ニューヨークは1624年にオランダ人の手によって交易場として築かれた。
この入植地は1664年までニューアムステルダムと呼ばれていたが、同年イギリス人が町を征服し、イングランド王ジェームズ2世(ヨーク・アルバニー公)の名を取ってニューヨークと名を改めた]
1785年から1790年まではアメリカ合衆国の首都としての役割を担った。

人口:8,230,190人(2020年時点)
面積:783.8 km²

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