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ヘレニズム時代の哲学の諸潮流について

ヘレニズム(ギリシャ風文化と言う意味、19世紀に成立した歴史概念)時代の哲学の潮流には、どのようなものがあったのでしょうか。

そもそも、ヘレニズム文化というのはアレクサンドロス大王が東方遠征して以降、エジプト、シリアにもギリシャ文化が流入し、東西文化が融合、形成された時代の文化のことを指します。

中心地は、エジプトのアレクサンドリアに形成されたプトレマイオス朝。このアレクサンドリアは、地中海世界最大の都市でした。このプトレマイオス王朝の王妃がクレオパトラで、このプトレマイオス王朝は、ローマの初代皇帝となるオクタビアヌスとの戦いに敗れ、クレオパトラは毒蛇に腕をかませて自殺で終わってしまいます。これによって、ヘレニズム時代は終わることになります。

この時代は、さらに言うなら、西のローマ勢力の拡大の時代でもありました。この時代、現実主義的なローマ人は、なぜか「新しい文化、哲学」を見い出していくことはしませんでした。思想哲学としては、古代ギリシャ時代の二番煎じでしかありません。

この時代の代表的なのは、エピクロス派とストア派なのです。

エピクロス派は消滅する

ストア派展開の中期、つまり、セネカ時代には、次の時代を担うキリスト教が誕生していることに注目です。

また、この時代の第三の潮流として「新プラトン主義」が生まれていることにも注目のこと。これはプロチノスによって唱えられたものです。もともと土着信仰から生まれたキリスト教は神学体系などは持っていませんでした。そのような素朴なキリスト教信仰に高邁な「神の観念」をうえつけたのは、このプロチノスによる「新プラトン主義」なのでした。


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