たかこになるまで
それからは名前のことばかり考えて暮らした。
ごきげんよう、たかこです。
リアルたかこ(仮)(通称名)です。
今日も名前の話です。
しばらくは名前のことを書いていきます。
という予定は未定です。
*
三月の下旬、改名について弁護士さんに相談したところ、私の場合は「通称名」を決めることが改名の第一歩だとわかりました。
改名とは、本名から新しい名前に改めること。
その「新しい名前 ≒ 通称名」がなければ何もはじまりません。
そんなわけで、まじめに名前を考えだしました。
実は、候補は一応ありました。
というのも、実は数年前にも「改名しよう」と検討していた時期があったのです。
何故、改名をしたいのか。
このことは次の記事あたりで書きたいと思いますが、簡単に説明しておくと私の本名の命名は父によるものです。そして今、父と私は、事件の加害者と被害者の関係でもあります。
父とは関わりを持つべきでないと判じています。
数年前に改名を考えるきっかけとなったのはやはり父との軋轢でしたが、こまかい顛末などは記憶があやふやです。
ただ、いつも通り父から浴びせられた罵倒の中に、
「おまえなんか与えてやった名前にふさわしくない、何ひとつ俺の思いどおりにならない人間になりやがって」
といったような発言がありました。
私はもともと家族との折り合いが良くなく、そのせいもあってか、自分の名前も好きではありませんでした。
父の文句は支離滅裂ですが、ある意味では正しいのです。
私の名前は一般的には良い意味あいです。私がそれに見合っていないのは事実です。
だけれど父がそこにこめた「こうであれ」という願いは、私の意志とは方向性がまったく逆でした。
もうこの際だから書いてしまいましょう。
本名は「愛(あい)」です。
バス遠足のサービスエリアで名前いりキーホルダーを探すときはとても便利でした。
が、いかんせん可愛すぎる名前でした。少なくとも私の性格や気質からはほど遠いイメージです。
名前を理由にいじられることも、学生時代どころか社会人になってからさえ、よく起こりました(こればかりは私の名前でなく相手の頭が悪いのだろうと冷静に断言できます)。
親しい友人には苗字で呼んでもらうようお願いするぐらいには、私は自分の名前が嫌でした。
父が命名の際にこめた願いとは、「愛される子になるように」。
実にまっとうなものでしたが、どうもそれより「女の子は可愛い名前がいい」という、何だかもやっとする動機もあったようです。
だから、
「おまえは誰にも愛されてないし、俺が望んだ可愛い娘じゃなくて気に食わない」
との、父の言い分もごもっともなのです。
なら改名しましょう、となりました。私の中で。願ったり叶ったりです。
そのときは、
「愛(あい)」が五十音の最初の二文字ならその逆で最後に来る「わをん」、
漢字にすると「和音」、
そのままだと吠えてるみたいなので読みは「かずね」にしようかな、
ぐらいまで考えて、それをちょっとひねってアナグラムにかけたローマ字を各種パスワードに設定しました。
実は今でも使用しています。
結局、それ以上のことはせずに父との関係を改善するほうを選んだのですが、昨年末に事件が起き、もう諦めざるを得ないというか、諦めることに決めました。
父との関係を改善するなんて夢みたいなことより、改名するほうがよほど現実的、などという面白いことになってしまったのです。人生、退屈しません。
でも長く使ってきたハンドルネーム「いと」って、「愛」をそう読もうと思えば読めないこともない……と友人に指摘されて気づいたりもしたので、やはり親がつけた名前とはご縁があるのだと思います。人生、まったく退屈していられません。
あと余談として、「あい」という音は英語圏ではかなり不便でした。一人称と同じ音なので。
会話中、だいたいは前後の文脈で何とかなるのですがたまに互いに混乱したり、三人以上で話していて誰かが私のことを説明するときは動詞の s をことさら強調したり、名乗るときは「spelling A I , not just I」と言わなければならなかったり。
そういう不都合があった環境でも、ホストファミリーに呼ばれた名前という一点だけはそれこそ愛おしく、また名残惜しく感じています。
