見出し画像

ソーシャルゲームの効能


さていよいよ今年ももう終わりですね。

今日は大晦日。今年は皆さん初詣いくんでしょうかね。毎年大晦日は地元の神社に除夜の鐘つきに行ってましたが今年はどうしようかなぁ。どうでもいいですが、除夜の鐘って煩悩を祓ってるんですよね。煩悩を祓ってから願い事をするってなかなか面白いことしてるなぁと。煩悩じゃない願い事にしろよってことでしょうか。


さて、一時期ソシャゲー人気沸騰しましたが、
コロナになって、一気に据え置きゲームへ回帰の流れ進んだと思います。
任天堂、ソニーの株価はうなぎのぼりです。
プレイステーション5もずっと売り切れ続いていますね。

やっぱりあらためて家で遊ぶという前提でいうと据え置きゲームのほうが確実におもしろいなあと。個人的にそんなゲーマーじゃないんですが、イタリア市長も家でプレイステーションやっててくれって言ってましたが、コロナ禍はゲームにハマってるのがわりと有用だと思います。ソシャゲーは電車とか合間時間でやることを前提としているので電車通勤がなくなると厳しいですよね。

ソシャゲーは称賛されないものに大金をはらう

さて、今日はソーシャルゲームの効能って話。
え?なんでそんなニーズなさそうなことこの大晦日に書くの?っていわれるとだって書きたくなったんだもんと。これプライベートだし。
書きたいときに書きたいものを書く。Noteのいいところですね。
まあ一時代の総括として聞いていただければと。

さて自分でいうのもなんですが、そこそこ課金してました。パズドラから始まり、総額でいうとよさげな軽自動車が買えるくらい行きましたでしょうか。今日はそんなソーシャルゲームの効能という話。

10年前くらいですかね。パズドラはやったの。当時マーケティングとして当時2大面白いと思ったのがソシャゲーとAKB商法。AKBはCDが売れないからって
箱買いさせるってそんな方法あったかって思いました。あれも本人買いたくて買ってるわけですからね。

さてソシャゲーの僕が着目したポイントは
称賛されないものに大金を払う」です。
ソシャゲーに大金を投じている人どんなイメージでしょうか。
「あんなただのデータに大金を投じるなんて信じられない」
「お金の無駄」「頭悪い」「人としてどうかと思う」
そんなイメージが大半じゃないでしょうか。少なくともなんて有意義な使い方!って人はいないんじゃないでしょうか。
ほぼ単価0円の2次元のキャラクター一つに10万、あるいは100万投じる価値があると判断する。あらためてすごい利益率ですよね。

お金の使い方なんて何に投じようが個人の自由という認識ですが、
称賛されないものに大金を払う」心理って結構斬新だなって当時思いました。
これはマーケッターとしてはこの心理知っておかねばと。

普通人は何かしら人に称賛されることを求める

普通人がお金を投じるのって何かしたら人に称賛されることを求めるんですよ。
服だったらかっこいいって言われる、ですよね。コレクターならコレクター同士では
レアなグッズもってたらすげーって言われますよね。
さてパズドラ見て行ってみましょう。周りの友達無課金の方多いと思います。
この人強くてすごい!って思うか。誰も思わないんですね。え、、こんなデータ一つにそんなお金かけるの?そこまでして勝ちたい?
よっぽどお金かけるものないんだね、こんな感じです。

物の価値が相対的に落ちている

ソシャゲーって無課金でも遊べるんですが、基本設計として、無課金でも一定レベルまでは強くなれるが、時間が非常にかかる。そして無課金だと結構単調な作業し続けないといけないんですね。ある一定以上の強さは課金
しないとたどり着けない。そこそこの人気ゲーであれば、この課金層でしかたどり着けない領域はわりと趣味の領域ってくらい上層で、まあ無課金でも素人無双できるくらいにはなるのが通例です。そして楽しいかっていうとそんなに楽しいものでもないんですね。いわゆる超楽しい!って夢中になってる人あまりいないんですね。なのに大金を投じると。

