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【海外の街を歩く】サンクトペテルブルクを歩く

2007年9月、海外のツアー旅行に初めて参加した。
目的地はロシアのサンクトペテルブルクモスクワの2都市。
ツアー参加者は20名に満たなかった程度だったと思う。

今回の旅行でも成田空港までは自家用車で行き、周辺の民間駐車場に預けて空港に向かった。
前回のアメリカ旅行との違いはツアー参加ということで、他の旅行者と一緒に行動したことだった。
以後、2014年まで8回ツアー旅行に参加してツアーならではの楽しさを味わった。

西回りのフライト

前回旅行したアメリカは東回りだったので、往路が西回りのフライトは初めてだった。
ちなみに、ロシア旅行では時差ボケもなく過ごすことが出来た。

最初の目的地、サンクトペテルブルクには、モスクワ空港で国内線に乗り継いで向かったと思う。
当時のモスクワ空港の印象は古びた空港といった感じだった。
入国審査のことは、残念ながら覚えていない。

数年後にトランジットでモスクワ空港を利用した際にターミナルがきれいに改修されていたのを見たときは驚いた。
改めて所要時間を調べみると、成田・モスクワ間が10時間9分、モスクワ・サンクトペテルブルク間が1時間20分と出てくる。
フライト時間は、もう少し短かったような気がしていたので、時間とともに記憶が変わってしまったことに・・・。

サンクトペテルブルクには夕刻到着し、ホテルにチェックインしたところで1日目は終了。

観光、しかし寒い・・・

2日目から本格的な観光が始まり、ペテルゴフ宮殿(夏の宮殿)、エカテリーナ宮殿、エルミタージュ美術館などを見学していったように記憶しているが、最大の思い出は、とにかく寒かったこと。

ロシアの9月の気候を舐めていた。
日中の最高気温11°C位の気候の中で、セーター無し、且つ、夏物の薄手のジャケットを羽織った格好はとにかく寒かった。
夏の宮殿に向かうフェリーの中では、ガタガタ震えていた。
フィンランド湾の風が結構冷たかった記憶がある。
それ以降、緯度が高い地域を旅行するときは、必ずセーターを持って行くようになった。

ペテルゴフ宮殿で印象に残ったのは、やはり庭だった。
ベルサイユ宮殿を思わせる豪華な庭園を散策してまわった記憶が残っている。
それと、ツアーでは現地ガイドが付き、流暢な日本語で説明してくれたので、宮殿の概要や歴史を知ることができ、良かった。

エカテリーナ宮殿で記憶に残っているのは、やはり、琥珀の間だ。
といっても、元の琥珀の間は第二次世界大戦中に消失し、現在の琥珀の間は1979年から修復が開始され、24年の歳月を経た2003年に完成したものとのことだった。
琥珀の間の室内を見学しつつ、現地のガイドさんから琥珀のでき方を聞いていたような記憶が・・・。

エルミタージュ美術館

エルミタージュ美術館は、エカチェリーナ2世が1764年末にドイツの画商ゴツコフスキーが売り出した美術品を買い取ったのが始まりとされる美術館。
エルミタージュ美術館の建物は、冬の宮殿大エルミタージュ小エルミタージュ新エルミタージュエルミタージュ劇場の5棟で構成され、展示室数は1500以上あるとのこと。

90分あまりの見学でどのあたりを見学したかは忘れてしまったが、たぶんラファエロダヴィンチの絵は観たように思う。
子供の頃、美術教師だった母に連れられて年に一度は美術館に連れて行ってもらっていたこともあり、美術館の中の雰囲気はなんとなく好きだ。
海外の美術館に入って観る絵画は現地のシチュエーションもあって、なんとなく楽しい。

ミュージアムショップでは、母にエルミタージュ美術館の収録本のガイドブックとお土産用のしおりを買い集めた。

ルミタージュ美術館

サンクトペテルブルクの街並み

サンクトペテルブルクは、ピョートル大帝がバルト海に面して建設した港湾都市で、1712年~1917年に渡ってロシア帝国の首都だった街。
1991年のソビエト連邦崩壊後、街の名は住民投票によってロシア帝国時代の現在の名称サンクトペテルブルクに戻った。
街に建つ集合住宅はカラフルに彩られ、ヨーロッパの都市のようだった。

ツアー旅行の良さ

ツアー旅行に参加して良かったことが2点あった。

1点目は、ツアー参加者と触れ合ったこと。
ツアーに参加した同年代や年長者の夫婦や親子、一人で参加した人達との旅行中のふれあいは楽しく、特に食事の時間帯は旅行や仕事などいろいろな話が聞けて楽しかった。

2点目は、観光中、休憩が入ることだった。ツアーの場合は、90分に1回の頻度で休憩が入ることでが嬉しかった。
個人旅行の良さは時間と目的地を縛られ無いことだが、ともすると際限なく見学に費やしてしまい疲れてしまうことがあるので、適度に休憩が入ることは助かる。

(参考)サンクトペテルブルク

サンクトペテルブルクは、若き日にオランダに留学して船大工として働いたりしたピョートル大帝が、西洋化を目指して建てた街。
街の名は、ピョートル大帝の守護聖人である聖ペテロに由来し、「聖なるペテロが守りたもう町」の意味する。

バルト海東部のフィンランド湾最奥部に位置する港湾都市で、ロシアの文化の中心地。

1703年に新都サンクトペテルブルクが築かれてから10年後、ロシアの首都はサンクトペテルブルクに遷都され、以後、1917年まで200年余りの間、ロマノフ朝のロシア帝国の首都となった。

ソビエト連邦時代はレニングラードと呼ばれていたが、1991年のソビエト連邦崩壊後、街の名は住民投票によってロシア帝国時代の現在の名称サンクトペテルブルクに戻った。

人口:5,398,064人(2020年時点)
面積:1,431㎢

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