ちょっと話が逸れました。
でも、以前から改名の意志があったこと、「通称名」と意識してはいなかったけれど、それに相当するものを気づいたら持っていた、ということです。
後づけでしかないのでしょうが、備えはしていたと言えるかもしれません。
*
今回、伊達や酔狂ではなく、真面目にやるなら、どんな名前にするか。
以前に思いついていた「和音(かずね)」を採用するか。
まずそこから考え、却下しました。
理由としては、結局それだと本名にこだわっている気がしたからです。
どうせなら潔く切り離した名前がいいなと。
たまたまゲーム「ゴーストオブツシマ」を始めたばかりだったので、プレイしながら延々と考えました。
弁護士さんから聞いた話、また調べた範囲では、改名申請で通らない名前があるそうです。
例として、いわゆるキラキラネームに改名することはできないとか。
それを知った時はちょっと不公平じゃない?と憤りました。
広い世の中、「孤高」と書いて「おうじゃ」になりたい三十代もいるかもしれないし、古き良き「刹那」を公的に名乗りたい五十代もいるかもしれないじゃないですか。
生まれたときは選べないんだから、改名制度があるなら難読だろうが珍名だろうが等しく好きなのにさせてほしい。
でも、改名してもいいよと家裁が認めるのには、ちゃんとしたラインがあるのでしょう。
また、改名のハードルがここ数年でだいぶ下がったとのことですが、その背景にはやはりキラキラネーム世代に対して救済措置的役割の必要性もあるようです。
キラキラネームからキラキラネームへの改名では意味がありません。
であれば、キラキラネームでないありきたりな名前もキラキラネームには改名できないのは、妥当と言えます。反射的に不公平となじってしまったけど至って公平ですね。
よって、通称名を決めるにあたり、キラキラネーム(珍名)に相当しそうな名前は除外しなければなりません。
また、難読も通らない可能性があります。
キラキラしていない難読な名前って何だろう……「愛」と書いて「いと」とかかな。
常用漢字とか名前に使えない漢字とかいろいろあるみたいなので、それに抵触しそうなものとか?
何にせよ難読な名前で社会生活に困難を感じている方が改名したりするのですから、そうした名前に改名できない理屈はキラキラネームのケースと同様でしょう。
でも、どのへんから難読でどのあたりまでセーフかは、もしかしたら担当した裁判官の裁量ひとつということもあり得るのでは?
下手に運試しをするより、誰でも読めるひらがなこそが無難かつ最強と言えそうです。
(あくまで私の憶測です)
幸い、私はひらがなが好きです。
「いと」もひらがなでしたし、その前に使っていたハンドルネームや仕事用の名前もひらがなでした。
ひらがなで難読ということはあり得ない、はず。
ではひらがなで、と決めて、その次には「呼びやすい名」との原則もありました。
これはちょっとピンと来ませんでしたが、後になってなるほどと強く納得することになります。
キラキラしていなくて、難読でなくても、呼びにくい名前というのは確かにあります。
たとえば、「コロ」。
聞いた人、読んだ人の十中八九が犬を連想するでしょう。コロ。
となると、ポチ、ミケ、も、たぶん何かアウトなのではないかなと。
だってもし私が知人から「改名したいから人前でもはっきりコロって呼んで」と要請されたら「会う機会を減らそうかな」とちょっと考えなくもないです。
いや、楽しそうだから会いたくなるかもな。
でもそれはそれで申し訳ないような。
と、こういう感情を相手に持たせてしまうような名前は、「呼びやすい名前」とは言えない気がします。
恐らくこの例はまだ良いほうで、絶対に改名できないだろうなというのは公共の場で呼ぶのがはばかられる名前だろうと推測しています。うんことか。ちんちんとか。フランス語で「乾杯」なんですと力説されても困ります。フランスに行って。ていうかイタリア語だし。
下ネタとは関係なくても、あまりに古風すぎる名前、「とらのすけ」などもちょっと冒険かもしれません。
通称名は縮めず、全音を発音してもらうことで実績になりますから、たとえば渋谷の交差点のど真ん中で臆せず「とらのすけ」と大声で呼んでくれる知人友人がどれくらいいるかが肝ですが、実際に百人ほど存在しても証明することは困難です。