逆にいうとそれだけいま物への価値が落ちてるってことなんですよ。物あまりと言ってもいい。ブランドの時計、高い服、ソファ、テレビ、そっちが欲しかったら、ソシャゲーに使わずそっち買えばいいだけですよね。わりとそれらよりもガチャをひいて2次元の絵一枚に10万出すことに価値があると判断する人が増えたってことです。

無課金と課金勢は互いに馬鹿にする

ちなみにこの無課金と課金勢の小競り合いなかなか面白くて、互いに馬鹿にしているんですね。

無課金は、こんなお金0円で遊べるものに、どうせお金をかけなくても同じような強さになれるのに、お金を投じるなんてなんて馬鹿なんだろう。って思っているんですね。

対して課金勢。こっちはなんでこの貴重なプライベートの時間を単調な作業に膨大な時間を楽しくもない時間に費やすんだろう。1000円や2000円出せないわけじゃないだろうに。こっちは時間の無駄で馬鹿にするんですね。

まあどっちもどっちなんですがね(笑)。

そして断言してもいいですが、課金って強くなるためだけだったら一定の料金でいいんですよ。それ以上は結構効率悪くて課金勢と呼ばれる人たちは
強くなるためじゃなくてガチャが引きたいからガチャを引いてる」んですね
いや最初は強くなるためなんですよ。でもね、ある程度強くなったら正直ガチャなんてそんな引かなくていいんですよ。たとえ強いカードひけてもそんなに強さ変わらないんですよ。あとは課金よりもやりこみが強さに影響してくることが多い。

 一部通称「札束で殴る」っていうんですが、金で体力を回復させないと倒せないボスとかいるんですが稀です。そしてこの状態課金者にとっては非常に退屈になるんですね。でも課金者ってここで課金をやめなくてここから「ガチャを引きたいから大金をはたいてガチャを引く」って謎の領域に入っていくんですね。

ガチャ引くくらいしか楽しみがなくなるんですよ。
「誰に称賛されるでもなく、強くなるためでもなく、ただの1枚の2次元の絵と知りながら大金を投じる」これなかなかすごい心理だと思うんですね。

ガチャは時間的コスパが高い

ここが僕がソシャゲーの効能として思うことなのですが、
お金がかかるという点を気にしなければ、時間対効果が非常に有能
です。

「ガチャを引いてほしかったものが出る」ってまあうれしいんですね。そしてなぜうれしいかっていうと、当たらないからなんですね。この辺はギャンブルの心理。ギャンブルにはまるゆえんはもうかることではなく負けることにある。そしてポイントは1000円くらいかかるかもしれないけど、10秒で楽しめるってとこなんです。10秒でこれだけ楽しさが味わえるコンテンツはなかなかないんです。

僕は「仕事で嫌なことがあったら1回ガチャを引いていい」って当時マイルールを課してたんですが、
まあしたら課金額がすごい金額になっていたと(笑)。嫌なことがあったらちょっとガチャを引いてちょっとしたストレス解消ができるってわりと有用だなと思っていたんですね。10秒だったらお昼でも帰りでもちょっとした休憩でできます。ちなみにこれ全部自己判断なんでだんだん「いやいまのは嫌だという部類にきっと入る」「ご褒美にちょっとひこう」となにかにつけてガチャを引こうとするのであまりオススメはできません。 

両賭けで考えると人生ははかどる

ただ「両賭け」って考え方はけっこう有用で、このケースの場合「ガチャを引きたい!」ってマインドセットにしておけば、「仕事で嫌なことカモン!」みたいな感じになるんですよ。だってガチャが引けるから。もちろん嫌なことなんてないに越したことはないので、どちらにもメリットがある状態が作れるわけです。

