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【ふと思ったこと】「映画とは...」について、最近一番しっくりきた例えの話

追記:24.6.21

映画は人生だ
、とか
映画は建築と一緒だ、など

いろいろその時々で本当に「そうかも」と
思ったりはしたのですが

映画は人生 
とはよくいうけど人生は一度きりだし
(映画は一応、今生の人生で何度か作れる人もいる…)

映画は建築と一緒だ 
確かに建物を建てるために大変なお金や土地の取得などにも資本が欠かせない
設計図(脚本)を書いても全部が全部建物になるというわけではないし
分業やチームワークという点も似ている…
でも決定的に違うのは、建築は間違えた設計図で建物作ったら大勢の命に関わる
映画は下手な脚本でも無理やり形にしてるような作品は沢山見受けられるし
下手な映画を見ることで憤死することは稀なので…
やっぱり微妙に、でも、決定的に、違うなぁと思っていた。

そいで先日、過去一番、しっくりきた例えを思いついた。

映画はクリスタル。

は?って思った人…
まって、行かないで。(笑)

この写真のクリスタルは、昔、父から頂いたお土産です。

このクリスタル自体はいろんな工程を経て
職人さんが作って(るかは、正直わからないけど)不変なもの。

映画も(ディレクターズカット版などの例外はあるとはいえ)
一度完成したら二度と変更は効かない意味では不変のクリスタル。

で!こっからですが・・・

すっごく共通する点は
「見る人の角度」で見え方がいろいろ変わる!!ということ!

何が言いたいかというと・・・。

私は地元新聞でマンガdeエイガという
4コマ漫画と600文字程度の文章(独断と偏見)の
映画エッセイを8年間書いていた。
(専門的にはジャンルは違うかもしれないですが)

また、現在は、ご縁あって関東のフリーペーパー
「ハイサイ!ウチナータイム!」
沖縄(に関する)映画エッセイをかいていますが

映画のエッセイって、
映画を研究している人が分析してみたりしてかく
映画研究論文でも批評でもないし、
私情入れずに映画の魅力を紹介するPR文とも違うし

ときどき、私は一体何をやっているんだと(ちょっと)
思うこともあった。

(なんというか、映画を学問の立場で時代的にみて研究してるわけでもないし
映画を作るに至ったそれぞれの監督さんや役者さんの挑戦を初めて見る人にも
わかりやすく紹介して、めっちゃたくさん人が入るようPRしてるわけでもないし、という意味において…ちょっと引け目を感じていた)

映画はクリスタル」と、思って、映画エッセイの意味がわかった。

「人生のこのときに、この映画をみて、こう感じたんだ
(あなたはどう思うかな)」

というようなことを
私は映画でも、映画エッセイでも、やりたいんだなって思った。

クリスタルを作った職人さんたちは、ベストを尽くす。
映画を作った監督もスタッフもベストを出して完成する。
それはできた映画は、作り手の思い。
で、どの見え方も、全部が、正解。

同じ人間が、時を違えて、同じクリスタルを見ても
表情は、やっぱり違う。

でも、それぞれの見え方は「本当」。

なので
映画はクリスタル!

なんだかキザかもしれませんが
久々にヒットした気づきでしたので共有しました。

ついでにいうと、多面性を認め合うという方が
なんだか、とてもしっくりくる。

(多様性は、なんか溶けそうで、いえばいうほど
実態が掴めない感じがするけど
多面性は、確実にそこに個体が存在し
それが見せる様々な面であるから)

など思いました。

P.S.
映画も100年経っても色褪せないものを目指してますが
多分クリスタルも、そうじゃないかってところも。

P.P.S.
自分は映画監督もしておきながら、名作映画のディレクターズカット版などが出るとどうしても違和感があったりするのも、劇場公開版に命かけてる感じがあるから….(映画の出来のためなら、一生懸命撮ったけど「捨てる」ことも覚悟した上での劇場公開版だと思う。まぁハリウッドなどは監督に編集権がないことも多いので、不満もあるのかもしれないけど…)一度完成したクリスタルをもう一度つぎはぎして出すイメージになり、あまりいい印象がしない。未練タラタラって感じ!大体、やっぱり長すぎたり劇場公開版の感動をこえてない場合が多い。

いっそ、タイトルも変えて別映画としてやってほしい。と思う次第です。

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