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【映画エッセイ】「関心領域」監督・脚本ジョナサン・グレイザー

映画はクリスタル論に基づいた映画エッセイです。
(大きな意味で、多分ネタバレしてます。嫌な人は見てから読んで。)


本作はA24だし評価高いし超興味ある内容だしめちゃめちゃ期待していた!

結論から言うと、予告編でも、その期待値を上げ過ぎた!!かも。

もちろん、見たことは一切、後悔してない。
そして内容も、じわじわと、怖くて、見終わった後の方が、気になる、気になる。後を引く作品だったことに間違いはない。

でも、なんだかんだどこかでアメリカ映画であること、予告編の衝撃から、あと少しの、わかりやすさと、ふせん回収を「超」期待してしまった分の落差が大きかった。

というと語弊があるが、もっと言えば、観客はその時代のドイツなど知らない現代人あること、時代をまたぐ編集に「さえ」一切の説明がない、というのはー、「焦らし」が鼻についてしまった。

「この視点で勝負した」ってことが言いたいんだろうなぁ。とはわかる。(予告編で十分に)

うまく言えないのだが・・・書いてみたい。

一番生理的に違和を感じたところ
特に家の中の映像に対してですが。ほぼ定点カメラの据え置き映像に、私は人間が動物に対してする記録映像的な手法だ、と感じてしまった。それがたぶん終始生理的にざわついた。

「勤めて客観的にするために」、「リアルを感じて欲しくて」、という制作者のインタビューもみた。だから定点画像のほぼ全部がフルショット(クローズアップなどで見せたい感情の取捨選択をしない)そうしたのだと思うが、主観が介在させないことというのはこのように、実験動物的印象も与えるんだな、とその点は、初めて見た時は、ざわついたし、やや悪趣味に感じてしまった。

随所のホラー的演出が際立って違和感
まず、リサーチによる圧倒的な情報を役者さんに飲み込ませ、上記のようにあえてカメラによる感情不介入の立場をとっている、の、に!

ポスプロでめっちゃわかりやすいホラー感だしてくるんかーい。と、その点は、ちょっと拍子抜けした。

場面切り替え時の真っ赤っか映像、ホラー的に不協和音ノイズ、シャイニング連想させてる感、命を救う少女の白黒映像化などのホラー的な演出は確かにあった。

そこがややイージーでは?と思ったのだ。

(ただ、後述するが、これがないと、本当に「何を伝えたかったのか」というどの立場なのかなどが、一切わからない人もいただろうことも事実だろう)

「ハンナ・アーレント」「否定と肯定」など(偶然どちらも(確か)女性監督の法廷映画だが)ドイツ発のナチス・ドイツを描く作品などの主義主張の明瞭さと対極にあることも、「薄気味悪い」と感じてしまう理由の一つだろう。はい、野暮ですが。まぁとにかく、まっすぐな疑問を投げかけるストーリーテリングの形に慣れていると、戸惑うことが多かった。でもそこがドイツ発じゃないから描くことができる、ということなのだろうか…。

「わかる人にはわかる」で本当に良いのか・・・この日本で。とも思った。

多分この映画の宣伝に興味を持った人は必ず「この作品の意義や怖さがわかる」。だからこれは杞憂だし、心配するほどのことではないかも知れない。いやそうだろう。そう思いたい。

でも、「わからない人は、見てもわからないかもしんない。」

しかし、わからなければ、いけないんじゃないか!!このテーマは特に!
どんな鈍感ベイビーにも!!・・・と、勝手に感じてしまうのでもある。
(野暮なのは100も承知だけど。)

いや何がモヤっとしたかというと、ポイントが違うところに惹かれそうな危うさも感じたのである。

なぜそう思うのかというとー。答えは単純で。

はい、ここ日本は、「ナチスドイツを真似した」などと平気で話す政治家がいる国だからです。(具体的には過去にそのような発言をしたのは麻生太郎氏ですが)

絵で伝わる内容だけでは、
「よくわからんけど軍服カッコよかった〜」
「様式美いいね」
「庭園綺麗〜」
「あんだけの計画実行できるのもすごいよねドイツ人ヤバいね(ヤバい、は、いろんな意味含む)」

となってしまう可能性も とーーーても僅かだとは思うが、あるのでは、と感じた。

いやね、全く違う印象を持つことがあるってのを体感したのは
過去に、外国人監督が撮影した、現代の日本人女性の優柔不断さと、性の揺らぎを描いた映画を、保守的な考え方の方が見て、ほぼ正反対の受け取り方をしたことがあったからだ。

その点で「観客に委ねすぎることの怖さ」にも想いを馳せた。

以上の点が、本作が自分には初めて見た時に、生理的に難しかったなぁと思う部分でした。でもまだ二度は見てないので、2〜3度見ることで、自分の思い込みもはずれ、きっと違う気づきを得られるのかも知れない。

以下は、思い出しながらの感想。


思い返すと。
内容は、鋭かった。確かに、怖かった。

客観性を際立たせたかった理由は「観察眼を持て」といかけているのだろうか。

・この人たち、大量殺戮者に見えますか?
・この風景、どこかで見たことありませんか(上司の誕生日を祝う場面など)?
・夫の都合で引越し続きで振り回される妻の苦労って、見たことあるよね

自分たちと変わらない人間が生活してる。
その中で、少しづつ違和感がつみ重なる。

人間は、何にでも「なれる=慣れる」生き物だと思い知る。

だから目を見開いて、少しの違和も見逃すな!
観察眼をしっかり持て!ということなのか。

善悪の判断を作品中に置かずに、あえて「モヤ〜」とさせたのは、そゆこともあるのかもしれない。

自衛隊が、伝統行事のハーレーで沖縄の人の心を掴もうとするみたいに(?!)
現実は、意外と平和的に、牧歌的にやってくるかもしれない。

やっぱり色々とジワジワと・・・・感じる怖さ、あるなぁ!!!

あと、もっというと・・・映画の中身とは関係ないことでもあるけども。

今年のカンヌはイスラエルのパレスティナへの攻撃などに対する抗議などの政治的な表明が禁止された。(女優がドレス着て主張したりはしてた気はするけど)

特に(欧米の)映画業界は・・・資本だのみの芸術だし、映画界には多くのユダヤ人監督プロデューサー資本家も多い・・・

もし「それはそれ」とするのなら・・・

(それって・・・)

と、思うのです


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