さてもう一点よく論じられるのが「ゲームのサービスが終了したら大量に課金したものが0になるのに
そこに虚しさは感じないのか
」という点。

この辺「物や残るものに価値があり、無形のものや経験、後に残らないものには価値がない」って考えが見え隠れするなあと。

結論「何も感じない」だと思います。途中で楽しいって価値に金払っているわけであって、サービス終了するタイミングなんて開きもしないんだから、サービスが終了しようがどうしようが知ったこっちゃないんですよ。

お金は使うことで初めて意味が出てくる

「このお金があれば○○ができた、××が買えた」という考え方。そんなもんソシャゲーに金を使ったかなんて関係なく買いたいものがあるなら買ったらいいと思うんですよ。
多少貯金額に影響があるだけで、課金したから買えなくなるものなんてそんなないでしょうし、

知らんけど、仕事で取りかえしゃいいっていうか、その分仕事で稼げばどうとでもバーターが聞く話だと思っていて、たとえば仕事で認められてほかの人より早く役職上がればベースの給料あがるし、
残業したらお金入りますよね?「この仕事やりまーす」って仕事取りに行けばたいていの会社はなんて意識高いんだ!って喜んで仕事振ってくれますし、役職上がることに直結する仕事はたいていストレスフルです。

ロジックとしては仕事ができるようになりたい。ストレスを軽減する仕組みとしてソシャゲーを採用。その分の費用は仕事を自分から取りに行くことでカバー。ですね。

でもたいていの人は思いますよね。それソシャゲーやらないほうがトータルお金有用に使えるやんって。
じゃあこの有用な使い方ってなんやねんと。
たとえばお金をためて海外旅行に行く、これは誰もが認める使い方ですよね。


でもこれも一瞬で消えますよね。あとには残らないですよね。旅行にいったけど、仕事が終わってなかったし、天気も悪かったし最悪だったなんてよくあるケースですよね。
思い出にお金を払う価値があるか、10秒でちょっとストレス解消できることに価値があるとおくかは個人の判断な気がします。個人の見解でいうと旅行は楽しみにするにはスパンが長すぎるのと、これも旅行もいけるなら行けばいいという話。あと旅行って閑散期に行きますがその予定立ててる時期は大抵ピークだからきついんですよ。

例えば高い服に使うとしましょう。おもいきって3万円のシャツでも買ってみましょうか。
服をきてちょっとテンション上がりますよね。
周りにかっこいいとか言われたらいい気分ですよね。
でも2,3回着たらただの服ですよね。これ効能を感じている時間でいうとどれくらいでしょう。

漫画の全巻セットでも買ってみましょうか。読み終わったらずっと本棚に置きっぱなしですよね。
これは有用ですか?

さてソシャゲーやっていないともちろんお金たまりますよね。結構お金貯めている人ほど都心で6,7000万の家買ったりするんですよね。
さてこれ地方で3000万円の家じゃダメなんですかね?
いままで貯めてたか無駄遣いしてたか一気に帳消しになるほどの金額差ですが、そんなに変わるほどの価値あるんですかね?

なのでお金って別に何に費やそうが個人が満足してればそれでいいと思うのです。まあ僕は金遣いが荒いという部類ですが、お金って結局使わないと意味がないものなので、どこでお金を使うのかの違いなだけだと思うのです。お金貯める人もどこかで使っているし、その使い方も大概やでって思うこともままある。もちろん教育費がないとかは論外ですが、教育費とかもお金かけりゃいいってものでもないと僕は思うんです。

まぁあらためてここまでお金が動いてここまで称賛がかけらもない仕組み珍しいのですごい仕組みだなぁと。ちなみにソシャゲー自体でいうと最近はダメですね。金太郎飴のように同じフレームのゲームしか出てこないので、さすがに飽きますね。だから株を始めたと。個人的には基本個人の自由ですが、夫婦でお金を共有になってからはあんまりソシャゲーに注ぎ込むのはオススメしませんね。理解してくれる奥さんだったら逆に結構危機的に家計の財政危ないと認識した方がいいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?