「呼びにくい名前」は結果的に「呼ばれない名」になってしまい、実績を作っていけません。
実績がないと改名できないわけで、本当に改名したいのであれば、改名と名づけは別だという意識を忘れてはいけないのだとしみじみ感じました。
(キラキラネーム、難読、珍名がだいたい受理されてしまう名づけの、その末にあるかもしれないものが改名制度、ということなので、その轍を踏まないようにしないといけないんだな、と)
*
以上が、通称名を考えるにあたり、気をつけなければならないポイントでした。
そこを踏まえた上で、ひらがなで、呼びやすく、違和感のない名前を模索していくことに。
留意点が分かっていればあとは好みの問題になってきます。
私は当初、ひらがな二文字を漠然と希望していました。
なので、「いと」も、とりあえず候補に入れました。
ひらがな二文字だし、何しろ十年ぐらい使っているし、そのまま通称名にする方がまわりにご迷惑をおかけしないかなと思ったのです。
が。ここで我に返れて良かったです。
確かに通称名で呼んでほしいと周囲にお願いし協力を仰ぐ必要はありますが、自分のための名前です。他人の手間を省くことを重視しすぎてはいけない。
それに、その時点で「いと」と呼んでくれる人が何人かといったらそんなに膨大でもないわけで。
よく考えたらツイッターをはじめたのは三年前。「いと」の十年のうち七年はよそでのことで、そことの関わりは今はほぼ無い。
ツイッターのフォロワーさんも絡んでいる人は数えるぐらいしかいない。
仲よくしてくれているフォロワーさんたちは「いとじゃなくなるの?面倒くさいな」って反応を示すタイプだとはちょっと思えない。言ってしまえば、もしそう感じるならそれまでなのだし。
そもそもツイッターだけで生きているわけでもない。
本格的に改名に向けて動くなら、今後、あちこちで通称名に改めていくことになり、その際、どうしてもお手数ですがと頭を下げることになる。
要するにどうなっても迷惑はかかるので、そこはそれと割り切らなければいけません。
改名なんていう面倒なことに巻きこむ覚悟の再確認になりました。
とはいえ、「いと」に愛着があったのも事実なので、続投もあり、ということで候補に。
*
四月四日にツイッターで告知と決めていたのですが、実は四月一日あたりにはもう何となく決まっていました。
それから数日ぐらいゲームしつつあれこれ考えて、やっぱりそれでいこうか、とほぼ確定しかけたタイミングの四月三日、「たかこにしようかな」と急に迷いが出ました。
「たかこ」も候補にはありました。
でも控えの控えぐらいの位置づけ。
そういえば昔は「子」のつく名前にあこがれがあって(私の世代は「子」がつかない名前のほうがやや少数派だったので)、貴子、冴子、になりたいと思っていたっけ、と記憶がよみがえったのです。
でもそれだけでした。三日までは。
何故、いきなり「たかこ」が急上昇したのか、実は自分でもよくわかりません。
もしかしたら、九割確定していた名前に自信がなかったのかもしれません。
確定寸前だった名前は「いちり」でした。
漢字で書くと「一里」。
一里塚の一里です。3.927メートル。
由来はいろいろありました。千里の道も一歩から、に倣ったり、ちょっと違う角度から俳句と関連づけたりで、「いちり」。
悪くないんですが、何か居酒屋にありそう、とも思いました。検索したら実際に何軒もありました。そりゃあるよね。
ひらがな二文字ではないにせよ、いろいろ好きな要素がそろっているのですが、何か名前としてはどうなのかな、と。
通称名なので何ならツイッターで名乗ってみて反応によって変えることはいくらでもできるのですが、あまりふらふらしたくない。
漢字で「一里」なら名前でもおかしくなさそうだけど(大江千里さんから九九九里ひいてくださいって説明できるなとか思ったり)、ひらがなで「いちり」だと一気に様相が変わる。
でもまあ、アリかナシかって言ったらきっとアリだろうし、これで行くかなあと思ってたのに、唐突に、いや待って、「たかこ」は?となった経緯が自分でも本当にわからない。
