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成功者は一部の人しかなれないが、幸せには誰でもなれる


成功=幸せって概念世の中に結構浸透してる気がします。実際そんなことないですよね。成功してる人だっていろいろ大変ですよね。
成功=幸せが正しい場合世の中のほとんどの人は幸せになれません。
 成功は基本的に相対評価でしかなく、競争って構図上1位以外は敗者になり、じゃあ1位は幸せかっていうと、1回目はなれたときはそりゃうれしいかもしれませんが、落ちるかもしれない不安にさらされているか、絶対的な1位ならむなしさしか感じないんじゃないでしょうか。絶対に勝つゲームなんて面白くないですよね。

 ある予備校の合格者体験談で、慶応合格者のコメントが全員第一志望落ちました、行きたくないけどここしか受からなかったのでいきますみたいなコメントばかりだったって記事を昔見かけました。慶応に合格って世の中の大半の人からしたら超成功者ですよね。きっと東大、一橋、東工大あたり志望だったんだろうなあと。悲しいことに就活でもそうなんですが、受かる人ってどうしても行きたい人じゃなくて滑り止めで一応受けとくみたいな人なんですよねぇ。そして早慶がマーチより遥かにレベルが高いのはこうした東大落ちみたいな人に支えられているという皮肉。

じゃあ東大にいけたらどうかというと、大学の運動系サークルでAランクからEランクまで実力によって大会分かれるんですが、Aランクの先輩がAランクが一番実力差が激しい、一定以上全部くくられるからって言ってました。まあ見てる分には両方うますぎてなんで点差ついてるのかわからんのですけどね。

東大は全国の神童と呼ばれて育った人達が一部の天才にボッキボキにプライド折られる世界。東大生に東大生か頭いいねっていうと、いえそんなことないですって言ってるのは謙遜じゃなくて、周りの東大生に比べてガチで引け目を感じてるから本心っていうのは有名な話。

 他人から見て成功者に見えることと本人がどう感じているかは一致しないことの方が多い。そのレベルが成功って思ってる人はそこにたどり着けないんですよね。だからたどりついてる人は逆に成功だと思ってないと。

 栄枯盛衰じゃないですが、成功って一時的なタイミングを指しているので、
億万長者になったけど、そのあと病気になって自由に動けなくなった人は幸せか?とかどのタイミングを切り取るかだけなんですね。一生成功なんて確率的にありえないですし。

 最近もともとうちの会社にいた方が、別の会社で講師をされていて、離島に住んでオンラインで講師をされている記事を見かけました。
とても優秀な方だったのですが、ステキな選択肢だなと。離島での教育って教育の第一線から比べると遠いかもしれません。でもきっと必要とされていて充実感が感じられながら仕事してるんじゃないかなって思います。

 離島ブームなのか、前から離島で仕事をされていて本社に戻ってきた方で、
「コンビニまで1キロあり、生活必需品以外は本島に買いにいかないといけない。
夜はすぐに暗くなるし娯楽が多いわけではないけど、そのくらいの離島暮らしが現代においては人らしく暮らせるちょうどよさ」
といっていた方が会社をやめられてまた離島暮らしに戻られるという話を聞きました。成功でいうなら、いまの仕事を続けていたほうが間違いなく社会的には成功者とみなされるお立場の方です。でも、どちらが幸せかといったらその方にとっては離島暮らしなんだと思います。

成功したい、は誰でも思うものだと思います。
でも成功を追い求めるより、周りを気にせずなにをしていると自分は幸せかで考えられるようになると、それは成功するよりはるかにかなえやすい、そして本人にとってよい生き方につながるのではと思います。

余談ですが屋久島に旅行でいったとき、地元のおばあさんが都会で争いに敗れた人がよく移り住むって言ってました。なぜ敗者限定笑。でも現実はそうなんでしょうね。

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