確かにその日たまたまゲームのツシマで、たか、というキャラクターにすごいことが起きたりはしましたけど関係ありません。
むしろ縁起が悪くて避けるのが自然な感覚です。
とりあえず、いったんゲームを休んで「たかこ」についてよくよく考えてみました。
ひらがなで、と思っていたけど、「たかこ」なら真っ先に「貴子」が浮かぶし、これなら難読でもない。
けど実際に手で書いてみると私の字のクセでは「貴」のバランスを取りづらい。
なので「貴子」は却下。
「たか子」も良いなあと検索してみたところ、松たか子さんしか出てきませんでした。
忘れてましたよ松たか子さん。芸能にうとい私でも存じ上げている松たか子さん。何というか松たか子さん、たか子さんでも松さんでもなく松たか子さんですよね。黒柳さんじゃなくて徹子さんじゃなくて黒柳徹子みたいに。もはや敬称略するほうが礼節に値すらしそうな黒柳徹子。
「たか子」、却下。
漢字で三文字はまったく念頭になかったけど、やるとしたら「か」は「花」がいい。
でも「多花子」ではないなあ。そんなにたくさんいらない。
実は通称名(=将来の本名)に「花」のイメージを持たせたかったのですが、満開より一輪を思い描いていました。「いちり」は「ん」を抜いただけだったりもします。
もし「花」を使って漢字三文字にするなら、「他花子」にしたい。
しかし、難読ではないだろうけど、ちょっと珍しい印象はあるかもしれない。
その珍しさがネックになるかどうか、わからない。
なら、ひらがな三文字「たかこ」で。
あてたかった漢字は私がおぼえていればいい。
こうした経緯で「たかこ」と決めました。
四月四日、午前〇時半ごろにツイッターで告知するときにはもう迷いはなく、「たかこ」の三文字をフォームにすっと打ちこんでいました。
*
「たかこ」は良い名前だと思います。
音からは「きちんとした人」を思い浮かべられるし、字面は硬すぎず丸すぎず。
発音もすんなり出てきます。
「いちり」は、正直なところ、発音しにくそうだと懸念していました。
自信を持ちきれなかった最大の理由はこれだったのだと、今ならよくわかります。
「一里塚のいちりの音で」「聖、ひじりと同じ」と説明しても何か人によっては上がったり下がったりしそう。
面白いけど面白がってる場合では残念ながら無い。
その点、「たかこ」は困りようがありません。
「呼びやすい名」です。
面白さには欠けるとしてもシンプルでわかりやすく、落ち着けます。
「いちり」は呼びやすいかどうかといったら、呼びにくい名前で、そしてたぶん呼ばれにくい名前でした。
実際に公共料金の登録名を改めようと電話で問い合わせをしたときも、「たかこ」はすんなり伝わりました。
「いちり」にしなくてよかったなあ、と我ながら違和感と英断を褒め讃えたいです。
電話で「いちりです」と名乗ったところで確実に一度は聞き返されてたんじゃないかと。
「呼びやすい名」ってこういうことなんだな、と身をもって知りました。
「ひらがなで、たかこです」と説明すると、「こ、もひらがなですか?」と確認されることも一応ありますが、さして支障はありません。
何度でも言いたいのですが、良い名前だと思っています。たかこ。
苗字から続けて通して呼んでもひっかかりなどはありません。
苗字は改めないのですが、こちらも音は三文字です。
三文字と三文字の組み合わせは安定感があり、本名よりしっくり来る気がします。
*
ところで何となく画数を調べてみました。
頭のてっぺんから足のつま先までめったにないほどの大凶とのこと。
「改名必須」だそうです。笑えます。
画数が怖くて改名してられっかよ。
というわけで、まったくめげずに、たかこです。
そもそも本名も画数的には相当な大凶であるに関わらず、私の強運ときたらちょっとただごとではないのです。
もはや自分の意志で決めた大凶なんて痛くもかゆくもありません。カトリックだし。
ゲームをしながら考えた通称名候補は、今、当時のメモを読み返したら十五ほどありました。
それについてはまた後日。
たかこです。
これで実績を作っていって数年後に家裁で「たかこでは改名できません」と言われ日には私は祖国を捨てます。
たかこです。
既に本名よりなじんでいます。たかこ。
良い名前だなあ。たかこ。
たかこ。
私はこの名前が好きです。